よりょく

 

 

ビールを飲むというか、シャワーされる夢。乾杯のために注いだあと、何故か母親から親の仇のようにかけられた。余さず飲むように口を開けていた。ふと姉の結婚式の二次会を想い出した今。女の子とペアになって男が飲む役で何か飲まされた気がする。その後にやらかしは無い。あと、再会したい大学の友人の結婚式の前日に前乗りして1人でバーに行って居合わせた男性と朝方まで飲んで参加したとかもあるな。参列は靴下を忘れた以外はやらかしていない。

 

次のシーンは、なんというかグロテスク。どういった脈絡なのかは不明だが(それが夢というもの)、路上の格子状の排水口が見える。鼻血らしきものを出し、泡上の嘔吐物、お尻からも何か出ている感じ。救急車を呼んで下さいと言っているつもりだが、現実に発話されたかは定かではない。意識が遠のいていく。体の感覚も薄くなって、血の気も冷えていく。これが退場なのかという感じ。起き抜けもきっと体温がちょっと下がっていた。もちろん布団に排泄物の類の現実化はない。

 

あれかもな、村上さんのアンダーグラウンドを読んでいるから、現場の描写に対する共感内部で波打っているのか。退場願望自体は全然無い。ここからずんずん楽しくなるのに退場なんてしてられない。

 

 

さておき。

 

夢から醒めて身支度をしたあと、消費税について調べていたら出発が遅れてピンクの絨毯を見逃した。残念ではなくて、明日には二日分ピンクが増えていることが楽しみ。

 

消費税問題の発端は、満月さんからTwitterが盛り上がっているとの報告を受けたこと。消費税は預り金ではないという判決が出ていることが、インボイス制度になにか影響があるとかなんとか。租税法の本も無知の塔にあるのだが、消費税の項目を攫ってみても預り金という単語が出てこない。もっと深いところの話なのかという感じだった。

 

今朝調べてみると、1990年3月26日の判決であることまでは追えた。ただ、原文が見当たらない。こういう判決が出ていますという記事はたくさんあるようだが、これってニュースと同じで、抜粋の仕方とか読ませ方で意味はいかようにも変えられる。物理的制約で全文抜粋するなんてできないだろうし。

 

という感じだから、ちょっと考えてみる。専門用語は使う気がないが、その分正しさは薄れるから、正しい知識として読むことはおすすめしません。

 

税金ってそもそもなんじゃろうというと、対価関係がないところで意志とは無関係に発生して納付義務が生じるもの。なんで義務が生じなければいけないかという合理性は、国家が社会福祉的なサービスを提供するための予算という感じだが、消費税が上がっていったい何が潤ったのだろう。という感想は置いておく。

 

消費税って、実は租税法界隈に規定がない。消費とは何ぞやが定義されていないのに何故か発生している。租税は法律で規定しないといけないという税金を付加する根本ルールに反しているような。これもともかく。

 

消費税という名目なのだから、消費者が自身で支払っているというのが普通の感覚だと思う。実際に同じ物を買っていても高くなって家計に影響するのだから。こういう背景で出て来たのが、某判決だと解釈している。国民が負担している消費税をピンハネというか払っていない事業者は、国民との関係で違法だろうという訴え(想像)。

 

これに対して裁判所は、消費税を負担しているのはたしかに国民だが、これは商品とかサービスの対価として支払っているものであって、納税義務は事業者にあるのだから、税金を預かっているという預り金とは到底いえないという判断をしたとのこと。たしかに個人が消費税を支払わなかったとしたら契約関係において債務を履行していると判断されないだけというアレだが、国がいちいち滞納処分をしてられない。

 

例えば、源泉徴収とか社会保険料みたいに給料から控除される額面って労働者個人が本来ここに支払うべきものを集約して企業が国に納付しているという意味で、まごうことなき預り金になりそう。ここはピンハネしたらすぐさまお縄なのでは。罪名が横領罪になるのか、他の細かな法律の罰条なのか分からないけども。

 

こうやって、消費税を負担しているのが国民という一般消費者で、課税されるのが事業者という構造からすると、はたして免税事業者ってなんじゃろなとはなる。インボイス制度ってたしか免税事業者と課税業者の関係で消費税の負担がこれまで通り軽くなるには、請求書で税目が分かるようにする、みたいな。

 

最終的に事業者が一般消費者の負担をないないにできるのであれば、これって税という名前が付いて良いものなのか分からない。国家に入っていかないということは、社会福祉のサービスの財源になりようがないし。今のところ預り金であるかどうかの違いって、きちんと全額納付する義務が、対国家ではなく、預かった個人に対しても生じるくらいか。

 

インボイス制度がこういう制度なのだという説明は読んだことがある。税率が細かくなったからその細目を分かるようにするみたいな。でも、この制度が社会にとって良くなるという合理的な目的は語られていないような。軽減税率に新聞が入っている合理的な意味も分からない。効率で言ったら、新聞という紙媒体はペーパーレス社会の兆候から言えば不合理だし。電子版の購読でも軽減税率なのだろうか。

 

やれやれ。

 

不真面目に真面目な話を書いた。

 

日常生活圏ではいちいち合理で捉えると野暮だからやらないが、社会を考えるときにはベンサムさんみたいに全体社会の最大幸福みたいな視野で捉えないといけないような。

 

ちなみに、僕の固有な生活圏では特に合理的な選択はない。自分にとって有用だとかで人を判断しないし、ノブレスオブリージュではないけど、余力がある人が埋めたら良い。ただ、甘えるしかない人は断捨離。

 

社会って一枚岩ではない。昨日のBLの件で想ったのだが、人が社会、世間、当たり前の世界みたいな語用を遣うときに見えている世界は、当人が構築した当たり前の社会という枠でしかない。全世界で見たときには同性で婚姻があるのも知りつつ、素朴な社会観ではどうかという語り。

 

シュールレアリスムが脱却したかったのはこの世界観なのだろうなと思いつつ、普通は当たり前でこういうルールで人が生きているだろうなという安心感は生きていく上で暖を取るためには大事な部分。

 

心理的安全は、現実的安心ともセットだろうし。

 

そういえば、本日腰をいわした先生が、残業のところで硯が居てくれると安心と言ってくれたのだが、特に嬉しくはなかった。まぁそうだろうなというだけ。情ではないところで微妙に通じているからそれで暖を取る必要が無いだけで、言葉で嬉しくなることはないというだけ。

 

まだ月は2つになっていない。帰り道で見上げたこぶりな満月まであと2、3日のお月様も綺麗だった。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。