無制限

 

 

いやはや、人生劇場は諸々とあるものだ。

これこそ醍醐味。

 

朝から準繰り。

 

睡眠時間はたっぷり。二度寝前にカルピスを飲む気にもならずに寝た。

夢の舞台は運試し場。昔やっていたスーパーファミコンのアリのゲームが台になっている。たぶんPCゲームからの移植だと思う。操作するアリが転生によって働きアリか女王アリか兵隊アリになってそれぞれ動かしていく。最終クリアが何なのか知らないが面白かった。夢の中の僕は4000発くらい勝ったらしい。ボーナス中は玉の動きとアリが砂を掘り進めるのと連動していた。右打ち左打ち乱れ打つ。

 

 

仕事。そういえば昨日仕事の話書いてない気がする。別に詰まらないということでもない。本日も特に書くことはない。もう転職する感じだが、手は抜いていない。転職というか人生劇場的にもう大阪からは居なくなるのだろうなという感じ。

 

お昼。昨日は流石に諦めたが、本日は晴れていたから光合成できるかなと公園で食べる。できました。風がなかったら日向ぼっこちょうど良い。光エネルギーを補給し、本屋さんで次の本を補給。螺旋プロジェクトという伊坂幸太郎さんも参加している本らしい。まだ読めていない。

 

帰り際、ややこしい案件に当たって30分残業する。明日先生に確認を取らねば。論理的には大丈夫だと思うが、システムが想った論理通り動くのであれば保守とかデバッグは不要だし。

 

帰り道、満月さんのもやもやを通話で聞く。聞き下手と言われる。たしかに僕にはもやもやをうんうんと慰めながら聞くような機能はない。もうこれは辞めてしまった。なんで辞めたのかというと、これってたぶんAIができるようなことで、僕でなくても良いから。こんなこと書いても特に怒られないと想うから書いている。僕ならどうするかではなく、同じ状況でどう思うかって当人しか分からないところだから、そうだねとも言えない。そうなんだねというくらいか。こういう意味では昔の僕はもっと優しかった気がする。

 

 

そうして帰宅後にイベントが発生する。

 

通話が終了してしばしもぞもぞ(窮屈になるから義務的に)した後、さぁ、お風呂溜めながら活動するかとなって、蛇口を捻るとちょろちょろしか出ない。まぁ出るのだったらそのうち溜るから放っておいて日常ルーティン入って、食材を切っているとピンポーンとなる。基本無視するのだが、なんとなく出た方が良い気がして開けてみる。

 

部屋着でこじんまりした眼鏡の女性がおる。

下の階の者なのですが、また水漏れしているので、水を使うの控えてくれませんかと言われる。2回目なのでという発言から、僕が上の階で水をどちゃくそ使っているという非難のニュアンスもあったが、すみませんというフレーズは出なかった。分かりましたとだけ答える。ほんとに困っているという感の方が強い。

 

なかなか勇気が要ったことだとも思う。不動産会社通せない時間帯だし、なにくそわては何も変な事してないでって突っぱねられる可能性もあるのに。

 

という同情ではなく理解により、日常の当たり前を変える。

お風呂読書は諦めて、まずはシャワー。銭湯とネカフェという選択肢から、ゆっくり本を読めない銭湯で浸かるより、さっとシャワー浴びて帰ってきたほうが良いという世界線を選ぶ。

 

徒歩片道20分。お風呂に浸かれると思っていた足先が痺れていたのだが、なんというか、日常で余計に歩く時間ができたイレギュラーを楽しんでいる感。ネカフェのシャワーも初体験で面白い。

 

お弁当も当然作れない。料理には水を使うしきっと蛇口捻ると漏れるから、コンビニで主菜だけ買って、さっき主菜に使おうとざく切りしていたキャベツをサラダにして、副菜は多めに作っていた椎茸のマリネで充分。

 

排水もなるべくやめときたいのだが、生理現象は排せない。排水が漏れているのであれば異臭が残ってもっと怨嗟が積まれていると思うのだが、この前の水道業者さんはどこを点検していたのだろう。

 

あぁ、今夜の歯磨きはミネラルウォーターでゆすぐ予定。

 

 

こういう感じで、特にイレギュラーによって何かが制限されたとて、特に何も波打たないという精神になっている。今日のお風呂どうしようかとフリーズしたのは確かだが、10分くらいで動けた。こういうフットワークを得たかった。いや、なんだかんだこうゆうのをやってこられてきたから生きているということで、これこそ僕の本質ではある。

 

本日の自分の一日は特に何か制限されていると感じない。

明日のお昼は何処かのお店で外食を取ることになるが、松屋で栄養補給も良き。

 

 

やれやれ。

 

一般的な当たり前からはバグっているような気もするが、kindle読み放題の自由エネルギー理論にそういう世界観があって、なんと面白いこと。

 

かなりややこしいから読み込めてない(要あと3回)。要すれば、脳は変化を嫌うという性質があるというのは誰しもにある前提。世界を捉えることにおいて、理論モデルがある。これを(信念)と当てるセンスが好き。理論モデルとなるべく誤差がないようにするという世界観が当人の現実の動きなのだろうなという推論。

 

ここから言えば好奇心も信念を更新してそれを当たり前にしようとする行動になる。

 

なかなか理に適っている統一理論。

 

あんまり現実化していないことを書いても仕方ないが、意志の現実化って当人の世界観の当たり前の更新なのかなとも思っていて、人生劇場ってもっと試行錯誤できる余地がある。

 

この世界観だと、退場なんてしてられない。

 

ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。