なんともなんでも
22:24から。
親子丼と汁物をリクエストされたもんで、脂肪分が少ない豚肉の切り落としで豚汁をこさえた。昨日のジャージャーうどんはやんわり不評だった。中華系は練度が低いから仕方ない。1口食べたが、たしかに味が纏まって無かった。
和食は練度が高いからきっと大丈夫。
和食の神髄は出汁とバランス。そのうち自分で取り出すかとずっと思っているが、そこまでの精度は求めていないらしい。
親子丼を作りますとお仕事の帰り際に先輩女子に言ったら、「私もたべたくなった」と言う。ここまでは良い。僕が、「まぁ簡単に作れますからね」と言うと、「焼いて卵でとじるだけですもんね」と返される。てきとーに流した。親子丼は焼くタイプらしい。
僕はしっとり系で作るもんで、それなら焼き鳥の卵とじ丼だと思うが、満月さんに話したら、そういう作り方もあるらしくて更新された。
お仕事の話は、非現実で部屋探しをしている人の相手をするより、現実で行動できたり、社会的な思惑を把握できる人の相手を重視した方が良いという一塊があるのだが、なんとなく省略。脳内で移動しようとしている人って、最優先事項が自分の事情だから、他の事情に対して許容できない。そんな視点で見る世界は、自分にどれだけ都合が良いかということで価値が決まる訳で、こちらもお仕事なので、そこまでその人の世界に阿ることができないという。
できることは可能な限りしようとするけど、社内規定とか諸々の事情を加味してお客様のご都合に完全に合わすことができないのがお仕事だし、その事情を世界とできない人に対しては、クレームならないくらいに距離を置くしかない。
この世界観って別に知能とか知性とかではなくあるから、なんだろうとは思う。
その人も内側の世界で人間関係はまともにできているはずなのに、対外になると途端に敵対化するという。
考えなくても良い項目に対してはどれだけ文句を言っても良いというのはあるのかも。
僕は経年すればするほど、どの方向に対しても文句は言えないなと思う。
コンビニが並ぶのは店員が足りないからだし、お役所仕事のレスポンスが遅いのは上に決裁を求めるからだし、自分の素朴な世界観では居れらないのが社会。
人を介すれば介するほど、リアルタイムにはならない。
それを踏まえた怒りなら分かるけど、怒りのほとんどは世界がままならないお子様のぐずりと疑似なような。これを読んでいるような人は誰かからそういう風に怒られたことが多いタイプな気がする。知らんけど。
やれやれ。
全然日記が進まないのは、魂レベルが上がっているかもしれない。
魂レベルのスピリチュアルの話はなかなか面白い。
相談事を受けることが多くなるとか。
ちょっとお父様とお話して、今の僕では対応できなさそうな案件というか宿題が起こっている。できる限り調べるし、お仕事ではないから失敗もない。単に、知り合いへの相談事という感じ。越えるべきハードルというプレッシャーも無い。
別に満月さんとの関係を保証する為の父母ではないし、満月さんを介してたまたま出逢った面白い人達という感じ。
スピリチュアル系の話は最近よく流しているのだが、この話の魂の解釈って、結局、交換できない資本主義の引き直しなんだろうなと見ている。この世界観で僕は生きることはないなーとしながら、面白がっているだけ。
人が輪廻転生して、魂が修行する為に肉体を転生しているっている世界観。一昔前の僕なら分かっていたのだが、いまや、そもそもなんで修行しないといけないかが分からない。
魂というか、当人の存在自体を更新する為になにかしらの行動が必要だということは当たり前だと思うのだが、魂という不可視なものに天秤が触れすぎなな感。
ポジティブな傾向に成れば良いみたいな世界観っぽいけども、これって世界の前提が悲観的であるからなのだろうなと。
なんでポジティブにならないといけないのかの意味も分からない。
僕は肯定的に世界を過ごしているけども、前向きである必要も無いと思っているし、前向きと人と関係したいと思わない。
この世界観だと、魂レベルが上がれば上がるほど苦しくなる模様。
人と関係すればするほどかつかつになる。
結局は、どういう世界観においても、自分が楽しめるかどうか。
安定でも安心でもなく、なんなら修行みたいな苦しさでも無く、自分で在ることを楽しめるかどうか。
世界が苦しいみたいな世界観のスピリチュアル系は採り入れることはできても、ほんとに高次だったらもっと他の世界を呈示できのではという気がするから、読むことはできるけど、世界線がずれているのだろうなと思う。
どうでも良いけれど、本日は世界線のズレの脳内文章は起こらなかった。
なんだっけ。
僕は修行しながら生きることはしたくないから、あくまで楽しくなるように生きるだけ。
おやすみなさい。
良い夢を。