どう生きたいか

 

 

 

うどんを食べて誕生日2日目スタート。

洗濯と洗い物を分担して終わらせて映画を観に行く。

 

 

君たちはどう生きるか」。

以下ややネタバレが含まれる可能性はあるが、ネタバレしたところで面白さはそんなに変わらない気がする。

 

 

個人的にダットサンという単語が出たときに少し笑ってしまった。なるほど、小型でパワフルとはそういうことか。日本民法学の第一人者の本がそういう呼称をされていて単語だけは知っていた。

 

ストーリーは分かるようで分からないような、ファンタジーなようでそうでないような。満月さんの解釈だとシュールレアリスム的だとのこと。どう生きるかというのは世界がどう見えるかということで、内面と現実を擦り合わせて受け入れることだって。ファンタジーではなくメルヘンとのこと。

 

観た人の口コミも少し読んだ。

エドガーアランポーの「アッシャー家の崩壊」(既読)とか、シュールレアリスムのマネとか、不思議の国のアリスとか、モチーフになった作品を解読して楽しんでいた。これも1つの観方。

 

僕はあんまり難しいことは分からない。何がモチーフになっているかよりも物語そのものがどうなのかというところで読んだだけ。面白かった。面白い作品は通り過ぎるものではないから、何回観ても良いというくらい。オーウェル1984年も2周目になっている。

 

観た印象。自分の幼少期の世界のちぐはぐさを思い出す感じ。あの頃は不思議なことが日常的だったなぁって。現実のメカニズムが分からない状態で見る現実は魔法のようなものだし、変な話、怪奇みたいな経験もしていたかもしれない。忘れているだけで。

 

そういえば、ジブリだと言うのに映画館はすかすかだった。宣伝が無いからお金を払ってまで観る価値があるのかを測れないのかなと想像する。個人的には何か教訓とか感動とかのエンタメを求めるのではなく作品に没頭できる人にはおすすめな作品。

 

そうしてもう少しネタバレに進む。

 

 

主人公が引っ越してきた田舎の富豪のおうち。なかなか気味が悪い。石で作られた階段の縮尺も何かおかしいし、奉公している老婆もうぞうぞしていて、千と千尋の神隠しのファンタジー調になっている。ただ、これって主人公がもともと住んでいた慣れている世界からすれば異界だから、主人公の視点で見ればそういう風に見えるのは当たり前。冒頭の火事のシーンも縮尺がおかしいのはきっとそういうこと。

 

小さい頃親戚のおじいちゃん・おばあちゃんちに行くと異界みたいな気分にならなかった? 異質なものは見え方が現実の寸法では測れなくなる。

 

おそらくこの辺りを不思議の国のアリスと表しているのだと思われる。

こんな現実の伸び縮み性は一生変わらないと思うが、育つにつれ、縮尺が現実のメートル換算と一致する領域は増えてくる。

 

冒頭辺りに父親が主人公を守るために烈火のごとく怒る顔が出てくるのだが、この顔がやたらと醜いのもそうなのか。顔のバランスがおかしくなっているような。

 

そうして、非現実の世界に入り込んで行くところはなんとなくトトロっぽくもある。敷居を越えるというか、領域が変わるというか。

 

ほんとうにその世界があるかが証明できないという意味ではなかなかファンタジーなのだが、内面の葛藤の世界をデフォルメして表現していると解釈すると主人公にとってはほんとうにあった現実との違いはない。

 

だとすると、塔の存在って、時空を越えた普遍性になる。塔の中からはどの時代でも一定の空間にアクセスできる。人の生き死にとか血筋の継承も特に意味は無く、いつでもどこでもあったもの。亡くなったとされる母親は同年代になっていて、母親の妹である次のお母さんはそのままの姿。もののけ姫のこだまみたいな「わらわら」とペリカンの関係性もなかなかえぐいのだが、命の螺旋とはそういうものだという受け入れの過程のような。

 

満月さんの解釈だと、1言で言うと、主人公が次の母親を受け入れる話となるとのこと。たしかにこの視点で見れば物語は一貫している。インコとペリカンがグロテスクなのも、もともとの最初の世界って気持ち悪かったし。物語というよりは成長譚になるが。

 

僕も満月さんとは割と近いところで読んでいる気がする。

ただ、僕は主人公と同じ少年であったことがあるから、ちょっとした冒険譚しても読んでいる。タブーとされているところに踏み込んで変な体験をして、現実を拡げていくという世界観みたいな。

 

この作品は賛否両論があるというのを聞いた。

何か腑に落ちる物語を求めて行ったら、よく分からないということになるから低評価になるだろし、自分の現実を作品に投影せずにそのまま見られる人にとっては面白いアートとして鑑賞できるだろうし。いや、どんな作品であっても自分という目を通さないことは在り得ないから、この書きぶりは微妙に違う気もする。

 

個人的に細かいなと思ったのが、主人公の頭の傷。結構生々しい傷だったのに非現実世界に入り込んで絆創膏が剥がれたときには、傷跡くらいになっているから、現実世界で時間が経過していることを表現しているのだろうなって。

 

実際は知らないし、別に製作者とこの見解をすり合わせて正解を決める必要もない。

あぁ、なるほど、正解を求める人にはつまらないし、正解が無くても問題ない人には面白い作品というのが正確なのかも。

 

知らんけど。

 

感想文だけで終わってしまったが、そういう日があっても良い。

 

ということでここまで。

 

 

おやすみなさい。

 

 

良い夢を。