差分

 

 

多様性って、ストレス社会なのかもしれない。

新規の情報が多くなることをストレスと感じるかどうかは人それぞれで、マジョリティ側の方が過負荷になるのかも。そんなものがほんとうにあれば、だけども。

 

 

朝ピンポーン。何かと思ったらガスの点検だった。そういえばSMSが来ていた気がする。ちょうど30分シフトが遅くなっていたから仕事に遅れることもなく。ホースも無料交換だった。この青いホース30年物なのではとびっくりされていたが、ガス漏れは無かった模様。まぁガス漏れの異常があれば臭いで分かるだろうし。僕が使っている物達、そんなにメンテナンスしていないのだが、すごく長持ちする。特に家電。あんまり有害な電波を出してないからだろうか。パソコンは精密機器扱いしていないから結構駄目にする気もする。日記が1週間途切れたらパソコンか僕が退場したと思ってくれて良き。

 

 

昼。雪が降ってもおかしくない気温に仕事着の軽装備では耐えられず、休憩室で食べた。3日振りのお弁当はうめぃ。安価な梅干しを補充し忘れて養蜂場のはちみつ漬けの梅干しという贅沢日の丸。この梅干しの甘味はご飯に合わせるには微妙で、何かと付け合わせるのではなく、滋養強壮的に独立して食べる物なのかもしれない。たしかにそれでも問題ないくらいの存在感はある。

 

 

お仕事。なんだかざわついている感じだが、僕には全く波及しない。おそらくお洒落な先輩が何かしたというか、クレームが入ったのだと思われる。たしかに話している声を聴き流していると、結構突き放した感があるというか、やんわり怖い。というか、なんやかんや自分の世界でいっぱいいっぱい感。余裕がある時にしか他者は居ないという世界もまぁ悪くないと思う。

 

世界における他者の扱いって自然現象でもないし、経験則で対応しきれないいつでも新規だから、とても難しい。学問を集約すれば人間について思索したり観測したりしている訳で。

 

自分に向けられた声の印象も、細分化できるような気がしないでもない。

どれだけ近くなっても、あくまで当人の世界の中の他者だから、どれだけ良さげな言葉を発していても、当人にとって都合悪い領域のことは聞き入れないとなりそうな声色は分かる。先生は仕事上では自分の非があればきちんと受け入れるが、日常パートの雑談が流れてくるのを聞いていると、かなり偏屈っぽい。これは切り分けているから別に問題はなさげ。

 

人の語用で気になるのは、日常パートの言葉において主語が完全に自分になるところ。

視点の問題だけで、存在が尊重されていないかどうかわからないのだが、視点というか、人生劇場が相乗化されるのが、あえて構築するパートナー関係ではって。

 

今の時代、独り身の存在もありうるものだから、いやいやとか強制的に誰かと一緒に生活することが必須ではないのに、なんだかあくせくしている人の層がある。僕が母親に安心されたのは社会的にどうこうというより、1人で居ると退場してしまうのではないかという危惧がありそうな印象。入院とかは無いのだが、人と関係していないと退場寄りになってしまう自己の人生劇場があるのかもしれない。動いて誰かと関係していないとままならないみたいな。

 

僕の劇場だと、あえて人と関係するなら義務より楽しい寄りが良い。

予定としては、年末年始に新しく住む家に前乗りして、満月さんの仕事帰りを待つ主夫になる。豆乳鍋を所望しているから凝ったのを振る舞おうと思う次第。日常で料理の試行錯誤してきたことがここで生きる。対価は要らない。

 

個別的な関係を権利義務とか損得勘定でしか把握しないのは、完全におかしいのだが、この観念は確かに当たり前ではある。そういう風に集合的無意識が形成されているから、時間とかお金とか精神が奪われるみたいな世界観になる。

 

 

こういうのが、無意識が生来的に獲得している世界のモデルなのだろうな。

自分が無理にしたことには対価が発生して然るべきみたいな。これが労働であり、お客様は神様精神。

 

自由エネルギー理論が言うところの人は世界をモデル化しているという話がいまやとてもしっくりくる。どんな経験則を持っている人も、それは当人の世界のモデル化でしかなくて単なる具体例。ここになぞって生きたところで時間も空間もずれているのだから同じようにならないのは当たり前。参考にして加工しないといけない。

 

赤ちゃんでさえ世界を学習しているらしい。

サプライズを無くすためにイレギュラーを注視するみたい。僕は赤子に注視されがち。顔がイレギュラーなのか?

 

 

人間の原理において、未來のサプライズを無くす為に、今のさプサイズを好奇心として探索らしいとか。世界には無限のサプライズがあるのに、何処でここまでで良いやってなるのだろう。

 

これって学歴とはほとんど因果していないような。

 

僕はもっと試行錯誤したい領域がある。

お金持ちになっても世界線ずれないから、もっとお金があっても良いなとか。

もっとお金も大事に扱おう。

 

ここまで。

 

おやすみなさい。

 

 

良い夢を。