もち

 

 

出前館で頼んだイタリアンと膝の重みをお供に。

 

文章脳になるかどうかは知らないが、このまま書いていく。

ここで言っている文章脳も言葉が無尽蔵に出てくるという意味合いではなく、言葉として自分が接している世界を区分けして良いかとなることであって、言葉が多ければ可動しているという訳でもない。

 

バイオリズム的に低くなるにつれ言葉が多くなる人も居るだろうし。

 

 

さておき。

 

本日のお仕事。某波でスカスカな人員。部署的にそれなりに対応はできるし問題はないと言えばないのだが、コンピュータは可動できる限り学習も並行的にできるにしろ、人間は機械ではない。ある程度の余白がないと学習として身にならない。人員不足になることを予見できるはずもなく、明日と明後日は予定休なのだが、職場の人は一切出勤しようかという空気を出さない。すんげぇホワイト。もともとあえて繁忙期外しているし、上層部としてもまだ大丈夫という感じなのだろうけども、部署的に波が来てもなんだかんだ通常営業できるのは凄い。

 

割と皆独立している職場っぽい。

そういう人しかこの職場で居られないのかどうかは知らない。

 

人との関わり方をやっと学習できている節。

いや、これは世界の見え方の話なのかも。

 

昼時。

 

自分が作ったお弁当だが、原材料は自分が作っている訳でもない。ただ、うまい。別に空腹だからというスパイスでもないし、単に満腹のために食事をするのはご飯に失礼だなと想った。僕の料理はだいたいの世界にできるくらいの薄味で美味いのではという自負はなくもない。そういえば、母親に僕が作った料理食べて貰ったことがないんだよな。母親は自分が施す側としているし、男子厨房に立ち入らずみたいな世界線の人だから、食事を提供することは施すことしているのかも。

 

ただ生活の為に食べるみたいなことになると、食生活も色あせる。

 

 

拡張すると、目的を持つことが善いことされている現代社会って、目的外のことは度外視して良いという意味で、だいぶ灰色の世界なのではないかという説。

 

一応やったことはある世界線だし、やらないのに努力を嘲笑する世界観は無い。

ただ、個人的に目標を持って生きることが充実した世界になるとは想えないというところ。別にそうやってステップアップする世界観を否定はしないけど、それで何か世界が拡張するというと、そうではない。

 

目標って予測値でしかない。

 

でも、人って別に目標持たないと進捗できない存在でもないのは僕の世界観。

だからこそ、僕はこの自分になっている。

 

ここまで。

 

おやすみなさい。

 

ここまで。

 

良い夢を。