階律

 

 

本を読むのは好きだが勉強するのは嫌い。

 

社会的に得た信用を切り崩すクズムーブ。自己責任の範疇だから問題ない。負けた帰り道、なんで調子悪くなったのだっけと、いつの間にか通り過ぎて復調していることに気付く。

 

 

 

さておき。

 

やはり休日は平日より早く目が覚める。もぞもぞしたり洗濯機を回したりうどんを食べたり。うどんスープうまい。理容院の予約が12時半だったため、先に本屋に行くことにした。メタバースの本を探してみたのだが分野別の棚にはなく、もしやとビジネス書が並んでいる棚に行くとあった。ただ、体系というより展望を語っている本ばかりの模様。そりゃあそうか。理論というより実務というか実践であって、歴史はこれからできるもの。アルゴリズムとかAIの本の本が良さげ。その分野の本はまだ消化していないのが家にあるから保留。

 

簿記学の本はちょうど良いのがあった。税理士、公認会計士の資格試験の勉強をしている人が読むような本みたいだが、歯ごたえがある本が欲しかったから関係ない。簿記には歴史があるから、理論も当然にあって。理論部分が気になっていた。細目はあんまり気にせず読む。賃借対照表と損益計算書の項目がどういう風に並んでいるのかという話が楽しい。調達と用途、利益と費用。

 

そういえば、勉強嫌いの本好きという話。あんまり絞って知識を習得するということに馴染めない。この点、同期は勉強していて偉いと思う。過去の案件を知識として復習したり、紙媒体のノートに付箋を貼りまくったり。というか、職場の人達みんな偉い。僕は過去の案件を読むが、用途がどう使えるかという道具だからいつまで経っても偉くなれない。いや、そうなりたくないから勉強嫌いなのだが。偉くなると土台が固まってしまってあとは積むか崩すしかなくなる。ばらばらを1から組み立てる方が楽しい。

 

 

そうして理容院に到着。指名している理容員さんの弟さんが今年もあと1回ですねと話しかけてくれて、職場に馴れてきたのだなぁとほのぼの。そのうちゲーム談義とか漫画談義もできるかもしれない。兄とは相変わらずの会話が弾む。1月振りに聞く声が枯れていて、「酒焼けですか」と聞けるくらいにはフランク。別に感染とかは気にならずに聞いたが、感染系ではなく、寒暖アレルギーという診断らしい。声優志望だった頃の杵柄で、声の出し方をコントロールしてなんとかなっているとか。たしかに僕も声の出し方気にして仕事している。

 

あと、面白かったのが、人には自然の量程度には脂肪が必要ですねという話。僕は普通に生きていて、彼は筋トレと節制し過ぎで、脂肪分が足りなくて、冷える。あと空腹も加えて状態異常とか言い出すものだからゲーム脳に笑ってしまう。まさに猫を飼うようになったゲーマーさんの漫画の主人公。もう1回切る時間があっても良いくらい話し足りないと言われてほっこり。忘年会を開催するフラグか? いや、単なる社交辞令か? いやいや、そんなこという人ではないという見立て。精神的に発話することに抵抗がないみたいだから飲んだら楽しそう。

 

ちゃっかり僕が見ているゲーム実況を宣伝しつつ。

 

人と話す話題がないってなんだろうな。基本話さなくても良い人だが、お互いが相手に興味があれば生きている世界がズレていたとしても話題は尽きないと思う。相手が自分に興味を持つようにする会話なら大変か。あんまり意識したことがない世界。無難に相手の話を聞くことの方が多くて、その範疇で自分のことも話すようにしていた歴史。

 

 

そうして運試しというか自分試し。

色々と社会的な自分が渦巻くのと調子のリハビリと。ちゃんと自分は引けるよなって。まぁ調子が悪くて惨敗したが。

 

スーパーに寄って帰宅してせっせとご飯を作る。

どんな状態でも生活ご飯くらいは作れるし、文章も書けるし、本も読める人生劇場。

 

 

 

調子の話の前に、性欲の話。

 

漫画アプリで最初の方が無料という本の中に、しれっと少女漫画みたいなのが入っていて、いつかどこかで読んだことがある感じ。結構倫理的にズレている人達が集まっているシェアハウスに金欠の主人公の女性が居住すると、中学時代の初カレと再会する。彼は不能になっていて、主人公にだけ下が反応するからリハビリのために添い寝をしてくれとお願いされる。絵柄がどこかで見たことがあって、別に下が反応する訳でもないが、しばらく読んだ。

 

ここで気になるのが、下と行動の直結の話。僕も一応男性で女体に反応する人だが、致すことと直結するという回路が良く分からない。普通はバーサーカーモードになるものなのか。かつて遊び人の知人がそんなことを言っていたような気がするが、生理現象に従う必要もなくないか。僕はもう少し下に従順なっても良さげだが。満月さんが満足しない。

 

お腹空いて、目の前に食べ物があっても食べないことも選択できる訳で、この当たり前感はなんなのだろう。下が反応していても普通に寝てしまえる人間。

 

読んでいる限り主人公は致されてしまうのだが、今後どうなるのか。

気になっても読まないことを選択できるのが人間。

 

何を赤裸々にという感じだが、暗がりの思索よりはマシなような気もする。

いや、僕の文章においてまともなことがあるのか、無いに違いない。

 

 

やれやれ。

調子と心身衛生。

 

こんなこと誰も教えてくれなかったというライフハック。自分の精神が調子悪くても無理に良いように強制しない方が良い。人間にはバイオリズムがあって波打つから、その波を無理に良い調子にしようとすると体の方に不協和音が起こる。昔の僕は定期的に年末辺りに風邪を引いていた。自分の精神の状態を観測するという概念が無かったから、体がガス抜きをしていて、風邪を引くくらいであればマシ。

 

不調は不調で否定せずに、観測はしているで良い。

全然悪くない。ただ、行動としての主導権は握らせない。不調の時ってトラウマとか自己嫌悪が活性化するのだが、はいはい、ちゃんとその自分も認めますよ、一緒に暗がりに居ましょう、嵐が過ぎ去るまでという感じ。これで風邪引かなくなった。

 

この世界観の効用は、他人の不調にもあくせくしないということ。

満月さんのバイオリズムの不調も直そうとは思わない。ただ一緒には居るというだけ。

 

こういうのって、精神医学的には通説なように思うのだが、不調が社会的に不具合にならないと動けないから、なんか変。正常な人も正常であろうとして体に不具合きたすし(僕ももみほぐしを体感したい)。

 

別に統合的人格という理想でも良いが、どんな人でもバイオリズムはあるくらいの教育は欲しかった。答えがないことは教えないのが是なのかもしれないが、人って全然違うじゃんとなってしまった。

 

価値の置き所が違う、それは認める。

親に感謝できるならもっと感謝する領域拡がるという説。

 

なんだっけ。

あぁ、もっと生産的に動けるよなと思ったのだった。

 

創造は僕にはできない領域だというタブー観があるのだが、自分の中にある手触りを文字に起こすことならできそう。ピースはいっぱいあるし。

 

 

もっと楽しいことを考えようという発想が起こる時点で復調だった。

 

はい、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。