貨幣と意識

 

 

天気が良かったので迷子になることにした。

 

 

 

昼過ぎにニトリにパジャマを見に行った。ひと通り回ってみたがなかったので1階にあるスーパーでお買い物。ノンアルで肉も冷凍してあるのがあると、ほとんど買う物がない。レタス、ブロッコリースプラウト、水、カフェラテ、アップルパイ。

 

時間も早くて日光が心地良く、遠回りして帰ることにする。道々の風景の中に色が増えている。枝垂れた梅とか、お雛様に付いているようなピンクの花とか。時候の行事って、ある社会において無意識的生活からイベントを意識化させるために発明されるものなのかも。

 

いつもとは違う道とはいえ、だいたい迷い済み。アップルパイを食べながらさらに行ったことがない路地へ。こういう自発的に迷子になるとき、おそらく方向感覚を切っている。ほぼ反対側に行きそうになった。初めて行った土地とかでもやるからなかなかの確信犯。

 

目印になるような建物(大学とか、マンション・教会の看板)を頼りにズレを矯正しながら帰る。天狗が持ってそうな団扇状の葉をつけるもじゃもじゃした幹の木。なんて名前だったかなと頭の中を点検し、たしかソテツだったな、実家近くにも植わっていた。

 

そうして、よく通る道に戻るのだが、合流する道が変わるといつもの道も異世界に見える。萩原朔太郎猫町感。まぁ視座が変われば何事も別物か。個人的な感覚として、何処に行っても同じ(楽しめる)だから移動とか移転の衝動が無い。

 

一頻り本を読んで、早めの夕食。明日の午前は健康診断で、22時以降は絶食らしく。バリウムってどんな味がするのだろう。日記のお供も水のみとなっている。

 

メニューは鶏むね肉のソテー、付け合わせにブロッコリースプラウト。レタスとトマトと生ハム(3パックのやつ)のサラダ、納豆、冷奴。なんとなくプリン体が気になる感じだが、消化不良で残っていても困るだろうし。

 

昨日も酒量減らしたし、脳が軽い気がする。情報量が多い。普段より今日の方が良く寝ていたし、少々通常のリズムを改めようかとなっている。もともとは入り込んだ虚無から出てくる思考を減らす為で、今は美味しいからだが、調子も考慮すると。

 

情報量が多くなるのがネックではあるが、たぶんもう大丈夫ではないか。明日から変えてみよう。食欲も抑制される可能性はあるが、弁当を作るついでに夕食も作れるし。

 

 

本日は引き続き、無意識と意識について思索していた。

時候の行事とか儀式についてもこの下り。

 

そもそも、個人の意識という概念が発明される前の人間の意識は、無意識的な運動がほとんどだったのではという想像がある。もちろん個体差としての嗜好みたいなものはあったろうが、その個性と意識が連動している訳でもない。動物にも個体差とか環境による学習はあるが、人間と同じ意味で意識を持っているとまではならないはず。

 

集合的無意識とか普遍的無意識という観念は、深淵なものではなくて、もっと人類の原初的なところにあるとしてみる。当該社会における意識しないでも行われる運動。これは無意識に浸透した生活規範がから出てきている。時候の行事とか、祭事、儀式が意味を持つのはこの辺りで、生活とは別の境界があることを意識させることで、生きている実感を回復させることにあったのではないか。

 

絶対的孤独が生まれたのも、無意識から意識が切り離されて無意識が拠り所にしていた一体感を抱けなくなったからなのかも。

 

自意識という自我という意味ではないこういう意味の「意識」は一般語用にもある。ある人を「意識している」というとき、自意識に認識されているだけではない。ここには対象によって自意識の運動に影響があるという含意がある。好ましいと思う人を「意識している」からその人に気に入られるように振る舞うといった現実的な運動の変化もあるし、中で意識は思考に影響を与える。

 

自分の中に対象の波が反響しているみたいな感じ。

 

認識もたしかに変化を促すものだが、あれ、認識と意識とどっちが影響度高いのだろうな。いや、認識は無意識に組み込まれて自分の範疇になるが、意識されている対象はあくまで対象のまま存在するのか。

 

僕は誰かにどれだけ意識されているのだろう。

 

 

そういえば、「性愛と資本主義」。ついに貨幣が出てきた。難しいのだが、貨幣とはある一定の領域に通用する時間的に持続する約束がある交換の媒体だっけ。貨幣を得る衝動は物と交換できるからであって、売り手が貨幣を手にする動機はさらに別の物と交換できるかで、これが続いて行くという約束。これと愛を繋げていたのだが、どう繋がったのだったか。愛は交換するものだったかしらと想ったことは残っている。

 

貨幣の発明と意識の切り離しは同じ根がありそう。時間の概念と、しばらくは生きているという安全感。分かたれているようで色々と繋がっているよな、人間の世界って。

 

 

そろそろ寝ないと。

 

やはり、素面だと文字数がやや減る。

いや、今日考えていたことが言語化できるまで咀嚼できないからかも。

 

 

まぁ良いや。

 

おやすみなさい。

 

幸せでありますように。