そうぞう
早めに咲いたソメイヨシノが緑仕様になりつつ向かいのハナモモの白い花が満開。桜は変な話暴力的な美だがハナモモは上品。もちろんどちらも良き。
本日は引っ越しプランを検索していて遅れそうになる。デリケートな扱いをしなくてはならない家電がないからゆうパックでも良いかという話になったのだが、一個一個集荷場に持って行くのは大変。単身パックで時間指定とかのオプション抜きで良いのではという感じになっている。段ボールさえあれば1時間くらいで終わるのではないという感じしか持って行く物がない。他はほとんど廃棄していくつもり。物より思い出がやっと実践できる。
高速小走りで出勤。
シフト上送別会の次の時間調整があるとしたらここだろうなと想像していた。明日だと調整として短すぎるし最終週だと僕が遅番だから始まりが遅すぎる。案の定ピンポイントで予定が入っている14日を呈示された。即答でその日は駄目なのですと回答。年下上司は果たして送別会を現実化できるのだろうか。個人的には良い感じに調整してくれると嬉しいが、どうなることやら。僕に任せてくれたら直接同期と調整して彼に日程を上げられると思うが越権はしない。
仕事と言えば、来月に新人さんが1人辞めるっぽい。個人的にこの人この仕事に着いていけないだろうなと観測していたから無理もない。この職場お勉強してできることが増えていかないと太刀打ちできないし。ここでいうお勉強は知識を増やすというよりは、認識が更新できるかという感じ。新人時代は先生が懇切丁寧に教えてくれるし他の人達も構ってくれるが、その時期になんとか固有性を確立しないとストレスしか溜まらない。上司は緩いが仕事は厳しい。マニュアルもないし、あんまり知識も役に立たなくて、自己判断の領域になる。時給制の人にナチュラルにそれを求めるってなかなかの職場だが、僕は好きだった。
個人的な観測として生き残れる人は、上司に聞くときに丸投げするのではなく、ある程度は自分の中で咀嚼して問題がどこにあるのかが把握している人。問いがないところに答えなんてないし、問いがないのに答えだけ聞いてコピペしても身にならない。
一般化するのはあんまり好きではないのだが、社会がある程度マジョリティの方向性で一致していたころは問い(目的)自体が自明だったから、答えだけ求めれば良かった。今は方向性が細分化されてきたから、答えよりも問いの方が大事になっている時代なのかなって。
僕の穴埋めが居ないというのは、マジョリティ的なルールからある程度外れたことをしていても、放っておいても大丈夫だろうなと思われている節。過去の情報を探って分かることもしくは考えたら分かりそうなことは上司に上げずに勝手に捌いている。
あとも諸々あるのだが、例示としては、先生は「自分では分からないのですが」みたいな前置きみたいな謙遜情報は不要だって公言しているのに、その仕事のやり方に合わせずに無駄に発話を増やしながら聞く人が多い。仕事のやり方を変えられないというか、自分で仕事が完結しているという世界観なのだと思う。相手が不要だと言っていることを自分ルールで無駄にやるってなかなかの非効率。
僕も職場で無駄に愛想を振りまかない。それで誰かの気分を害しているかもしれないという懸念があった頃も在ったが、そんなことを気にする人は向こうの問題だという伸び伸びになった。この伸び伸びこそが社会生活における自由でありそう。
ともあれ。
消費税に関する法律の原文をちょっとさらう。読めるのだが、文字数めちゃくちゃ多いし、何条に規定するうんたらみたいな条文が出てきたらそこに飛ばないといけない。電子媒体だったらリンクが充実しているのが良いかもしれない。他の法令にもジャンプするややこしさ。
ふと思ったのが、演劇のチケットって端数がない。非課税なのか、課税されているけど消費者のために内側に消費税を入れているのだろうか。免税事業者に当たるからと言って、提供するものに消費税を加算しなくて良いとはならないと思う。でも演劇って役務の提供でははないから、消費税の対象外なのか。そう考えると漫画とか小説もそうなって良い気がするが、ここの消費ってそれが印字されている紙に対してなのか。たしかに印刷コストとか物体としての書籍が移動するコストが消費であるというのは分かる。
問いだらけの世界。
提示された問題を解くということも大事と想う。ただ、この問題形式ってかつての小中高みたいな、箱庭的な世界。誰かが問題を分かるように出してくれて、それが解けたら褒めて貰えるみたいな。
システムも一種の箱庭みたいなもので、それが提示している正解をなぞらないといけない。もちろん道路交通法とか安全を至上としているシステムは合理的。狭くなった追い抜き禁止とか、変な挙動が制限されている。これは凶器になりうる自動車を運転している人間の挙動を制御するシステム。誰か個人が早く移動できるシステムでもない。
高速道路が渋滞で通常の移動時間より遅れたら料金が安くなるというシステムを満月さんが考案していたのだが、これはあって良い話。歩行者も信号もなく高速で移動できるというのが高速道路のコンセプトなのだから、そのコンセプトから外れてしまったら対価を返すべきという考え方にはどこにも矛盾が無い。高速道路には対価を払って入るものだと捉えるだけの世界だったらお金払ったのに全然進まないというイライラにしか至らない。
僕もシステムを読むだけではなく、想像の中でより良いシステムも構想しても良いのかなという次第。たぶんここが創作の世界に散策できる領域。創作って既存のシステムを流用しながら、独自の世界を構想するものだろうし。
消費税で言えば、税金が細目化しているのは諸々の歴史上の経緯はあるのだろうがその税がなんであるのかという分類コストが生じているから、もっとコンパクトに集約した方が事務処理コストが軽減されると思う。税理士が仕事しなくて良いくらいにした方が税収は増えるのでは。税理士さんは在野から国家のブレーンになって税収をどれだけコンパクトにするのかを考える仕事に回ってもらうみたいな。
こういうのって、個人ナンバーが解決しうるものなような。
だれがどれだけ経済生活したかが記録されるのであれば、そこからどこを税にするかは自動計算にできるようになりそうなイメージ。顔認証のAIとは違ってあくまで数字だけの世界だし。
個人的なシステム創造は、社会システムではなく、言語システムの方が面白そう。
個人の世界観は言語でだいたい構築されているし。僕は言語自体で人を決めるみたいなことはないのだが、結構言葉だけでもぐっとくる人は多いらしい。
本を読まないと自分の現実以外に言語システムが有るということが分からないという説はあるな。現実で生きる上では全く意味がないが、他人の事情を想像できる人は結構本を読んでいる人だけかも。
知らんけど、自分にとってしか世界がない人生劇場はあんまり楽しくないのかもしれない。
はい、おしまい。
おやすみなさい。
良い夢を。