占部さん

 

 

夢に現れた大蛇2匹は満月さんの下に移動して少しの幸運をもたらしている。運試し爆勝ち。良きかな。僕も特には負けてないが、若干遊び過ぎ感はある。まぁどうとでもなるやろ。

 

昨日の夜も書こうと思い移動先のビジネスホテルでノートPCを開いたのだが、眠くてまぁ良いかとなった。何の義務もない仕事という認識で、特に連続記録も気にしていない(むしろ煽りに冷める)から、寝ることにした。頭は動かなくてもそんなに飲んで居なかったため、体は動くらしい。ここの描写は省略。

 

 

まずは日記的日記から。

 

土曜日の朝。8時くらいに起きて、洗い物もしているし、朝ごはんも兼ねてすぐに移動することにする。コンビニでチーズバーガーと梅干おにぎりと水を買って、あれよという間の11じ過ぎには藤が丘駅について居た。なんとなく記憶の片隅にあるような、ないような。

 

そうして何をしたのだっけ。何をしていても楽しいからあまり気にしていない。

運試し場でエバンゲリオンがなかったから、からくりサーカスで2人とも当てて、お昼ご飯にお洒落なラーメンを食べたのだったか。その後移動して更に運試しをして満月さんだけ勝ったが、勝っているのを眺めるのも楽しくて良き。

 

移動しているときのガソリンスタンドの自販機で買ったキリンの天然水が美味しかった。

 

そろそろダーツ熱もうずうず。

もともとの投げ方を想い出した。

 

そうして夜ご飯はエビフライ屋さんで胃もたれしなさそうなヘルシーなエビフライとお刺身とだし巻き卵と海鮮ユッケ丼とポテトサラダとキリン一番搾りの生ビールをいただく。うまい。

 

夜は寝て、朝に起きて。

 

何故か機嫌が良かった。道中にオレンジ色の彼岸花を見かける。幻覚では無かったかと念の為調べたら、何故かメルカリに中古品が出店されていた。中古品の花とは。その後はどぎつい色の朝顔の亜種みたいな花におはようございます。運転している満月さんに可愛いと鼻で(いや全力で)笑われたが、僕の素はこんなものだ。

 

昨晩セーブしていたからか、胃腸も機嫌が良くて、飲み残した500ミリリットル×2を温くなる前に飲み終える。リュックから胃腸に重さの移動。胃腸は循環させて排泄するから重みはすぐになくなる。気付けのアイスコーヒーを買いに行きがてら、満月さんの職場の新キャラとご挨拶。新幹線で来ましたって言ったら、え、車じゃないの? と一瞬怪訝な顔されたような気がするが気にしない。愛知県は車文化だからということにしておく。

 

マジで緩いな自分。無精ひげもマスクに任せて生えっぱなしだったし(眠くてホテルで髭剃らなかった)。でも、人からどう見えるかということって本来は特に自分に影響しない。人に好かれる努力を辞めた方が、きちんと自分と相性が良い人がやってくる説。自分の世界に他が在る人は特に努力しなくても最低限の社会性はあるはず。知らんけど。

 

その後は豊橋で遊んで帰り、スーパーに寄って明日以降の食材を買ってお弁当兼夜ご飯を作ってお風呂読書して、今に至る。

 

 

待たせているから早めに終えたいのだが、色々想うところがある。

 

凄くどうでも良い思索から。

東海道新幹線のネーミングについて。こだま<ひかり<のぞみの順で停車駅が減って目的地に早く着くのだが、音速<光速よりも速いのが望みとしたのは面白い。たしかに人の意識は光速よりも速く空間を隔てたところに想いを至られる。例えば宇宙の果てとか時間の終わりとか。

 

時間の終わりというのは、太陽が爆発して人類が消滅した後にも続いている宇宙の時間の途方もなく先。物体はあんまり運動しなくなるのだとか。エネルギーがあまりないというか、理解の外にある世界を物理学者は把握しているらしい。

 

この認識を前提としているかどうかは定かではないが、行きの新幹線の車窓から稲刈りした畑とかビル群とかを眺めているとき、メタバースとかVRゲームのコンセプトって、人間時間で世界をデザインすることができること。アプリに良くある放置系とかもそうか。

 

地球時間だと、何かを創造(建築、構築)するには時間がかかるから過去、現在、未來という概念を創って調律していることが不自由だから、もっと人間軸にしようということなのかという妄想が起こる。だって地球の数十億年の時間からすれば、どんな個人でも人類として括っても瞬きにも満たない。

 

資源の問題の例えば水。地球時間の循環の間隔で不足するなんてことはないが、人間時間で言うと間に合わないという意味での水不足。飲料水よりも産業用水が足りないのではないかと想像しているのだが、どうなのだろう。

 

特にメタバースの世界を否定している訳でもなく、むしろ肯定派寄り。

人間世界においてもっともエネルギーを使っているのは、人間というプライスレスな存在としての物体を移動させることだから、それがバーチャルの世界で臨場感を持って賄えるのであれば、人間世界の経済学が言うところの資源が有限であるという世界観に革命が起こる。移動って相対的な位置と視覚と触感くらいが再現できればできそうだし。

 

まだまだ先だろうけど、味覚とか喉越しとかがリアルに体験できるようになったら、食不足も改善されるような。満腹感はバーチャルで嗜好して、肉体を維持する最低限の栄養素はもっとデジタルな栄養源で良い。不食で生きられる人が居るのだから人間としてここでも生きられそう。

 

個人的に胃腸が虚弱だからかもしれないが、別に人って食べ物だけを摂取して存在していない。美味しいご飯でも許容量越えると戻す。別に拒食症でもなく、単に胃がもう消化できまへんでーという拒絶。お酒は胃ではなく腸がやっておる。

 

どうでも良い間。宵顔さんの文章に淋しさが無くなったようで良き。

それが完成型であれば、ゆったり生きたら良き。推しは安泰すると自己表現しなくなるというイメージ。踊りて界隈にも居たのだが(こっちは会ったこともない)、人妻になると鋭さが無くなるような。たぶん表現が楽しいのではなく、表現をすることによって場所を確保したかった説。

 

 

まぁ、言葉を食べ物とする変人の見解を聞いたところで人気者にはなれる訳でも無し。

基本的には静的な記録的な文章より、何かしようと可動しようとしている文章の方が美味しい。余計な話。

 

感情が薄い人の記事を読んだ。満足する感情より不満足を排除しようとするのが重いから、薄くなるのだとか。似ているかなーと読んでみたが、非なるものだった。僕の感情が薄いのは自分がどうのこうのより世界に居る人の不満を気にし過ぎていたことによる。

 

いまやそういうのはほとんどぽえーんだ。

 

そろそろ本題。

 

僕は全然自覚的に思慮深い人ではないし、巷に言われている思考力とかチャンバラみたいに想っている。これってなんだろうなというのがふとお風呂読書時間に起こる。

 

思考の本質は対象を動揺させること。自分について考えたら自分の過去の存在が揺らがないとおかしいし、外の世界だって自分の鏡なのだからそういうこと。

 

もっと考えたら良いのにって言って来た人が自分を動揺させるように思考してない人だったらその人の発言は聞かなくても良いし、自己が考えている風に出てくる動かせない思考もほんとは気にする必要がない。〇にたいって誰が決めたんじゃ。僕じゃ。

 

この世界観は自由になれるが、自由には代償がある。責任みたいなぼやけた他責ではなく、世界は自分がデザインしたものだという刻印。ネガティブもポジティブも、自分が決めるしかない。

 

オメガ城の惨劇曰く、思考は現実を作用しないとのこと。

たしかに、余白で動くのが思考。最近余白が多すぎて楽しい。

 

中の事情では世界は変わらないことを前提としてどうするか。

 

僕はこれからも楽しいに決まっている。

 

おやすみなさい。

 

 

良い蛇の夢を。