非武装

 

 

 

21:29から。

 

朝活は相変わらずできていない。なんだか眠いし、お腹の調子もいつもより悪かった。

本日で復調はしていると思われる。明日から2連休だし。

 

自転車を職場に置いてきたから、バスで出勤。近所のコンビニに水を買いに行ったらお友達の店長が居た。新しいスイーツが入荷したとのこと。満月さんに伝えるように申し受ける。

 

バスは楽だが、時間がコントロールできないのがネック。あと10分早ければぴったりなのだが、平日の時間はバス停に着いてからの徒歩時間に余裕がない。チャリだとコンビニで涼を取っているだけだが、こういう余白が大事。車だったらどうなるか。おそらく耳でお勉強したり、歌ったりしそう。

 

 

朝礼で、硯も戦力になってきたから実務項目に貢献するようにと店長に言われる。やんわり定時で帰れない雰囲気。別にこれは問題ない。その辺りは加味して就職しているし。それよりも戦力になるには武器が全然ありませんがというところが気になる。一連のフローとか、大事にすべき項目とかが素人レベルなのに戦力とは。

 

なんだかんだ店舗の売上に微々貢献できるようにはなっていて、それは喜ばしいのだが、ほんと毎日暗中模索の新規情報ばかり。店長は毎日新しいことばかりで楽しいねと言う。もちろん楽しいのはたしかだし、こういうことを言ってくれる人の下で働く方が楽しい。放り投げずにメールの文章とか添削してくれる辺り、理想的な上司だし。

 

メールの文面が冷たいとのこと。たしかにクッション的な言い回しがあんまり搭載されていないし、なんなら過剰な装飾文は余剰と思っている節があるが、全く関わりない人との空気感においては、余剰過ぎる方が良いのかもとは思う。「心よりお待ちしております」の心には営業心が当てられる。

 

あと、横に長いのもいけないらしい。

意識はしていたつもりだが、事務情報的に伝えることがあると、きちんと書こうとして長くなる。

 

メールスキルは文章力とは別のことだから、店長のお墨付きが出るまで添削してもらおう。

ここは言い回しとかというより、枠内の話。短文の枠で書くスキルも習得していかないと。短文に凝縮するとなると長文でたらたら書くより時間がかかるし。

 

 

案外そっけない文面の方が人間味あるのではないかと思わなくもないが、考察できるほど材料が集まっていないから、まずは倣う。時間をかけずに言葉を凝縮するというのは、なんならこの日記時間で最近試行していることだし。相手に伝わるように言葉を遣うことにもそろそろ傾いて良いような。

 

 

車の運転が苦手だという評判が回っているのは、店長が誇張表現しているだけなんだよな。

もちろん、店長が横に乗った時の運転は完全に駄目だったし、先輩男子が乗ってくれたときも全然駄目だったのだが、今はもう少し慣れているし、他者の要因が無い限り事故は無いと思われる。まだちょっとFRの駆動の軌跡のメカニズムが分かっていない節はあるが、同乗者に快適に乗っていただくにはどうすれば良いかくらいの操作性を意識するくらいはできてきた。運転講習の人も、口だけで大丈夫と言うのではなく公にしてくれれば良かったのに。

 

無いなら無いで更に運転に慣れるようにするだけ。

 

 

やれやれ。

 

そういえば、今朝の出勤の時に何か忘れている気がした。リビングのエアコンも切ってあったし、電気も消したし大丈夫だろうと思って出たら、忘れていたのは寝室の方のエアコンを切ることだった。アイロンの消し忘れよりはマシかな。

 

調子悪いと何かが抜けるのは人生劇場で多々あった。鍵とか携帯とか、なんなら自分の意識を置き忘れたときとか。結構強迫神経症的な傾向があるから、気になり出すと何回も無駄に確認してしまう。自分の文章は誤字脱字があってもダメージは丁寧に文章を書く人ではないのだなという印象でしかないから気にしないが、物理現象になってくると、ダメージは僕だけではないから気にしようとすれば無限に気になることはできる。

 

 

本を日常的に読んでいて、その記録はまぁまぁできるのに、こうやって日々で抜け落ちることもある。ということは、記憶の問題ではない。

 

たぶんだけど、僕も人間だから人間のことは分かるとして。

 

抜け落ちるのは、記憶ではなく意識の問題だろうなと。

 

意識には自覚できるものと、自覚できない無意識があるけれど、意識的な優先順位と無意識的な優先順位のズレで落ちる(記憶できない)ことがある。僕も人の誕生日とか、今年が令和何年何月何日なのかとか、客観的な日付情報はとんと疎い。ちょっと意識すれば正解は出てくるのだが、そのラグがあるということは、基本的に意識されていない情報なのだろうなと。

 

意識は常にリアルタイムであって、過去のことであっても物理的な時間軸とは別に存在している。

 

こういう意識論が出てこないのは、意識自体が当たり前過ぎるからという説。

自意識以外のことは感得できないから、他人のことは言動で捉えるしかないし、世界のことも自意識のスケールで捉えるしかない。

 

個人的にはこれをもうちょっと世界の捉え方に流用できないかなという感じ。

意識が収束している根っこは結局非言語領域だろうし、非言語の世界がないと言葉の世界は在り得ない。言葉はもともと言葉でないものを別物として現わす道具だし。

 

 

いやはや、まだまだ面白さが途切れない人生劇場。

この面白さに体が付いて来てなかったみたいだが、意識すれば繋がるか。

 

 

すげぇ抽象的な感じなっている。

 

今日は(今日も?)投げっぱなしで良いか。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。