主客

 

 

 

本日は満月さんが早上がりで鍋を作ってくれた。赤から鍋辛旨。若干頭がぼんやりしているのは自転車外回りのご愛敬。筋肉と体力が付いている気がする。仕事には不要だが現実ではあった方が良い。エアコン冷えに影響されない体力。

 

仕事に必要だろうなというのは、車で運転するより道を覚えられること。道のりに関してはあんまり意識しないようにしていた。だってその方が迷子になれるし。しかし仕事で迷子している訳にはいかないので、仕事として意識するフィールドを拡げる。今のうちに近場の道は網羅しておこう。

 

 

本日の仕事は、何か本社から事務作業のお触れがあったようで、店長と先輩方はデスクワークをちくちくやっていた。その合間にちょっと外回り。先輩男子に写真の構図に駄目出しをされる。たしかにセンスがない気がする。まぁセンスがある領域なんて僕にはないから、ごり押し修練でなんとかする。先輩男子が言うことも店長が言う事も分かるから、そのうちまともになるはず。

 

どうでも良いが、先輩男子に雑談を振ってみた。この人は某有名ドラマで最近エキストラをしたという話を聞いていたから、ドラマ観たけどまだ日本編になってないですねって。先輩男子、まだ一話も見ていないらしいとのことで空振り。

 

先輩男子と先輩女子の雑談にも聞き耳を立ててみたが、なかなかの中身の無さ。名詞というか物体がないと成立しない。車と着物の話をしていた。いや、これって若者だからではなく、普通の雑談ってそういうものだと思う。物体から抽象化された概念で語り合うのはかなりの空中戦になってしまうし。空中線だと物体に根差した証拠がないから、証明が難しくなる。

 

具体例だと、何かトヨタが新車の情報を開示したということで熱い先輩男子が、車に全く興味がない先輩女子にその熱さをイメージさせるために、先輩女子が趣味にしている着物になぞらえていた。お互いが理解されたかはともかく、会話は成り立っていたのはたしか。

 

 

この文脈で僕が好きなことを聞かれたとしたら、「ひまわり」と答えるだろうなと思った。なんだか活力をいただける花でない? 

 

ただ、こんなことを答えると会話が噛み合わない。好きだから所有するという物概念ではなく、よき物は見ているだけで好きで問題ないという観念だから、なんかオカシイと思われてしまう。僕は収集癖みたいなものはないし、コレクションして悦に浸ることもなく、所有する物は機能があればだいたい何でも良い気がする。

 

別に唯物観的な考え方は否定すべくもない。物が意識の客観的表象というのはある意味当たり前の話。ただ、これって、意識と物に断絶があるとも言える。断絶があるから、所有概念という媒介を持ってくる必要があるというか。

 

まぁ、たかが雑談でも、物と無関係な意識的な感じを語り合えるのが良いなという感じ。

事実をどう解釈したかの話は結構感じ寄りだが、解釈の指針が自身でないと、誰でも同じ解釈になるよねという共感しか求めないことになる。

 

共感脳って日本人になかなか根付いているような。

僕がnoteで時々スキを押すのは、共感的要素は一切なく、単に面白かったり、頑張って下さいなという励ましだったり、自分と連動させて読んでいる訳でもない。

 

岡田さんの動画で、某情報番組が取り上げられていた。

ロシアの人の感性は日本人には到底理解できないということを某ミなんとかさんが主張していたらしく、これって翻せばロシアの人の感性を理解できるような人は日本人ではない非国民ということよなって。こういう風潮が苦手と言っていたが、僕も苦手。

 

金八先生でも、性表現の話のところでマドンナ的な先生が女性の立場でけしからんみたいなことをやたらめったら主張していて、これはどうなのかと顔をしかめていたら、満月さんがもう少し先まで見れば良いと表情で合図をする。このマドンナ先生は金八先生に窘められていた。1女性の見解としては問題ないが、教育の現場でそれが正しいという空気感を出すのは違うって。

 

表現の自由って、風俗なり文化なりの一般的な風潮に対抗するものだから、善良な表現をする自由みたいな条件付けをすると歪むのだよな。そこで利益を得るかどうかは表現の自由自体とは特に連動していない。もちろん、共感的な精神性からするとけしからんみたいな感情がおこるのかもしれないが、犯罪のけしからなさとは比べるべくもない。いや、感情としては、歪んだ表現で利益を得ることの方が、不倫くらいのけしからなさかもしれないけども。

 

正しい方法で利益を得るべきという感情も相当に教育された精神から出てきていると思われる。どちらも好きなようにすれば良い。犯罪にならない限り。ここで言う犯罪は感情としてけしからんではなく、法律で規定された違法行為をしない限りというだけの話。

 

違法行為が善悪に係っているのであれば、戦争状態で他国の人を退場させることが適法なのがおかしいから、あくまで領土内での違法行為かどうかで見ている。どんな状況でも善である行為も惡である行為もきっとない。秩序を守るためにそれがアウトになるかどうか。

 

かといって、僕は別にそんなぎりぎりを攻めるつもりもないのだが、書いているということはそんなつもりがあると解釈される可能性は結構ありそう。表現しているということはそれが意識にあるのだという説。たしかに意識にはあるけれど、実際に行動になるまでのハードルは果てしない。

 

 

やれやれ。

 

本日はこの後、やっとこの前見つけた64スマブラでちょっと遊ぶ予定だからそろそろ納めなければ。

 

また明日も仕事で楽しんできまする。

 

では。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。