ふふん
愛を現物化すると何が一番近いかということを考えていた昨日の帰り道。愛は概念であって物質化できないというのが真理ではあるとは思うのはともあれ、人は物体として生きている。というところで考えると、自分にお金をかけてくれるという指標は結構代替物としてアリかもしれない。人の命も司法の場では金銭換算される。
いや、これはお金が命と釣り合うのではなく、現代社会だとお金は価値という概念そのものと信用されているから、命の現物化に釣り合うとされているだけであって、命も基本プライスレス。
愛に戻って来ると、プレゼントとか金銭換算できるところにはなくて、ご飯を作ることかなと思う。衣食住つながりで掃除洗濯も含めていくと専業主婦とかお母さんは愛の体現者。ただ、これは自分ルールでやっていると義務になるし、何で自分の愛を受け入れてくれないのだという独善になってくる。
「バンビーナ」という料理漫画で、かつての天才と主人公が料理対決するシーンで、試食者が疲れている状況を加味して料理を作る主人公と、自分のメイン料理のレシピをそのまま再現する天才と。主人公の方が現役だという感じで勝ったのだが、プロだったら自分が美味しい、正しいという料理を毎回提供できる方が勝ちなような気もする。だって相手の個人的な味覚とか状態を感知できるような前提は飲食店にはない。
具体的に提供できる対象を相手にしていれば話は変わって来る。
本日の満月さんのリクエストは豆腐ハンバーグと豆苗サラダ。ハンバーグはすみません、失敗した。卵なくてもまとまりそうだったが、最大の失敗は使うフライパンの選択。ティファニー印ではないのを選んでしまったから張り付いてほろほろになってしまった。そもそもとして、あんまりハンバーグに愛がないからとも言える。美味しいとは思うのだが、そこまで練る時間をかける意味とは。これはまだ一度も作ったことがないロールキャベツの感じとも近い。
豆苗サラダは、なかなか完成度が高くなっている。しんなりした食感も美味しく食べてくれそうだが、豆苗の醍醐味は生のシャキシャキ食感。クエン酸をお母様印の梅干しにしてみる。はちみつ漬けだから甘味も追加。豆苗だけだと青臭さが否めないため、冷凍で残っていたささみを解凍してレンチンして裂いて加える。ささみと梅肉の相性はいい。
どちらも頑張って作ったが、別にクレームがあっても問題ない。ずっと同じ料理は作れないし昔の杵柄への固執もないから改善点が有れば素直に直すし。
満月さんが硯はこういう味付け好きだろうなと作ってくれたらなかなか面白い。お互い料理できるとこういう醍醐味がある。よりご飯が美味しくなっていく世界線。
やれやれ。
それにしても、イチケイのカラスが面白い。前職の先生が映画を観に行っただけある。穿ったオトナの視点から見れば若干司法が親しみやすいというキャンペーンな感じもあるが、面白さは変わらない。
正しい真実って何だろうな。いや、社会的な世界は現実だから、現実を皆が気にすることは分かりみ。僕も現時点では現実的な存在価値はちっともない。
このドラマの価値は、あくまで認定事実からの現実なり真実であって、そこにある内心もドラマチックなところ。これが世の中で映画化されるくらい人気になっているとすれば、内心も現物化されるという非現実が舞台として面白いのだろうなという穿ち。
満月さんと1年ちょっとお付き合いしているが、現物化されたことから全部分かっているなんて言えない。未来を気にする傾向はあるが、いまで生きている感もあり、過去を気にしている感もある。
でも、人がそう見えるということは、自分にとって相手を鏡として見ているからなんだよな。自分がどうであるかなんてどれだけ内省しても分からない。だから多角的に自分を把握する必要がある。
こういう意味で、もっと人に関わらないと思って来たから、友人枠をもっと開放しないという次第。喫緊だと満月さんの友人がやってくるらしい。パートナーさんの友人に全部の自分を出すというのはやり過ぎな感じもするが、そもそも僕が出せない全人格は誰かを誹謗中傷して存在価値を見出す訳ではなく、きちんと個人で関係したくなる質。友人さんは僕を犬のように従順で可愛いパートナーと評していたみたい。雨で傘を持ってくるとか、車の中で雑談していた時に迎えにきたで評価されたはず。
なんだか面白いので、小躍り硯も見せた方が良いかもしれない。満月さんは実家の家族にこれを見せたいらしいからなかなかやばい人。まぁ僕の小躍りは気持ち悪いだけで、何の害もない。母親にはこの姿を見せられないって思うのは、僕が壊したくないのは、母親から見た僕像。
満月さん一家との邂逅は色々考えさせられて面白い。それぞれ個別に話したらもっと面白そう。それぞれ唯我独尊なのに、ぎりぎりバランスが取れている。個人的に気になるのは男性陣。お父様も弟勇者もサシで話したら家族のことを悪くは言わない気がする。僕の立ち位置としてそんな話を聞ける世界線はいまのところ無いだが、守秘義務が信頼されたら在るかもしれない。満月さん一家は家族間の情報をちゃかすから、ここだけの話が成り立たない。
見通しが良いというのは確かだが。良過ぎると監視されている感もある。ちゃんと生きているかという心配は愛と思わせてやんわり自分の中の相手の存在がそのままでアレという感じもあって窮屈。
僕が改善すべきは母親との関係性。ゆるゆるしている自分であることを表明するのはなかなか微妙だし、きちんと話し合いができるような関係になったら、何故父親を見殺しにしたのかということを聞きたい。別に刑法にかかっている部分ではないのだが、ほんとにパートナーだったらもう少しやりようがあったのではって。もちろん自分がしんどかったから相手のこと想う余裕が無かったということは在りうる。
こんなの聞かないと分からなくていくら想像しても仕方ない。
別に真実を知りたいのでもない。ここが知れないと関係が再構築できる気がしないだけ。要は真実ではなく、主観が知りたいだけ。客観で見られると自分も他人もしんどい。
主観はその人にとっての現実観。僕の現実観は更新しまくっているから、定点でしか見られない人からは、離れてしまっている。定点ではなくなれるためには人間関係ではない客観的な動力があるべく。これがテレビだったら、僕はテレビを見ないから合わない。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。