ぽぽぽ
まだ良く寝ている。隈は消えていないから疲れが足りていないのかもしれない。ストレスが緩いとリセットができない説。
早く外に出なければという専業主夫感。時間があるというのはあくまで社会時間の話であって人生時間ではない。時間があると判断までに余裕があるという気分になるが、判断はそのタイミングにしかないから、納期が先だと逆にしんどい。それがずっと頭の片隅に置かれることになるから。
夏休みの宿題が苦手な人は早めに片付けられない人ではなくて、そのタイミングまで提出できないことを意識するのが苦手という説。早めに片付けられる人の方がむしろ未來が気にならないのかも。未来ではなくタスクとして見ることができる人は納期が長ければ長いほど良い。
という、ただの妄想。
さておき。
本題というか、本日は日中ゲーム動画を見ながら数学の行列の領域を読んでいた。問題を解いていくような本ではないのだが、これだったらこうでしょうという当たり前のように載せられた数式が分からない。行列の足し算なら分かるのだが、掛け算になると途端にムズイ。その前提にベクトルとして線形的に数式を把握するという概念があるから、ベクトルに疎いのがネックなのかもしれない。
この領域では常識知らず。まぁ数学の良いところは何かを解けるというところではなくて、常識を知れば世界が開かれるというところ。行列の掛け算の法則性が全く分からなくても、そのうち分かってくるはず。
この話において数学自体はどうでも良い。
どの人生劇場でもそういうものだというだけ。
何処かに越境する以上、初めは常識知らずであることが当たり前。
僕の辞書からは常識という言葉排したのだが、この概念ってあくまで外に対して使う言葉。当たり前が侵食されそうになったときに、正義として攻撃するため。
どうでも良いが、正しさで攻撃するときに脳内に幸せホルモン(オキシトシン)が分泌されるという岡田さんの動画をちらっと見た。
僕の幸せホルモンはそんなところからは出ていないのは何故だろう。睡眠が幸せだという感じもないし。誰かより自分が優れているという感覚もない。ここよりはるかに自分が無知過ぎることを気にしているから。
いや、経年している以上、それなりの経験則はあるのだが、経験を正しいものとして語るという感覚がどうも分からない。経験外の情報がこれだけある世界において、自分の体感が他にも通じるという感覚が分からない。体感は当人固有のものだからそれは貴重で希少。ただ、これが誰にでも共有できるという汎用性を前提とするのはどうも違う。
うわ、今日、文字数の少なさが半端ない。
誰のせいかと言えば僕のせい。文字数を確保するためには惰性では時間が無くなってきた模様。僕は惰性を安心とは思えない人物だから、次のライフスタイルを確保しなきゃなというだけであって、ここに負荷は感じない。
努力しなくても確保できる時間は日常であるから問題ない。料理スキルはずんずん。
一般常識的に努力とされている読書時間は守るべきかもしれない。だって、正味無駄だからこそ越境する領域。で、書く領域も無駄だと思われるのであれば、生活上要らないよという気はする。別にこの時間を確保するために動く必要は無い。
この辺りの2次元を前提として再構築する必要はありそう。
満月さんはずっと一緒に居るというふれこみなのに、なにやら不安がやたらと多そう。
人間社会に対する完全なアウトロー。僕は別に子供を作るという意味で社会と繋がるという安心を求めていないし、社会的な成功によって自分が他者に知られることも求めていないし、若者にも成功者にも特に羨ましさを感じない。
でも、羨ましいと思われることで存在を認証されるというのは分からなくもない。
僕は残念イケメンだから、外から見て羨ましがられたことは少なからずある。ただ、だから何なんだというやや憤り的な世界観もあり。嫉妬は知らんがなって。
僕が恵まれているという話になりそうだが、僕の恵みはマウント取る自分がキモチワルイと気付けるくらいに客観的であったこと。自分の中でどれだけ自分を褒めても良いけど、他者に対して自分が褒められるべきであるってマウントをとっても赦されるのは美少女だけ。
美少女というのは本当に物理的な存在ではなくて、概念のような。
物理的存在であったとしても、どんな選ばれた人でもここに居られるのは一瞬でしかないという意味ではうらやむのではなく鑑賞の対象になる。
ここで寝るのは名残惜しいのだが、ここまでにしておく。
おやすみなさい。
良い夢を。