不可避

 

 

 

すこぶる調子が悪い(悪かった)。仕事帰りずっともやもやしているし、スーパーの買い物では迷うし、帰って来てもお腹は空かない、手先がふわふわして覚束ない。日常の活動ができないくらい体に影響が出てきたのはどれくらい振りだろう。なんとも人間味がある。

 

満月さんに凹み声を聞かせつつお風呂を溜めつつコインランドリー。

 

 

仕事は99%うまくいったはずだが、残りの1%で引っかかってしまった。僕の案内不足で女性上司への迷惑がかかり、女性上司は相手が僕だからそういう言い回しをしたのではと疑心暗鬼がかかり、余計にぐわんぐわんする。

 

ここまで強い絶望感は法律事務所の事務の頃依頼だから5年振りかもしれない。

 

お腹もすかずお弁当を作る気がないから、ベビーリーフにたまたま本日買った加工不要なサバ水煮缶をぶっかけたマヨポンと昨日作った新ごぼうと人参のレンチンきんぴらを食べている。別に弁当を作るために弁当を作っている訳ではないから、自炊が抜けたくらいで自分を責めることはないからここは良い。

 

 

お風呂読書中ももやもやしながら読むから文字が流れる流れる。この感じでも残る文字情報がほんとうなのかもしれない。お風呂につかって身体が温まってきたからか、なんだかムラムラ(?)してくる。

 

端的に言えば無難で過ごさないのであれば、きちんと自己主張して無難ではない理由を示さないとなとなる。無難で生きるのであれば理由は外で決まっているから察してちゃんになっても良かろう。ただ、この場合、自分が察されちゃんにもなる。

 

朝一で女性上司ともう一回話すべという発想が起こったら、もう一回主体が戻って来る。このタスク、従来の自分だとハードルが無茶苦茶高いのだが、上司が特定の部下に何の害も与えられていないのに怨嗟的感情があるという統計的確率は天文学的な数字になるだろう。海の民と山の民の遺伝的確執ならいざ知らず。 

 

(自己鼓舞)

 

外から見たらそんなことでということに絶望的にうしろ向きな解釈をしてしまうのはバイオリズムでしかない。満月さんは僕の本質を突いていて、もう少しで辞めるから投げやりで仕事をしていると思われていると無意識で思っているのではないかとのこと。たしかに継続性は加味していないが、意識的には全体の仕事量が減ればええなと仕事しているし、かなりきちんとはしているはず。聞かずに自己判断していると見られることも稀にあるが、その辺りは記録で残っているから問題ない、はず。

 

バイオリズムがやばい時に、記憶領域が活発だと後ろ暗い記録しか出てこない。記憶が感情とセットなのは負のことが多いなと本日ふと想ったのだが、なんのことない、単なるバイオリズムの話。波長が一致した記録が出てきやすいのは、細胞の粒子の配置が近いからだと思われる。

 

バイオリズムは完全に不調なのだが、そういえば、不調にもかかわらずその不調に完全には浸っていないところを観測して、我ながら随分強くなったものだなと想ったのだった。無難ではないから変なことになることがあっても、僕は僕を見捨てたり見限ったりしない。

 

仕事上で言ったら、越境をあんまりしないようにすること。あと、別に明言しなくても相手にから自分が肯定されていると醸す気質があるのかもしれない。今回の案件もそうだし、言ったか言ってないか問題だと記録を聞き返しても言ってないだろうに。

 

情報流すではなく相手を肯定するお仕事の方が合っている気がする。

相手を肯定して賃金が発生するお仕事として思い当たるのは夜のお仕事かカウンセラーとかだが、他に何かあるだろうか。

 

 

やれやれ。

 

僕が今後人生劇場で生きる上で大事なのは、現実での自己主張なのだろうな。すこぶる苦手だし、何かを主張するという動きはそれ以外を否定しているように見られる。日本人がなんでそれをしたのかと聞かれただけで、非難されると認識してしまう誤解は何故なんだろうな。

 

これって、刑法観でいうところの結果無価値論なのかもしれない。

どんな理由があるにせよ、結果が全てで、それをした理由を問われたところで意味が分からない。理由がブラックボックスになっているから、問われたところで説明ができない。

 

僕は仕事上では理由は付けられるように過ごしているが、日常は特に理由がなく動いている。満月さんには話が通じないと紹介される次第だが、居てくれる人に特に説明する言語は必要なのか問題。もちろん好きですよとかはいくらでも言えば良いし、事務情報の疎通としてのほうれんそうは必須だが、日常領域に言葉はそんなに要らないような。直に接していればメッセージは動きで表現されているし。

 

違うのかな。

 

不調なので明日女性上司と直談判できるように応援してくれるとありがたい。

そんなにリアルタイムで読んでいる人は居なさそうだけど、なんとなく頼ってみる。

 

旧来の僕ではありえなかった所作だが、なんだかこれはこれで面白い。

自分のバイオリズムが自分のことを全否定してくるときに救いになるのは他人の肯定だよな。

 

弱さが楽しい。

 

ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。

 

皆が良い感じの人生劇場でありますように。