不越

 

 

巡り合わせの悪さに悲しさを通り越しもはや笑ける。お前に人生上のご褒美は要らんだろうってか。ぶち壊してやるという天秤の片一方もなかなか重いが。

 

夢。何か集団の宴会というか宅飲みみたいなシーンで、何か誰かと致すような雰囲気になる。面影としては高3の時に1か月だけ付き合った恋人さん。最終日は体調悪いみたいな感じでメールが途絶え、その後に別れましょうだった。放課後の誰も居ない教室で2人きりといういちゃいちゃし放題のシチュエーションで、手を出さなかったことが原因なのだと思われる。思春期は難しい。今も触れないのは一緒だが。

 

夢に戻り。僕の中では面影だけどって言うと、私にとってはまだ「今」なんだよと返され、そうなのかと致すとなったとき人が乱入してくる。ドア閉めたら分かるわって。じゃあ出ようかとなり、2人で車に乗って何処かに行こうとする。僕の夢にとっては珍しく自分が運転していて、運転楽しいなとか、色んなところを移動しつつ、何故かマーライオンの残骸(大根おろしと卵焼きみたいな白と黄色のデフォルメだった)とか、巡っているうちそんな気分は萎え、結局何もなく夢も終える。

 

目が覚めたとき、なんだか終わったのだなと感じた。立ち読みで睡眠について読んでいたとき、夢に出てくるのは何をしたのかではなく、感情が動いたエピソードが多いらしい。こういう意味の感情ってなんなんだろうな。言語化できるようになった感情は知っているものだからおそらくどれだけ言語的に感動したとしても夢には出てこない。夢に出てくるシーンは別に当時なんとも意識してなかったとしか自覚できないものがあったり、もはや記憶には残されていないものがあったり、一体何が自分を動かしたのか分からない。

 

好きではなくなったというか、僕の中の語彙では好きという単語では加増度が足りないということなのかもしれない。

 

ちょっと本の話を挟んで。

 

そろそろヘーゲルさんの精神現象学は下巻に行く段階なのかもしれない。3、4周してみたが、分かるようで分からない。感覚では食べているのだが、言語として吐き出せない。語彙が特有なんだよな。たぶん。でも、自分が扱っている言語圏の言葉の一般的語用から独立させた自分の語彙を探るという試みは分かる。僕も文章では流暢だが、発話とか会話でこういう風淀みなく発することはできない。一般的語用が分からないということでもないが、一般的な会話って自分のことを話してなんぼだもの。これでアイデンティティ保てると思えるのも個人的にはおかしくてたまらない。偏屈極まりないが、仕方がない。こういう目で見ると現実世界もちょっとゲームぽくなる。遊びだらけじゃん、みたいな。

 

真面目という言葉の意味。僕は真面目と評されることが多いのだが、全然不真面目だと思っている。ルールに従うことが真面目だとするのであればそうかもしれないが、ルールの枠は当たり前の前提としてその中でどうするかをしているだけだから、ルールに従わないといけないという規範で生きていることはない。ルールに従っているように見える人が「真面目」に見える人は、ルールに従うか従わないかが全てというか、素朴な自分ルールに真面目なんだろうなという感じ。ほんとの真面目は、この延長にあるような。僕は外に向けられるような自分ルールを構築していないから駄目なんだよな。

 

正しい言葉。僕は普遍的にどんな人にも伝わるという意味での正しい言葉は信じないし、自分の中にあるものに正しい言葉を当てはめることができるという意味でも信じない。ただ、具体的な状況における適切な言葉はあると思う。たぶんこちらの方が難しい。意味は変わらなくても言い方で容易く人は激昂するし、内心が籠ってなくても適切な言葉には容易く人はなびく。

 

ともあれ。

 

新刊枠の竹宮さんは読み終えてしまった。はちゃめちゃなんだがなかなか味わい深い。なんだかすごく考えている人のような感じ。今度は「砕け落ちるところを見せてあげる」だったか、何年前かは分からないけど、知っていたタイトル。生生しい話は省略。

 

 

あー。書き言葉より脳内言語が回る。

そうなんだよな。きっと、次の段階。

 

終わりだなと思ったのが、もうブーストは要らないし、ブーストで言語化したことを読まれることを嬉しいものだと思わなくて良いみたい。

 

嬉しいは疑似的な感情で、僕の言語を読んでどうなんだという具体的な人を読んでいたらしい。まぁこういう疑似感情はどこにでもあるから問題はない。例えば、いや、喩えたくないな。一応まだ弁えはあるらしい。

 

何故なら、僕を読んでくれたよく知らない人は夢に出てこないから。

 

もう、こういう言語化は十分らしいな。

 

雑に生きないってこういうことなのかとなると、もはや。

いや、僕の現実の部屋は雑過ぎるから逃避という説もある。逃避しているやつが仕事で試行錯誤するかとなるとよく分からん。今の仕事全然生きがいとも思っていない。

 

なんというか、僕は自分を蔑ろにしていないから、覚えていることは夢のごとくいっぱいある。いや、こんな話でもないな。

 

要は、なんだ。僕は別にインターネット世界に逃避するために日記を書いている訳ではなかったらしいというだけ。もちろん払ったコストだけの効果はあった。完全な個人的世界だとあんまり無駄はしない奴である。

 

そういうコントロールをしている司令塔が主観より上にいて、もう良いだろうっていう感じがする。別に物理に傾注する訳でもないが、言語の枠として物足りない。

 

では、またどこかで。

 

おやすみなさい。