辞める自由

 

 

朝ごはんはカルピスソーダを自販機で買った後、沖縄のそばのカップ麺をゆっくりと食べた。僕の周りだけかもしれないが、自販機がどんどん撤去されている。省エネなのか採算取れなくなったのか(人と対面せずに変えるのだから需要があっても良さそうだが)。休日の朝は陰の者で、家の辺りの自販機を巡りがち。カルピスソーダ美味しい。

 

 

なんだか土曜日が調子出なかったという自覚があったため、試行として、朝食の後にお風呂読書をしてみた。無知の塔1つ分と半身浴で汗だくで頭すっきり。ただ、出てからはあんまり本は読まない模様。1回アンインストールしていたアプリを再インストールしてちまちまやっていた。

 

昼ご飯はレンチン豚丼と残りのひじきをいただく。夜ご飯の副菜は春菊の胡麻和え。

 

 

きちんと任意的に過ごしているはずなのに、タイミングがどうもうまくない。クリーニングに出したスーツを回収するのが遅くて、明日仕事前に回収しないといけないし、おべんきょもうまく進まなかった。一応、もう少し身動きつくようになるんだよと言い聞かせてはみているつもりだし、法律学自体は面白いのだが、如何とも。

 

 

この辺りから、僕の宇宙人的スペックに関わるところを想像する。

宇宙人的スペックを持っている人の見分け方で、オーラが透明という話があった。昨日書いてなかったのは抜けたのかあえて抜かしたのかは不明。

 

人の存在感としての「オーラ」みたいなものがとんと分からない。ただ、村上作品でいうところの「影の薄さ」という感じなら分かる。だいたい皆薄い感じだが、とりわけ薄い人が居る。僕も薄い側ではあるだろうな。陰を存在の実感とすると、あんまり自分の存在性に実感していない人がだいたい薄いような。

 

まぁ薄いからどうとかいう話ではなく、そういう人が居るというだけ。

薄さも一義ではなく、他人を巻き込む薄さもあるし、巻き込まない薄さもある。

 

 

このオーラとか影とかって、変な話、人間的文化的な価値観によって自己を確立できているかどうかのような感じ。外から見るとなんでそれを自分の選択だとできるのだということがいっぱいある。でもそこで過ごすことを魂が決めているのだろうなという良い表わし。

 

DNAとは別の指標が人にはあるらしい。

 

 

言葉にすることが凄く難しい領域になってくる。

 

 

言葉ってそもそもなんぞやということが気になってくる。人って言葉に信用を置き過ぎでは外から想っていた。言葉は存在を顕すだけであって、言葉に依って存在が決まるものではない。

 

いま、世界線が分岐しそうで凄く阻害されている感。言葉はもともと既定の要素が強い。

 

僕はもともと言葉で世界を思考しておらず感じでしか捉えていない。本日は調子が良かったはずなのに、ほとんど何も言葉化できない。記録としてやろうとすればいくらでも書くことは在るが、それで何に成るのか。

 

ここから捉えると、僕の漂流文の言語化はあえて頭の回転を遅くして世界に合わせることによって成り立っている。ギアの任意性は別に良い。早く動けるのは遅さにも合わせられることだし。遅く動くことが言葉。

 

言葉はあくまで世界線を共通軸にするための道具であって、存在そのものではない。

 

ここから面白くなってくるのが、タイミングの悪さにについて。

ある試験の前日に妊娠したって嘘を付いた人が居た世界線もあるし、僕の魂はそういうのを求めてないのかもなとなっている。

 

逃げとかではなく、本当に求めているのであれば、とっくに成っているという感じ。

継続できない人格でもないし、単に場所が取れないだけのではと。

 

試験受けなくなっても、法律学は読むしなぁ。

 

相対価値ではなく、絶対価値が良い。

こうなってくると、何を職にするかとなってくるが、たぶんそのうち天職もやってくる。

そうそう、こういうてきとーに遊ぶ人格だったわ。

遊ぶ為に地球に生まれてきた月の人。

 

たぶん、言葉にまつわる職になるのだろうな。知らんけど。

また解放。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。