見方

 

 

頭が良くなくて良かった。

知識が財産にならない。

 

イカスミは消化されない。

胃腸が識る。

 

隈がなかなか酷い。

睡眠の不足の印は、世界を楽しんでいる証明でもある。

 

寝る時間が惜しまれている。

 

 

本日はゴミのような男だなと言われた。

 

さておき。

 

 

朝ごはんは豆乳リゾット。美味しいが米の芯をもぐもぐするために咀嚼回数が増えて食べるのが遅くなる。世界線の境界。

 

そのあと、あじさいの本番で、「あじさいの里」というところに行った。6~7分咲きらしいが、不自然な自然の様相。自然に分布している色合いではない。(心に残しているので画像はない)。

 

やたらと人が多いのはなんぞやと思ったら、どういう巡り合わせか知らないが、たまたま前日に放映されていたらしい。なるほど、ほとんどの人が自分で見るよりも誰かに伝える為にパシャパシャしている。仕事ならともかくもっと「いま」の自分だけの世界を楽しめば良いのに、というのは余計なお世話。

 

何か客観的な証拠がないと楽しんだという記録が残らないほど世界を外付けに依存しているのだろうか。ディスっているのではなく単なる感想。誰かに伝えるための名前がなくても普通に景色は楽しめるものでしょう。個人的には、品種改良されて綺麗な花弁の紫陽花より、てきとーに植わっているその辺の存在の方が馴染める。色とりどりで面白かったが、人の多さにちょっと疲れた。ミーハーでやってきている人って、他者は世界の外だから、人間的に不自然。

 

 

次は、栄町に行って、讃岐うどんとじゃこ天をいただく。小麦粉が原料の食材は消化が遅くなる。満腹状態になるとたばこも要らなくなる。仙人なので、煙も食べ物。笑

 

運試しにおみくじを引いたら重ねて凶。面白い。そのまま現実的な運試し場で、シンゴジラがあらぶりつつ、七つの大罪でもやや。あぶく銭が補充される。1人では行かないようにしよう。

 

お金も時間も消費物でもないし、そのいまを楽しめば良い。

 

僕はむかーし、制限がかかっている時、お金を使うことに罪悪感があった。いや、日常生活における嗜好品には使うのだが、移動には使えない。誰に制限されている訳でもないのに、何か枠がかかっているというセルフクリスチャンみたいな感じ。

 

お金は使う交換券だから、破綻しないところで遊べば良い。

 

 

言葉に付着されている意味を気にし過ぎていた。

 

言葉は記号でしかなくて。どう意味づけるかは選択できるもの。

 

 

そういえば、さっき、ちゃんとした居酒屋に行って鳥のお刺身を食べてきた。

枠もなくて、このご時世の前みたい。がやがやしている場が苦手なのは、存在として他者が認知されて内部でもがやがやしてしまうから。

 

地酒の冷酒美味しかったなぁ。

 

 

思索パート。

 

言葉ってなんじゃろうな。

 

不用意な言葉で容易く傷つけられるし、言葉(概念)だけでマウントを取れる。

僕の頭の悪さは、言葉と存在を連動できないところ。

動できる方が悪いという節もあるのか。

 

なんも分かっていない。

 

むしろ、マウント取らないように世界を識るのが難しい世の中。

 

今日は駄目ぽい。

 

ぼーっとしていて文字が書けない。

まぁ、これが存在しては本分なのです。

 

はい。

 

ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。