考え事

 

 

 

本日のメインは満月さんが仕事から帰って来た後に明太子パスタを作ってくれるので、副菜を準備。いつものベビーリーフサラダはごま油と磨り胡麻ベースのドレッシング。セロリときゅうりのシンプルなマリネ。あとは、明太子に合う物として連想した白だしだし巻き卵。全盛期は卵1個でもお弁当用にくるくる巻けていたのになかなか衰えている。前回よりはうまく行ったから次回はうまくできそう。

 

きちんと試行回数をこなさないとうまくいかないのが自分。ここは初期値が随分と低い気がするが、初期値の低さよりも上限がどこまであるかの方が大事。まだあんまりここが分かっていない。上限って試行(思考)を辞めたときではという世界観。

 

 

ぐだぐだする1日。うたた寝をしたり、漫画読んだりする。とはいえ手足も動かしているからか、頭はそんなにぼんやりしない。昼ご飯はラ王の袋担々麺にもやし、椎茸、ネギを追加した。気になっていてまだ読んでいない時間栄養学的に言えば、朝、昼は稼働のための炭水化物で、夜は低脂質なたんぱく質。ビタミンやらは毎食添えてという感じ。もちろん、何かを食べていれば良いではなく、生活習慣とセットで調整していくもの。美味しさがもたらす幸福感は時には栄養価より大事と想う(非科学的だが真理に近そう)。

 

 

本日読んでいた漫画は、「ジョジョ」と「ヒカルの碁」。ジョジョは個人的に絵柄が好きではないのだが、漫画としての腕力が凄い。台詞回しとかポーズとか現実離れしていて特に何も考えなく読める。「バクマン」の分類で言えば天才型なのだろうなって。天才型の漫画は分析して読む物ではない。いや、個人的には全ての読み物をいちいち分析しながら読んでないけども。感じで読んでいるだけ。絵柄的には鬼滅の刃とも似ている感じがするのだが、あくまで個人的感覚。

 

ヒカルの碁はなんというか凄くメタ的で考えさせられる。漫画的な主人公劇場でもないし、囲碁が分からない人(僕もそう)を取り込むストーリーテラー。僕が現役でジャンプを毎週買っていた時代にあったから、なおさらということもない。僕が買いだしたのは黄金時代の後くらい。買っていたのはジャンプだけだけど、女きょうだいがいたから、りぼんとかなかよしとかクッキーだっけ? も読んでいた。

 

戻って来て。ヒカルの碁って、色々主人公が居るが、だいたいの事象が主人公を成長させる為に演出されているという箱庭観がある。これこそが物語の醍醐味であるという感覚も分からなくもない。誰かの登場人物を推すことによって、現実から逃避するというのは言い過ぎだが、世界は都合良くないという世界観が共有されているから、漫画という娯楽で都合良さを消費するみたいな。せめて娯楽ではハッピーエンドでって。

 

メイン枠がだいたい美形ないし醜系なのも漫画の劇場観はある。

 

 

この辺りで夕方になったから、百均で育てる水草用の霧吹きを探しに行く。時間がある時には人は歩いた方が良い。頭が回るから。本日も1時間ほどは歩いた。

 

歩いていたとき思ったこと。人生劇場において当人の世界が主観であるというは当たり前。メンタリストの動画がYouTubeに上がってきて人気なのはたしかだが、あくまで自分の劇場がどうなるかということを問題としている。人間関係を断捨離すると新しい関係ができるnoteの記事の人間関係論も、相手がどうかという話は全くないし、自分が主人公という話しかない。

 

 

良いというか、主流の世界観だから特に文句はない。

 

 

ただ、僕が徒歩でスーパーに行っている中で考えたのは、世界を主観的に捉えるだけの劇場では全然足りないというところ。多かれ少なかれ理不尽を経験したことがない人なんて表現をする人には居ない。俯瞰的に捉えることで世界が完璧になるとも言えない。俯瞰って結局社会的な準則でしかない。とはいえ、この社会的準則が今を生きているとい実感をもたらしているということもあるから、ここから離れ過ぎてもいかん。

 

人間関係をどう扱うか。僕としては、自分にとって有用かどうかだけで人の善し悪しを判断するのは悪手だと想った。片側からしか見ない仲間内は、その人にとって相手が良いかどうかしか捉えられないし、逆からもそうなっているのだろうとは思うけども、僕はそもそも独りで寂しい世界には生きていない。

 

継続していく関係を捉えるのって、自分にとって相手が良きなのかとは別枠で相手にとって自分が相手の為になっているかという視点も要る。相手の為に奉仕することで好きを表現している関係はあくまで当人の劇場。相手が自分にとって都合が良過ぎるというのも然り。

 

もちろん交換的に何かを返したら良いという世界でもない。自分の存在が相手の為になるかどうかもある意味ギャンブル的な要素があるから、正解はない。

 

 

正解がないカオスを不安と感じるのか、遊びと感じるのが人生劇場の違いなのだろうなという次第。僕の今後の人間関係が拡張するとすれば、義務でも既定でもないところにありそう。

 

こういった変なことを考えても良い人生になったことが、僕が遊んでいるということ。僕が遊んでいるだけだから、他人の劇場に口を出すべくもない。

 

 

おやすみなさい。

 

 

良い夢を。