並行世界

 

 

時短のために鯖缶をメインにした本日の晩御飯。アクアパッツァを提案された。

 

買い出しの前にレシピを調べる。オリーブオイルでにんにくを炒めて玉ねぎを投入し柔らかくなったところで、鯖缶と水とミニトマトと塩コショウを加えて炒め煮をして最後にバジルをふりかけるらしい。たしかにこの感じだとすぐ終わりそう。

 

ここで実際のレシピ。アレンジせずにはいられない。

サバ缶とミニトマトは当然購入したが、スーパーで「生しいたけ」なるものが100円だった。味付けのイメージだと絶対合うし、なにより椎茸農家生まれで好物である。フライパンを温めてオリーブオイルを入れ、ニンニクの実物がないからチューブで代用。チューブにんにくは爆発するので使うなら低温にしましょう。玉ねぎと生しいたけを加えてじっくり混ぜながら今後の動きをシミュレーション。アイロンやら米伽やら風呂溜めとか。

 

サバ缶を汁ごと投入し、ミニトマトも追加。胡椒は切れているから省いて、クレイジーソルトを少し(水煮缶の汁にそもそも塩味がある)、それとこの前ジェノベーゼだっけ、を作るために買ったバジルソースを追加。ジェノベーゼは僕が作ったのではない。

 

アルミホイルで蓋をして弱火で煮詰めながら、他のことをしつつ完成。

オリーブオイルとにんにくの時点で既に洋風だが、バジルソースで既成品くらいになったかも。生しいたけも美味しい。

 

「知性について」で、天才は、2つのものさしを持っているらしい、現実生活で意志に従うのと、純粋な客観へのまなざしと。後者の方が天才に特有とのことで、物事に対する思索と考察と実験というフレーズも出てくる。わらける。最終的に生活が後者の目的にとっての手段になっていくと書かれているが、分かるようで分からない。まだ目的が設定できていないのか、そもそも目的がないように生まれついたのか。

 

中二病の「自分探しで見つからない」みたいな精神かと思春期過ぎてもこの感じがあるから気になっていた。色んな名前を付けてみる。アダルトチルドレンだとか、なんとか障害だとか。でも、今となっては探すべきというか、立ち位置としての「自分」はそもそもないようなもの(存在)だから、特に何か設定しなくても生きていけるし、むしろその設定が重荷になるのだろうなという感じ。まぁ重荷は存在の重みだしそれを生きるために必要とするのも分かる。

 

目的と言えば、「最終講義」で、「独裁」を研究してきた学者さんの語りパートになっている。独裁は政治形態において、あくまで一次的な段階であって、続くとよろしくないものだというのはたしかに歴史が示しているなぁとかへーへーしつつ、世の中にはほんと色んな研究者がいるものだと思う。なんなら僕の文章を分析する硯研究家も存在するかもしれない。笑

 

 

研究家とかけて、現代芸術家ととく。という思索がふと浮かんだ。どちらも独立した価値がない。前者は同列の研究家に承認されないといけないし、後者は消費者だろうか。でも、歴史を鑑みると、どちらの分野でも経年劣化もしないし消費し切れない人が居る。

 

そういえば、noteでだいたい読んでいる記事に「パラレルワールド」のことを語る人物へのインタビューがあった。個人的には分かりみだが、さっぱりの人もたくさん居そう。世界が客観的なものではないという前提があれば、普通に腑に落ちそう。

 

宇宙がいっぱいあるという大上段から語られると絶対ピンと来ない。世界線の分岐みたいな話であればSF好きなら分かるかもしれない。でも、こういうのはファンタジーであって現実ではないという見解はありそう。ただ、現実だと思っていた世界が移り変わった体感は誰にでも現実としてあるはず。

 

パラレルワールド間の移動も時空の壁を越えるみたいな仰々しいことでもない。いや人はいつでも越えていると思っているけども。

 

まぁ、意志ベースだと、何かをしたという世界には並行的にしなかった世界もあるし、どちらに動いたかによって1人1宇宙の世界が変わるみたいな話。量子コンピュータみたいな話だと思ったが、今の僕はまだ量子コンピュータがなんで演算が爆発的に早くなるのかを説明できない。印象では、場合分けをいっしょくたに演算できるということで、これって人が普通にやっているよなとか。

 

特にオカルト的な話でもなく、科学も似たところに辿り着きつつあるのではというだけ。

啓発でもなく、自分の認識を掘り下げていったら近いところに至るのではという感じだから、そうなれば良いとも想わない。

 

こういうパラレルワールドを前提にしてみると、「後悔」は自分が居るべき世界に行けなかったことに対する悔悟になる。たしかに、僕は父親が生きている世界に生きたかった節。ただ、別にそれが僕のいまに陰を設定しているということでもない。それとは別に楽しいから、後悔という字を当てるのは不適切。

自分がしたいのにそれができないみたいな燻りも、パラレルワールドの移行を失敗している自分の置かれている世界が嫌なのかもしれない。

 

でも、桃源郷的な世界に他人は居るのだろうかという感じ。

 

観測知で、自分が世界の中心に居る世界って、たぶん空間の中にある自分が換算されていない。場所を取っていないというか、質量がないまなざしになっているというか。これはちょっとした発見。だから纏うのか。

 

移行ってなんじゃろな。

僕のは、意志がやったという成功体験ではないし、僕の意識より遥かに広い領域がなにがしかしている感じだから、移行は能動ではない。かといって受動なのかと言われると微妙なところ。

 

これって、過去にいっぱい可能性があったとか、未來にいっぱい動けるという視覚ではない。

移行は運動だからパラレルワールドの中で動ける可能性があるのはまさにいましかない。いまなにをしているかによっていっぱい分岐するだけ。他人を動かすことではない。

 

なんかどうでも良いところで、「眠い」は感情なのか状態なのかという思索があったり、なだり。

 

生きる中で書く材料を取材している節もない。

 

はい、いっぱいあるけど強制終了。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。