いるときいないとき

 

 

よく寝られる遅番。

 

なんとか通話のタイミングを合わせようとも思うのだが、帰って2時間以内に日記まで終わらすことになる。弁当を1週間分先に作っておけば可能だしできなくもなさそうだが、なかなかの修羅である。ただ、毎日メインのおかずを3食分作って来週の弁当用に冷凍しておくと考えるとかなり現実的。それ用のジップロックを準備すれば良い。

 

仕事。手を抜いている訳ではないが、なんだか適当に過ごしている。先生に負担がかからないようにという意識がある人って僕以外にあんまり居なさそう。これも僕が先生のことを好きだからではなく、単に偏っているのが気になるからというだけ。まぁでも、自分さえ良ければよろしいという人生劇場はとてもまとも。僕もここに居る限りはという限定付きだから、特に情が暑い訳でもない。

 

情によって動きを変えるのは割としんどいこと。情が厚いと思われるのも止めてくれという感じだが、人の価値観の因果を変える気もない。

 

遅番は弁当タイムも優雅で良い。公園に人があまり居ない。ケサランパサランのような虫がいっぱい飛んでいる。昼のホタルみたいな感じで遠目に眺める分には綺麗。ローソンに新しい留学生っぽい店員さん。缶コーヒーの熱さにびっくりしていた。僕もびっくりしている。持ち続けることができない。飲む分にはちょうど良いが、缶コーヒーで悪魔の飲み物の熱さを再現すると熱いわーってクレームが来そう。攻めている。

 

まだ買ってはいないが、ドイツ語の入門書もぱらぱら立ち読みしているお昼休み。0から始めるというのが良いのではと思いつつ、0から始めた英語が全然身になっていないことを考えると、教科書みたいなものをどれだけ読んでも僕には駄目なのかもしれない。英語教育で得たのはアルファベットの書き方くらい。英単語の綴りとか読み方とかもいまいちわかってない。これってたぶん母国語である日本語と断絶した情報として教えられたからではないかと穿っている。

 

第1言語の習得って、音としてしか認識できない言葉がもともと環境として馴染まれた上で、言葉としての規則を習うということだった。第2以降の言語ってどれだけ聞いても環境にはならないし、もっと第1言語を前提とした学び方って無いものだろうか。

 

とか穿っていくと、そもそも日本語にも外国語がいっぱいある。概念とか悟性とか、あんまり日本語として認識できない領域。

 

 

規則から始めても覚えるだけになりそう。読み合っているのかどうかは不明だが、相互フォローの人が法律学の入門書を読んでいるようで、もっとやれーという感じ。法律学の入門書は良い本が増えている。生きている世界を前提に法律の規則を語るという感じ。目的がない、あるいは目的にそぐわない法律は意味がないというか、憲法違反になる。法律がもたらすルールはどうしたって、人の行動を制限する。これが道徳とか宗教の戒律と違うのは、その行動制限が社会生活に利益をもたらすという国民にとって読み取れる目的があること。ある界隈でのルールではなく、一般的な公約数的なルールだが、それが個人的に気に入らないのであれば、主観的でなく一般的に語る必要がある。主観的に嫌だと言うのは、雨の日には気分が悪くなるのと同じ話。

 

この流れで、租税法ってほんとに目的に適っているのかということを考えている。

自分が税金として払ったお金がどこに行っても良いけど、それによって社会全体が豊かになっている感じがしないから、国家は何をやってきたのだろうって。だから仮想通貨の世界が盛り上がっているのでは。きっと手数料とか通貨の相対性(円安ドル高みたいな)もなさそうだし。そもそも構想からズレてないかというだけ。

 

やれやれ。

 

本日は若干腹を立てていた。腹を立てるというか、自分の内心に浮かんでくる不安に対してなんでこんなことで不安にならなきゃいけないのだという憤り。お金が無いことは単に自分が社会的な取引活動を制限されるだけであって、不自由な訳ではない。そこに参画できないことが仲間外れというレール観もきっと無意識にインストールされている保守的な感覚だろうなって。

 

女性の保守的レールは配偶者をいつまでに手配するかみたいなところだと勝手に思っている。このレールから外れるのは大変そう。多数派の界隈ではパートナーが居ないのは人格がおかしいのではないかとなるというか、共通項で話しているところに外れ者が居ると漢字が悪い。

 

でも、保守的感覚も当然大事。そういう感覚を前提として今生きられている訳だし。これが嫌だからと言って逆張りするのも論理的には保守的感覚に依存していることになる。

 

早く結婚しろよと言ってくる具体的な人物は嫌いだが、ちょうど良い時に結婚しておいた方が良いという感覚は分かる。子供が欲しかったりするとのちのちしんどくなるだろうし。僕は子供を育ていくことに人生劇場感を置いてないから、母親が孫を欲しいとか言い出してもスルーする。孫は姉と妹で見たでしょう、懐かれなかったとしてもって。

 

母親考察。この人結局1人で良かった人だと勝手に思っている。お姫様というかスポイルというか、自分の世界観が強固過ぎて誰かに影響されることができない。あんまり人と一緒に居ることができないのに僕らを育てたことは素晴らしい。もっと父親の安心になって欲しかったが、そういう人ではなかったのだろうな。父親は安心できる存在が無かったから、ほとんど自発的に退場してしまった。今の僕ならなれそうだが、しょうがない。

 

この人と生活圏で居たいとか居なければならないという配偶者関係はのちのち無理が出るというのを最初に学習した。母親と父親が仲良く話している記憶が全然ない。父親が酔っぱらって母親に甘えて突っぱねられたのはある。

 

なんだか、満月さんが運転中に、僕の若い頃に思いを馳せてくれいたらしい。

昨日の通話で、僕の存在であればここまで配偶者になれる人はいっぱい居ただろうという発言。たしかに居そうなことはあった。これは僕がモテるとかではない。8人もモトカノが居る時点でモテるだろうとツッコミが入ってきそうだがともかく。

 

僕は割と人のことを許容しながら眺めたり行動したりする質だから、基本的に相手に安心は提供できる。行動ルールにもおそらく従うことはできる。ただ、こっち側からするとどうなのかということが引っかかていた模様。人生劇場からズレているのに、ちゃんと僕を眺められるのかどうか。僕で無くても良い人と配偶者になってもいずれ僕以外のもっと良い人が顕われる。

 

もちろん退場した後に僕に縛られて一生未亡人であれみたいなことでもなく、僕が僕で在ることに安心できる満を持して現れた満月さん。僕と具体的に接しながら僕の日記を読み続けられるのはなかなかのプレミアム。

 

僕の若い頃と今と、本質的にはあんまり変わっていない。

外に見える像は違うかもしれないが、基本的には外の環境に合わせながら、内心は守っていた。体が健康でないとできない領域だが、ほんとに無理だと体もギブアップしてくれるようになった。

 

相手に対して、相手にとって何か違うよなと読み取っても、特に言わない。

具体的な個人ってなかなかルールに縛られている。ただ、その鎖から解き放たれたところで楽しく過ごせるかどうかは分からない。自己の劇場を前提としたら誰にでもアドバイスめいたことはできるけど、可能性を拡げてくれる人以外に関係は要らないような気もする。いや、留める関係の中で生きるのももちろんあり。動くのがしんどい人用の世界。

 

はい、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。