進捗

 

 

 

21:41から。

 

午後から出勤の満月さんがメインのカレーを作ってくれて、洗濯もしてくれていたから早く書き始めることができた。

 

サラダはおつとめ品のフリルレタスをちぎって鰹節をかけて、ごま油、りんご酢、塩、ハーブソルト、にんにくチューブのドレッシングをかけたもの。生野菜があまり好きではない満月さんも食べられる感じだから残しておく。

 

副菜は有川浩さんの「植物図鑑」に出て来たピーマンの胡麻和えに人参を加えてアレンジした。「アレンジ」って、日本語の語感だと変化を付けるに近そうだが、本来は「采配」みたいな感覚なのではないかと想ったり。本質はそのままにしておくというニュアンス。

 

こういった時間をかけずにちょろっと作るスキルが香ばしく仕上がっている。

 

 

さておき。

 

本日のお仕事は店長と2人きりで、ノン転移フル。

たまたまふらっとやってきたお客様の応対をしてアドバイスをいただいた。なんというか、先輩女子に対するほど当たりが強くない。そういう事情だったら仕方ないよねと。

 

アドバイスの文言の中に、あれじゃあ普通の営業マンの応対であって面白くないことになっているというお話があった。

 

結果的に足りないことは自覚しているし、足りたから成果が出る世界でもないのは分かっている上で、あれ、未経験の入社半年で普通レベルまで行っているのであれば上出来でないかと。

 

調子が悪かったら、足りない方に焦点が当たって凹むことになるのだが、凸の方に目が行くということは調子が良いということ。

 

ただ、この先のスキルとして共感する、ワクワクさせるというのはなかなかハードルが高い。後者の方は、なんとなく分かる。生活を変化させるってホメオスタシス的に陰鬱なことだから、切羽詰まらないと行動エネルギーが起こらない。だから不安を拭ってなるべくプラス方向に意識をもっていくというお話。

 

前者はなぁ。

僕がそもそも共感されることに全く嬉しみを感じないということもある。共に感じてくれる人に親しみを持つという傾向も分かるのだが、ほんとうに人ってそれで動くのかというところがやや疑問。

 

技術としてやるというのというは修練すればできるだろうとは思う。

 

ただ、僕が嬉しいのは、共感ではなく理解だし、理解してくれる人だと思われた方が求心力を生じるのではという気はする。共感は自分と相手が属する世界が同じということで、理解は自分が属する世界ではないことでも肯定的に許容するという感じ。あくまで僕のイメージだから共感と理解を同じことと捉えている人も居るかもしれない。

 

一般的ではない特殊な話を切り出せるのは、同じ世界に属している人でもあり、別の世界でも抱擁してくれる人でもあるとすると、アプローチとしてはどちらもありうる。

 

とすれば、どちらかに偏らず、使い時によって変えていくということになるか。

理解は共感も包含していると考えてみて、共感ポーズも時折使ってみるとか。

 

試行錯誤が出てくるというのは遊んでいることであり、楽しんでいるということ。

 

 

やれやれ。

 

どうでも良いけども、一昨日の日記がちょっとだけ人気になっている模様。

良いことを書いた気はしないのだが、記号としての言語の意味の広狭の話が面白かったのだろうか。

 

好きに読めば良いという立場だからあまり知ったことではないが、読み返しに行ったらごてごてにデコレーションされている記事が多くて、装飾しない文章体だとみすぼらしくて釣り合わないなという気がする。だからといって、装飾をふんだんにして読み取り易くしようという気は全くない。装飾は読み手側への気遣いではなくて、文章体としての存在のお化粧みたいなものと思っているもので。

 

いや、お化粧は気遣いだという反論は、ただただ正しいとは思う。

したくないならしなくても良いし、しないといけない場ならするしかないというだけの話。

 

 

かえるくんの最期は相変わらずグロかった。

グロさでいうと、読んだだけで変な唾が出る乙一さんの短編とか、歌野晶午さんのやつとか、虫の話でグロい話とか(作者さんは忘れた)。

 

あんまり読みたくない感じではあるが、現実のグロさとは感覚が微妙に違うから読んでも特に吐き気を催す訳でもない。

 

あんまり読みたくないと言えば、「ノルウェイの森」もそうかもしれない。

面白いのだが、諸々影響がある。この意味で言うと個人的には沢木耕太郎さんの「無名」とか、重松清さんの「流星ワゴン」なんかもある。この2作は面白いのだがあまり読み返す気がしない。

 

最後の恒例にするかは定かではないが、聖書の話。

 

僕はキリスト教信者ではないのだが、聖書を読み物として捉えるとかなり面白い。

 

どういう風に解釈するかによって流派が分かれるのかは知らないが、かなり開かれた物語だと思う。

 

カインとアベルの話って嫉妬が罪であるという読み味だけども、その嫉妬を芽生えさせたのも神様なんだよな。神様が供物に優劣をつけたから、その後の悲劇が生じた。にもかかわらず神様は他責として語る。

 

この塩梅が統一感なくて面白い。

 

はい、本日はここまで。

朝髭を剃るときに眼の下の隈が濃くなっているから、もう少し睡眠時間を延ばさねば。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。