脳内は非現実
22:29から。
遅い訳ではない。仕事が忙しくなってきてずれ込んでいる感じ。
本日は帰ってきてから洗濯をしながら、タケノコ水煮入りジャージャーうどんと鶏モモ肉と豆腐としめじとネギの煮物とレタスとブロッコリーとトマトのサラダを作った。
食材はふんだんに食卓にあるのが良いのは、田舎育ちだからかもしれない。
お仕事。
ちょっと消化不良な感じ。
エネルギーだけ使って、甲斐が無いからかと思っていたけども、ふと異説が出て来て、そういうことかと自分の腑に落ちている。
最近某メンタリストさんの動画と併せてスピリチュアル系の動画も見ている。
人間には魂がある人と無い人が居るとか平等主義の人間観だとけしからんとなりそうだが、個人に視点を寄せれば、なんとなくホログラムな人とそうでない人という分け方は、脳容量的に当たり前なような気がする。
通りすがりの人も含めた全ての人を個人と捉えるなんてキャパオーバーということをなんとなく意識高い感じで語っているだけな可能性もある。でも、こういうアングラ、いやハイスカイか、の話も美味しいところがあると思っている雑食。
この界隈の話は、実生活にはあまり使えないのだが、意識の中で参考にはなる。
陰謀論も面白いけど、だからどうしたら良いとかどうするのかみたいな話にならない以上、2チャンネルの掲示板の読み物な感じ。
読む分には優劣はなく、単なる味の好み。
意識高い系の記事とか、ダイエットの記事とかを読んで知恵が付いただけで、自分が変わったつもりになる人が居るかもしれないけども、これって世界線の可能性が拡がっただけであって、そこまでだったら実際に世界線が動くことはない。
意識って実体とは別だから、おそらく世界線の可能性だけで満足できる。
肉体は魂の器であって、3次元的な苦楽を感じるための乗り物みたいなものであるという説がBGMで流れてきて、個人的には分かりみだが、こういう話の難しさは、魂が検証も鑑賞もできない概念であること。言葉で定義できない人間の物理外の領域があるのは当たり前で、そうでないと、人間世界はここまで発展しなかっただろうし。
憎しみとか苦しみも、結局のところ人間劇場の中でしか通じない概念。
何もできない時間が苦しいとか言ったら、セミに怒られる。
こういう話は信じるとか受け入れるとかではなく、楽しく使えそうな部分だけ採り入れて実践すれば良いような。意識的に取り入れるかどうかではなく、ちゃんと実践するかどうか。頭の中というか意識は高次元なものを採り入れなくてもだいたい5次元くらいだと思うし、ちゃんと肉体に乗っているのであれば、その肉体を動かすと恙ない。
ともかく。
今日のお仕事での消化不良の異説。
応対が終わって帰った後に、もっと方向性変えられたよなと、想定的問答が起こる。
昔は頻繁に起こっていたから当たり前としてあまり気にしていなかったけど、これって無意識からの世界線がもっと楽しい方向に移動できたという示唆なのかもとなった。
この無意識は、解釈によっては神様としている人も居るかもしれない。
神社で何かを願うときの神頼みって、いったい何に願っているのか。僕はお参りするときはこうなるんで見といて下さいみたいなことしか言わないようにしている。
僕が楽しいのは、僕を使って相手の根っこにたどり着いて盛り上がるところ。
その延長に成果があるし、そこを目指すお仕事なのも分かっているけど、過程が欠落すると個人的につまらないし、相手も面白くないだろうなと。
過去に向けた想定問答も、未來に向けたこれも、脳内に展開される人は世界線がブレていて、あんまり自分に馴染んで居ない人としてみる。
別に、ほんとうは言いたいけどこれだと相手を傷つけるから避けるみたいな話ではない。
ここだと世界線はブレてないから言わない方が良いと思う。言ったら変わるけど、それで変わる世界線は未知数。あぁ、この界隈でも変革はありうる。
例えば、同棲の為の部屋を探している人に対してどうでも良い話として、僕も同棲のお部屋で住んでいるという相手にとっての相手(僕)のことをもっと語った方が僕も相手も面白くなっただろうなという世界線に乗らなかったからエネルギーが無駄消費されていたというお話。
あんまり意味分からないと思うけども、自己以外の視点を検証するような学問をやってきた人なら通じるかもなという次第。
ここにはエネルギーほとんど使ってないから、読まれるか読まれないかはほとんど気にしていない。読まれるから書くという需要供給ではなく、書いていることが読まれるのが単に嬉しいことだという一方通行。
ここまで。
おやすみなさい。
良い夢を。