みじかい
21:53から。
文章を書くことと車の運転をすることはどちらが難しいだろうか。昨日社用車を運転している時にふと思った。
僕としては今のところ後者の方が圧倒的に難しいのだが、これって毎日できないから。車の運転もだいぶ馴れてはいるし、たぶん高速道路に乗っても大丈夫だろうとは思う。速度域が上がるだけだし、上がっている以上、道路も広いし信号もないし歩行者も居ない。ただ、細かい車体感覚とかは日常でやってないと身に付かない。見えないところにある車体がどこまであるのかみたいなことが希薄な中、ふわふわしながら運転している。
ふわふわ繋がりで、車を運転している時って、時間軸が変わる。この話、普段車でしか移動しない人には意味分からないと思われる。あくまで感覚的な話。早歩きで歩行移動もするし自転車通勤もしているからかもしれないけども、それぞれ時間の流れ方が違う気がする。
完全に相対性理論の体感化。時間の流れは速度によりけりみたいな話。歩行移動が一番好きなのは、世界がきちんと身の丈で捉えられるから。電車とか飛行機とかも乗っているだけで自分が動かしているという意味では割と時間は止まっている。これも楽しい。
景色の移り変わりの速さとそれを動かしているのが自分なのかどうか。
時間って肉体感覚として絶対的なものではないよなというだけの話。
通じるつもりがないと話が捗るなぁ。
文章については、通じるかどうかも気にしていないし、自分の中の試行錯誤だからとりあえず形式だけ整えて(?)、自分の存在感覚の中でしか書かないようにするだけ。
文章に虚飾はあっても良いと思うから、別に嘘ついても良いと思う。
言葉って嘘を付ける機能も付与されているから、この嘘が創造性にも繋がっているし。
創作外の現実で言葉上の嘘をつくと、それは当人に返って来るけども、嘘にならない語用もあって面白い。
前置きが長くなり過ぎた件。
もっと長々書いて読み物として成り立ちたいのに、こんなの普通のブログっぽい。
現実としての所有権。
この話は個人的に面白いのだが明日に回すことにして、ここまでにしとこう。
では、また明日。
おやすみなさい。
良い夢を。