こうしん

 

 

次の試行は文章を書くこととアルコールの切り離し。普通は連動しないが、垂れ流しの為にセルフパブロフの犬化させていたものを終了させる。

 

昨日は切り替え日。

 

夢では何かわいわい過ごしている中、僕は密閉された軽トラックの荷台に閉じ込められ運ばれる。途端、幽体離脱し、あぁもう終わったなと思う。一応探して呉れる人達がいて、どうせ間に合わないだろうが、追ってみる。どこかの木々に囲まれたちょっと広場で見つかり、肉体は人形のようにくたっとなっていた。心臓を叩いてくれる人も居たのだが、復活はなく何故か本当に人形サイズになり、宙に放り投げられていた。その後のシーンでは何かの管(リアルなものではなく、ストローみたいなものがたくさん見えた)のような断面を見せられ、これって人間の断面なの? そうなんじゃない? いや違うだろう そうなん、じゃあ最後に棺を担ぐのやめていい? というような会話が繰り広げられ、夢は終わる。

 

目が覚めると、終わって居なかった。なんとなく心はすっきりしていて、今日がこれからの人生の始まりの一日目なんだよ~♪みたいな感じ。帰りは夕飯の食材が十分だったため、本屋には寄ったがスーパーには寄らず。精神衛生上良き。別にお酒を飲まなくするのは健康の為ではないが、昨日と本日の食卓にならんだご飯を見るとひとり暮らしでこれほど健康的な晩御飯を食べている人はあまりいないだろうから、外からすれば間違いなくそう思われるに違いない。ただ、煙草は吸っているから矛盾とか思われそうだ。

 

昨日のメニュー。レタスと目玉焼きのサラダ、納豆ごはん、厚揚げと小松菜とぶなしめじのレンチン煮浸し(作り置き)、鶏もも肉と茄子と人参のケチャップ炒め。本日。作り置きの残り、人参と新ごぼうのレンチンきんぴら、目玉焼き、豚肉と青梗菜の中濃ソース炒め、納豆ご飯。

 

お酒を飲まなくなると、時間が長くなる。昨日は風呂上りにカモミールミルクティーを飲みながら小六法読みながら小難しいことを考えていた。本日はこうして私的な領域でも文章を垂れ流す訓練をしている。

 

飲んでも飲まなくも中身はあまり変わらないのだが、飲むと中身がぼやけて拡がる。発話も言語も挙動だから別に外に向けようが向けなかろうが内部では一切意味をなさないのだが、意味がないなら挙動しても良いかというメカニズム。たぶん話したいことも書きたいこともない。ただ、聞きたいことや読みたいことはあるというアンバランスが均される。

 

書くことも、酔うと口の蓋が開くみたいな意味合いで思考を言語化する歯止めの機能をぼやかすことによる施行だったのだと思われる。色々理由を考えてみたが、書きたいことがない、正確には「書くまでもない」という穴倉で過ごすことに何の違和がないということ。ただ、別に自分からあえて出さなくても、いざという時に素面でも話せるような訓練が今の仕事であり、書くことの訓練である。たぶんやっていないとすぐ衰えるはず。内在的な衝動ではないから。

 

これまでのように毎日とはいかないだろうが、それはそれでよい。「してもしなくても良い」ことの中で挙動することが自分になっていく手段だと思われるため。どうでも良いが、意識して歩いてみると、歩くのって凄く難しい。どちらの足と手がとこんがらがるというよりは、意識的に回転数増やすこととか、肩とか全身連動しているのだなとか。

 

ともあれ。本の習慣は途切れない。メディア論読んでいると吉本ばななが出てきて、吉本隆明の娘と知り、ちょっとびっくり。内容は、原始時代のテレパシーみたいな意味で携帯電話は超能力だとのこと。なんかわかる気がした。空間を越える能力としての共通性。全然使ってないが。あと、シェイクスピアさんの演劇はいままでのものは割と分かり易かったのだが、どうも「リア王」は難しい。権力的感覚がないからなのか話が難しいからなのか。全然読めてない感じ。

 

昨日、刑事訴訟法強制捜査の概念のところを読んでいて、難しいなあと思ったのだが、高尚な学問というより、刑罰権を独占した国家権力が人権を尊重するために発明された概念装置と考えた方が読めるのかなとなった。この違いは、自分の中で疑問を挟めること。

 

僕が訓練していなかった「自分になっていく」ことの中には、対象に触発されて出てくるとっかかりとか疑問とか興味を見ないことにしてスルーしないということも含まれていて、これをいちいちやっていくと頗る時間がかかるのだが、これで良かったのだという感じ。ちゃんとする。

 

ただ、人にこれを向けることができないのは、相手にはこんなのに付き合う時間も意味もないだろうなと思うから。それほど自分にも純粋な興味ないじゃろとも思う。だから、人も読み物なのだろうな。酔っていれば特定の人に私信を発信したくなるが、酔っていなければ誰にも送る気にならない。

 

だいたい頭の中も文章もきりがよくなったのでここまで。次いつになるのかは未来の自分に委ねよう。

 

では、おやすみなさい。

 

皆さんが自分でありますように。