わすれなぐさ

 

 

 

平日に合法的に家で弁当を食べる。

 

朝一不動産の管理会社から連絡が着信アリ。時間帯的に早番のシフトだったら返信ができないタイミング。伝言メモを聞くと「お部屋について確認したいことがある」とのこと。なんじゃろ。小躍りがうるさいとかやろか。静かに体重移動しながらやっているから大丈夫と思うが。

 

どの時点かまでの僕だったら仕事の後に回しにしていた。知らない人と話すのはなるべく先送りにしたい。今回はちと虫の知らせのようなもの(昨晩から水道の水圧が弱い)があり仕事前に連絡を返す。どうやら真下の階が水漏れらしく、この部屋にも被害はないかとのこと。いや、別に何も溢れてないし、沁みもない。業者さんを手配して点検したいとのこと。水漏れだと不便だろうし、なるべく早くが良かろうと会社に電話。

 

これもかつての僕だったら仕事に行く方が優先順位高くて、土日まで待ってくれとなりそう。フラットな今の自分は会社に連絡して半休を申請して調整した。融通を利かせてくれるのも培った信頼の賜物だろうなと思いつつ、とりあえずごろごろしながら待つ。本当はこの空いた時間に洗濯とか明日の弁当の準備をしたかったのだが、水圧が低いし、水を流すと下に漏れるかもしれないし、おとなしくする他ない。

 

ワンピースの考察動画を眺めつつ、漫画アプリで漫画を読んだ。珍しく朝からお腹が空いて鰹節かけご飯を食べて、お昼過ぎに弁当を部屋で食べる。

 

なかなか業者さんが来ずに半休で間に合わない可能性があったため再度会社に連絡して報告。こういうことにストレスかからなくなっている自分の変化が見て取れる。社会人なら当たり前だろうが、僕はもともと別にまともな社会人ルートを通ってきていないし。

 

業者さんの点検はすぐ終わった。個人的には畳を引っぺがして床を剥ぐことまで想定していたのだが、お風呂場とキッチンの水回りを見て、何が原因か分からんがとりあえず補強して様子見になった。原因が解決されないと再現されるかもしれないという不安も特にない。もっとも観測できる自分の存在がどういう原因で成り立っているのか分からない以上、世界はどれだけ生きても未解明。

 

出勤する頃には夕方。小学生の下校時間とかち合ってなんだか楽しい。放課後出勤。この辺りでワンピース考察動画について頭の中で散歩していた。おそらく全巻読むほどには好きだし、伏線とかも楽しいが、響いているのかというとそうでもないのが、ディズニー由来な要素が強いからなのかという考察。エンタメの最高峰だし、メッセージ性が分かりやすい。ただ、昔からそれほど惹かれていない模様。アニメ映画全部見たとは決して言えないくらいな曖昧さ。ジブリならだいたい見ているし、幼少期に見た「平成狸合戦ぽんぽこ」とか「おもひでぽろぽろ」とかの方が響いている。

 

漫画で言っても、響き具合で言えば「ベルセルク」とか「バスタード」とかなんか得体が知れないものの方が響いている。別の物語由来で言えばディズニーを下敷きしたワンピースより、遠野物語を下敷きにしたうしおとらが響くのも分かりみ。

 

別に貴賤の話ではなく、単なる趣味の話。

何に響くのかという趣味は外から見れば取るに足らないことだが、内側においては最も大事にしないといけない領域。誰かに共鳴されるようなものでもなく。

 

からくりサーカスの下敷きは哲学っぽい。人間の存在って考えなければ感じで掴めるし、生きるにおいて特に不便はない。ただ、考えようとすれば把握していたはずの存在が途端にあやふやになる。

 

そういえば、最終講義で、ハイデガーさんの「存在と時間」は未完で不完全だと当人が認めていて、現象学の本質とかなんだかの講義録の方が最新版なのだとか。読みたいところだが、手に入るものか不明。

 

 

仕事については特にない。僕もいちいち今日の騒動について言語化しないし。最後に年下上司が下の階が水漏れになったら上の階に非が無くてもあらぬ恨みを買いそうだと不安がっていて、なるほど、そういう発想は当然だなと想う。たしかにかつての僕だったら不安がっていたかもしれない。朝一でこうなった時は若干のストレスを感じた。今はそんなことで人は退場しないし、どれだけ不安がったところで事態が好転しないのであれば意味がないとしている。思考とか行動で改善できる余地があるのならともかく。

 

HSP傾向なので、考慮すべき事態とか現状の情報量がやたらと多くて、優先順位もあまり付けられなかった。これを扱いきれなかった20代の頃には、先にした約束の方が優先ということで、恋人さんより友達関係を優先したとかのエピソードがある。そういう自分がしたいことが後回しになるということが疲弊だとしたら、僕の20代は疲れ切っていた。でも自覚的には最中に疲れては居ない。ただ、次の日はひたすら寝るということになる。自覚症状がない疲弊が最も危ない。

 

今は交友情報カットして、考慮しなくちゃならないという事態を減らしている。かといって人付き合いが苦手かというと、1周回すとそうでもなさそう。既定された枠の中で関係するのは無理だし、僕でなくても良ければ切ってもええかとなる。もちろんこれは僕が大それた存在であるということではなく、許容値のこと。人間像として受け取れる値って自然と設定されているはずだが、外れても関係できるかではなくしようするかどうか。

 

満月さんと出逢う半年前まで3年くらい恋人さんも具体的に関係している人も居なかったのだが、問題なかった。僕にとって人間関係は必須ではなく楽しむもの。自分の見解というか思想が突飛なのは知っているから、特に賛同を得ることで暖を取るつもりもない。そういう世界ではもともと生きて居なかったらしい。

 

そういえば、昨日の日記、満月さんに対してなかなか惚気ていたらしい。

自覚症状が全くない。どこだったのかも知らない。世界線の話の辺りかという当たりはあるが、どうなのだろう。

 

誰かに歓心を買うためだけの言葉を扱えない。

もっと語彙が少なかった時代は凄いですねとか言っていたが、もっと表現しても良いのかという時代になってきた。

 

今日話したらなんだかゆるゆるしておった。

可愛いことだ。

 

「知性について」で、新しい情報が現れて自分に誤りがあったとしても認められないのは自分が積んできた存在が揺らぐからという話がある。こういうのを感情化すれば怒りとか疎外になるのだろうなという感じ。

 

僕は他人に対して怒ることがない。イライラはある。ただこれは1人ではないのだから当たり前の摩擦。存在をきちんと認知できるのであれば自己と他者の違いに違和がない訳がない。

 

存在についてのインスタント考察。

 

なんでこんなことで不安がらないといけないかという自分に対する怒りを穿っていくと、ユングさんの集合的無意識に至る。価値観は意識で把握できるし、しようとすれば変更もできる。でも、出自が分からないもやもやはそうはいかない。言葉にできない歴史からインストールされている感じだから。なんで発信に対して返信しないのが罪悪感になるのだとか、お金にまつわる感じとか、神様は居なくとも信仰すべき対象は必要とか。

 

言葉すらならない環境を無意識が把握していて、無意識は生存とか恒常性を至上としているから、意識がどれだけしんどいかなんてことは気にしないのだろうなというところまでは至った。

 

はい、お待ちかね過ぎて満月さんは寝ているかもしれないが、待たずに寝られるのは良いこと。これで僕の存在が優先順位低いという解釈もしない。この解釈は幼稚すぎる。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。