辛さの強制

 

 

仕事が終わって2時間程で愛知県。

元気にお酒を飲みながら書いている。

 

 

朝起きてお弁当をセッティングしつつ、うしおととらを読みつつ、人が書いた文章も読みつつ、仕事終わりで移動する準備もする。最低限しか持って行かずに現地調達派なので荷造りに時間もかからない。

 

そういえば、うしおととらを初めて読んだのは親と外食に行ったときだった。当時は「うしおとら」と読んでいた。とうもころしと同じ感じ。休憩中とか道中に10巻くらい読み進める。人情みたいなところより、物語としての完成度が凄い。からくりサーカスと合わせると、動くものと動かないものの対比が面白い。妖(あやかし)も自動人形(オートマータ)も存在が生まれた時点で基本的に完成していて、その後に変化はできない、というかしたら存在意義が無くなる。練習(学習)できるのが人間の固有の機能でもないけども、1つの要素ではある。学習によって存在すら動かせるところが本質のような気もする。

 

ただ、とらもフランシーヌ人形も動かない側のはずが、動いてしまうというのが醍醐味な感じ。もともと人間からできているという共通項もあるし、面白い。

 

仕事は普通だが、もうちょっとどうにかならないのかなというところが目についてきた。

もっと個人完結型ではなく皆の仕事が減るように構築すれば良いのに。いやこの話はどうでも良い。

 

 

昼休憩は雨。休憩室でささっとお弁当を食べ(休憩時まで仕事場に居たくない)、コンビニで煙草を買って地下で吸って、本屋さんで村上龍のmissingを買う。

 

そうこうして、予定外の30分残業。ほんとは洗濯して洗い物してシャワーを浴びて出るつもりが、時短できない洗濯はスルーすることに。シャワー浴びたのに家に着いてから30分くらいで家を出るって、無駄時間を省くと人間は早く動けるのだな。煙草も1本吸ったのだが。

 

新幹線はもっと早い。1時間程度で名古屋に着いてしまって、ゆっくりできない。うしおととらとmissingを交互に読みながら移動。窓際に座れなかったから車窓はスルー。夜の街並みを眺めるのも好きなのだが。

 

村上龍さんの文体はどうもやっぱり僕の分類だと安部公房さんと近そう。共通項はまともな社会的感覚もあるのに、あえてこんがらがる、みたいな印象。まぐわってないという記憶の美女からいっぱいそういうことになったって言われる不気味さ。世界線のずれ。

 

ともあれ。

 

もうこんな時間。

どうも文章脳に入り切れていない。まぁ別に悪いことでもない。

 

noteの評判って表現力よりも宣伝性とか相互性にあるのかもなぁって勝手に思っている。僕のベースは自分のHPから流すことにあって、特に自分を周知させたいみたいな欲望はないし、ある意味あぶく銭ならぬあぶく人生の描写を放流しているだけ。

 

始めましての人がやってきてくれたものだから、いくつか記事を読んだ。自分をフォローしてくれた人の文体はお返しに食べるポリシー。良く本を読んでいる人の文体。まどろっこしさが坂口安吾のよう(褒め言葉)。

 

そういえば、僕は生きづらさを理解できても自分が生きづらいとは感じなくなったのだった。〇にたいとかぼそっと出ることもあるが、人生を自主退場することが悪いとされているのは、人間の物理的生命に価値があるという世界観であって、僕はそれほどこの価値観に納得していない。そこまで無理して続けなくてもという不謹慎な感じが素朴に近い。

 

かくいう僕もおそらくふちの方まで見えていた頃がある気がするから、そのしんどさに対して、もっと頑張れとも思わないし、無理しなくても良いとなる。他人って結局自分の人生劇場で生きているから、人に対してはちょっと盛って語る。別の存在が同じ方法論で生きられる訳もないのに、時代も事情も度外視して、こういう風に生きれば良いみたいに。

 

満月さんの友達はその辺弁えていて、良い教育者になりそう。否定はせずに、まだ他にもあるんじゃない? という教え方をしてくれる先生が僕にも居ればもっと早くここに至れた。

 

僕が楽しく生きられるようになったのは、外からの評価はどれだけ近しい人であっても一時的なものでしかなく、存在の暖を取れるのは自分しか居ないし、その暖が他己評価だったとすると、それが保てなくなった時しんどくなる。

 

我ながらおそらく凄く色んなことを想定しながら生きているから、これを誰かに語ると無理して考えている、もしくは頭でっかちになると評させるし、その考えている自分を他人に知られることに快も特になく、ただこの自分で在れば良いという感じになった。

 

かといって、誰かと過ごせないということでもなく、1人で居ても大丈夫なのに、一緒に居るともっと楽しさが提供される存在がちょうど良いだけであって、別に婚姻としての契約を結ぶ意味もない。意味もないからあえてできるくらいの感覚。

 

満月さんはおそらく僕を捨てないから。安心しているし、僕を捨てることになったとしても、もっと良い世界線が現れたのだから、それはそれ良き。ある意味余生というか、エクストラステージ。

 

変な話。僕はもっとこの現実を愉しむつもりだが、かといって、死にたがることがなんで悪いのかも厳密には分からない。事情はそれぞれなのに、まだ生きろっていうのはエゴなような。自分とは無関係な世界に外から善だというエゴ。生活圏で関係していても平気で言えるのだからまともな人ほど冷たい。

 

極限だと、飢え過ぎてもう食べ物のことしか考えられないような人に生きていたら良いことあるよみたいなてきとーなことが言えるのか。どうせ明日起きたとしてもひもじいのに。だからと言って、退場したら良いというのでもなく、軽々にそんなこと言えないなというだけ。

 

かわいそうという表現がそれ。人はそんな下に捉えられる存在ではない。

 

明日も早いのに夜更かししたのでとりあえずここまで。

 

おやすみなさい。

 

暖かくしていますように。