くさび

 

 

 

 

夜ご飯は鯖水煮缶ベースでことこと。洗濯機を回してお風呂を溜めながら人参を水から茹でつつ、洗い物とアイロンがけ。終わったら蕪を追加してコンソメ、オリーブオイル、柚子胡椒、酒、みりんを加えてさらにことこと。洗い物の続きとキャベツを切って、お米を研ぐ。人参と蕪が柔らかくなったら鯖缶とキャベツを加えてことこと。ベビーリーフを洗って、レンチン茹で卵を作ったらちょうどよくお風呂が溜っている。

 

先生はたしか50歳くらいなのだが、今頃やっと金曜日が嬉しくなったらしい。体の重さを実感してきたとか。だから休むのではなく、ジムで運動して改善しようとするのが凄い。

 

僕もあんまり疲れみたいな感覚がなくなっている。寒さもあまり感じない。いや、厳密には体とか気温の変化は捉えて居るのだが、必要以上に解釈しないというか。穿った考えだが、意識的な体感って、周りがそういうものだとしていた言葉に負うところが多いのでは。仕事が終わったら疲れているとか、週末は疲れて動けないとか、雨の日は嫌だとか。

 

もちろん、自分の体の変調はきちんと観測しておかないと過労とかになるが、それと疲れたという意識はちょっとずれているようなというだけ。それほど周りが遣う言葉には影響力がある。分かり易い環境的世界。

 

周りに語彙を合わせ来た人生だったが、最近はそういうのに同調しないようになった。愛想笑いはするけど、仕事がしんどいみたいな風潮には乗らない。はつらつと元気に仕事する感じではないが、しれっと潰していく。同期に2度おせっかい。1回目は解決に至らなかったが、2回目は遅番で僕と先生と同期しか居ないからまぁええかと越境した。ちょうど解決できる知識(便宜的呼称)だったし。あんまり感謝はされないのだが、それで問題ない。だからこそ越境できるとも言える。

 

帰りのスーパーでは新人君がレジしてくれる。ベテランの女の子が補助しながら。緊張と新天地で視野が狭くなるは当たり前でゆったりしたお客さんとして接していたら、間食のおにぎりがレジを通って無かったらしい。別に良いのだが、未然にこっちが防げたよなぁと。新人君の性格によっては失敗認定しているかもしれない。

 

こちとら客なのだからベテランできびきびしている店員に当たる権利があるとか想う人はもっと良いスーパーというか、スーパー自体に合っていないような。店員さんだって自分と同じ人間だし、新人が居ないとベテランも生まれない訳で。お金を介したら相手を人間扱いしなくて良い風潮ってどこからなのだろうな。いつからか。もっと大きい声でEdyって言わないといけなかった。自分の声が通らないから相手に聞き取って欲しいって、甘えていた。

 

という感じで、色々更新(回帰)されている。

まずもって、素直になってきているというところ。これは満月さんだけが体感しているところだが、不文の影響値は知らない。

 

あと、賢さという玉虫色の概念。一般的には色々知っている生き字引みたいな過去に精通した人を賢い人と呼ぶのだろう。もしくは今の問題をぱんぱん解決したり切り分けたりできる機動性をそう呼ぶのかもしれない。個人的にはどうもどちらも腑に落ちなかった。今日のおにぎりの時思ったのが、未然の段階で考えられる余地が広い人が賢いのだろうなというところ。まだ来ていない事象に対して新たに考えたり行動したりできるのは、それこそ狂人と紙一重。いくら過去の知識があっても、今の問題を解けても先に役立つとは限らない。

 

でも、僕はこの意味で賢くありたいらしい。

別にそれによって自分が肯定されるとかではなく、ただそういう人生劇場の中に居たいだけ。僕が特に自覚的に勉強しなくても色々残しているのはこういう意味合いだった。どんどん知識が無くなっている。

 

知識の定義もほんとは定かではない。誰かにも共有できるという意味だったら雑談でも行われていること。テレビとか記事とかで良く知られて居ることだとすれば、単に知っていること。科学的に証明されているとなると途端にハードルが上がるが、一般人にその成否を検証することはできない。ただそういうものだとして受け入れるしかないのは信仰と同じじゃないかと思うのだが、どんな知識人もそんなことは言わない。

 

体験則は知識というより経験の領域で、経験は共有できないという前提がないと、自分と同じことをしたら上手くいくみたいなとんちんかんな知識になる。

 

体感的にしか世界を語れない人とはあまり合わなかった。

世界の範囲もひとそれぞれだから別に良い。もう過ぎた世界。

 

そういえば、デートは上手くいっただろうか。

援助してくれるおじさん認定されている向きが強そうな印象だが、もしかしたら違うかもしれない。言葉ないし振る舞いと内心が一致していないこともあるし。美味しい文章を書く人は須らく人生がうまくいったら良いなと思う祈り。祈りも越境。かつては海を割ったりしていた祈りパワー。

 

 

やれやれ。

 

時間が迫っている。

厳密には、共有時間で通話があまりできなくなるというやつ。満月さんに硯成分を補給しなければ。と思っている時点で、自分にも補給しなければということ。

 

 

なんだろうな。

万能感とも微妙に違うのだが、なんでもできるよなという感じになってきた。誰とも戦わずとも自分で在られるよなという感じ。

 

早足で収めたが、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。