恥ずかしげもなく

 

 

 

 

家がガス爆発する夢を見た。この部屋ではなく前の実家。ホースに火がついて一目散に逃げて難を逃れる。夢の中で良く炎上する家だ。登場人物も職場の新人さんだったし、なかなかこんがらがる。

 

昼休憩時に洗顔と乳液を東急ハンズで購入し、ユニクロ上着を調達しようと思ったがこちらは目的物が無かった。明日しまむらに行ってみるか。装いで個性を醸さない派。てきとーに似合いそうな物を買うのみ。

 

仕事は予定残業がちょっとオーバー。昔めちゃくちゃに怒られた人だったが解決できたから問題なかった。先生とちと細かい知識の雑談。楽しい。

 

スーパーに寄って満月さんと通話しながら早歩きで帰る。

帰ってすぐご飯。鶏もも肉と人参と白菜のマヨネーズ白だし炒め。美味しい。

 

 

そういえば、お昼に本屋を眺めているとふと、この前満月さんとその友人の学校の先生と3人でご飯を食べたときに、宮沢賢治の「注文の多い料理店」の冒頭でハマったというエピソードを想い出した。ちょうど現物があったからちらっと読んでみる。自分が綴っている言葉は自然からお裾分けされたものであって、誰かにとっては何かあるかもしれないし、ないかもしれない。よくわからないということがあれば、私にもよく分からないのです。みたいなことが書かれていた。たしかに凄い境地の言葉。天才なのか狂人なのか。

 

ショーペンハウアーさん曰く、天才は狂人の少し上に在るだけで同類みたいなことを書いている。ついでに、誰でも常に賢人である訳ではないとも。バイオリズムが意識されているような感じ。

 

ずっと同じことを考えていても、ずっと同じ物を見ていると焦点がぼやけるように何も分からなくなるというのは真理だろうな。考えたり見たりした後にはいったんそこから離れないといけない。

 

常に一定な人は何処かにきっと無理がある。

だから、外に糧がないといけない。これ自体が良いか悪いかは定かではないが、自分で居る限り退屈ってないように想う。揺れるし動く。

 

もう1つそういえばだが、職場での恥に鈍感になってきた。案件記録に誤字とかあったらミス1つみたいな認定だったが、口頭と併せて伝わればどうでも良いし正確に記述する必要もない。正確に書こうとすればするほど文字数が増えて、記録する側は仕事した気になって自己満足だが、読む側からすれば冗長な文章はストレスでしかない。解釈して要約しないといけない。

 

法律文書とかガイドラインとか仕様書みたいなものは別の意味で正確。ややこしくせざるを得ない。解釈の余地があんまりないように言葉で埋めるという意味。だから読みにくい。

 

言葉はもともと解釈ありきだから余計に難しい。

誰かとパートナー関係を結ぶのであれば、生活上の約束事より前に言葉(認識)の齟齬を調整しないといけないよなー。

 

僕はもともと言葉に敏感な訳ではない。非言語の機嫌とかの方が重かったし、意志も薄弱。意志って行動というより言葉による未来の既定だから、言葉と行動にはタイムラグあるよなって。だったら言葉でいちいち決めずに動けた方が早い。

 

言わなくても伝わるともちょっと違う。

 

ここで取り出すのは惚気と認定されるか怒られ案件なのか分からないけど、満月さんの話。凄く自己評価が低い。ごめんなさいが多い。ただ、卑下することで相手をコントロールするみたいな文脈がない。自分が費やした分が返ってくるという精神性もない。僕としてはもともとの気質である、相手を否定しないで良い。肯定も別にしないのだが、褒められるという事象をあまり信じていない気がする。僕もそんな感じ。

 

もう少し穿つと、他人を否定できるって自己の存在が肯定的に確立されている。もちろん何かへの信仰も然り。自分の世界の内には肯定できる存在しか入らない。この意味での褒めって、要は当人の世界観の中で肯定できる事象でしかない。そういう世界で交信していく世界も別に良いと思う。僕ならどんな美女でも願い下げだが。

 

良い文章を書く不毛なデートを積み重ねている人の記事。文章化できている時点である程度昇華できているのだろうから、どんなコメントも問題ないと楽観して。著者がそもそも具体的な誰かとパートナーになりたいということではなく、類型としての恋人が欲しいという世界だから、相手も自己の世界であって、その関係でしか交信できないのではという読書感想文。たまたま世界観が一致したという瞬間だけで、その後も影響し合えないと人と結んでもきっと不毛になるに違いない。渇望があるのであれば仕方ないこと。

 

でも、よくよく読んでいると筆者が何を渇望しているのかが分からなくなってくる。理性的判断で、単に女体とまぐあうのであれば業者さんに行った方が安上がりと書いているし。陽キャ的なイベント事をこなしたい、ちょっと分かる。

 

ただの感想文であって、全く見下すとかそんなことはない。

仮に僕に今満月さんが居なくても同じ感想を持つし、なんならうまく行ったら良いなとも思っている。うまくいったあとまではもっとうまくいけという祈りの領域。

 

 

最後。

 

 

満月さんが、僕に影響を受けていると言っていて、僕は別に影響を受けてくれる人だから好きとは違うのだが、影響ってなんぞやということにちょっとだけ散歩した。

 

僕は別に存在的にカリスマでもないから求心力はない。ただ、素朴な存在が人に影響を与えないかというと、かなり微妙なところではある。影響を与えるかどうかは別として、基準が違う人が居るというのはそれだけ影響なのではという。

 

具体的に人の行動を変えるのかというとさらに微妙なところ。

僕がスキは要らなくて、ただの読み物としてくれればいいっていうのが影響しているのか、読者さんが離れて行っているのかもどっちでも良いのだが、ほんとに読み続けている人が居るとすれば、読んだしるし(むしろ読まなくても)として、ぽちっとする時間を僕に使わなくても良いとなっていて、これは影響力だよなぁって想う。

 

僕は僕の存在(文章)をてきとーにスキしてくれる人より、ただ読んでくれているだけの人と関係が形成されているような感じ。

 

ほんとに居るのかは知らんけど、そんな人がほんとに居れば、1回呑んでみましょうかとなるだけ。

 

こういう具体的に個別的な関係があると楽しいというだけ。

無くてもまったく問題ない。

 

こういう文脈から、もしかしたら現実的にも誰かに影響を与えうるかもしれないというのはなくもない。現在進行的に世界観は刷新中だから、その波に巻き込まれる現実的な人は居るかもしれない。越境はあんまりしない方が良いという経験則だが、今はパートナーが居てその人を裏切る世界線は無いから大丈夫。

 

全部盲目的な世界観だった方が良いかも。

 

という感じでおしまい。

 

おやすみなさい。