代償

 

 

 

村上さんの新刊を読んでいてなんとなく。

 

社会の輪というか螺旋のレールに流れようとすると個は添え物に過ぎないし、個で踏ん張ろうとすると螺旋から置いてけぼりになる気がするし、人という概念がそもそも分断というか分裂していてなかなか無理があるのだろうな。平等に均したいという無理筋もこの文脈だろうし。平等ではないから社会福祉がある訳で、誰にとっても公平な世界は無い。エデンとかにはあるかもしれないけども。

 

むかーし本の師匠が「ノルウェイの森」は登場人物と進行役以外にも人が居るということをほのめかしていた。結局解答はなくてうやむや。ただ、最新作読んでいて、なるほど神様みたいな視点が存在しているような感じ。俯瞰的に状況描写をしたり内心を推察したりする書き手の言葉ではなくて、絶対的な真実を語る目があるようなぁ。具体的なところは満月さんが読んだ後に覚えていたら。

 

 

 

そうして。明日、この部屋の荷物が掃除用具を残して一掃される。お風呂読書用の本も詰めたのだが、Sサイズ段ボール1箱に入りきらないという。その重量を毎日3メートルくらい運んでいるのだから、そりゃあ筋肉も付く(見た目には全く分からない華奢)。まあ重心が体に近いから段ボールよりは軽いと思う。荷造りして段ボールを動かしていたら膝裏の筋肉痛になるのは腰を悼めないようにきちんと運べているということだろうな。腰も当然痛いのだが荷重をきちんと分散している。

 

生活線の移動なのにこんなにゆるゆる文章書いていて問題ないのかという話だが、だいたい終わっているから問題ない。早朝に起きてコンビニで余った段ボールを2箱貰ってくれば引っ越し荷物は全部詰められる。といっても300冊くらいの本は廃棄していく。詰めていたら単身パックに入りきらない。大学から大学院への転居時にはほとんど家電以外の荷物は無かったのに、この区画では随分貯め込んだ。荷ほどきしたあとにはまた断捨離していこうとは思う。読み返したい本だけ残していく。今回持って行く本の6割くらいは1回読めば充分だろうし。

 

何回読んでも都度意味が変わっていく小説は、作者が筋だけではないものを書いている作品。そういうものが書けるというのはどういう世界に生きているのだろう。

 

 

本日は少し転居のための事務処理。

 

解約受諾通知のはがきに郵便局で異動届を出して下さいと書かれていたから行ってみたのだが、届の様式を確認したらネットでもできるらしい。流石民営化。お役所にも転出届をいただきに参る。なんというか時代遅れでもなく、時代の最大公約数なのだろうが結構待たされる。本日特に急いでいないし、急いでいる時に行くようなところではない。

 

たしかに高齢化社会において、慣れ親しんだ方式から離れて着いて来れる人は顧客にも事務員にもなかなか居ない。僕の直近の職場でも請求書の文字が小さいという準クレームが上がっているからもっとフォントを大きくできないかみたいな要望があったし。

 

文字を読むことが好きな人でもペーパーレス化(?)の電子書籍に追いついていない人は多いだろうし、難しいとは思う。ただ、証明としての証拠を紙媒体に限定するというのはなかなかコストがかかるような。そのコスト自体で証明になっているという信用があるということなのだろうけど。

 

こうやって事務手続きが面倒なのはユーザーとしては不便。転居したら1か所に届けるだけで全部転送してくれた良いとのが僕の素朴なのだが、個人情報が1か所に集積されるというやばさが個人情報保護法制になっているから、あんまり文句は言えない。

 

要は、個人情報はアイデンティティというか個人が持っている財産だから、それを提供する個人の意思を確認して受け取らないといけないという制度が先にある。もっと先には事務情報を集積した国家が集合的に情報を悪用しないようって、条例から始まったのが個人情報保護ムーブ。

 

事務手続きが増える代わりに、意志の外で個人情報が交換されないという社会。個人的にはいちいち制約的文章は読んでいない。僕の個人情報の漏洩が気になることはなく、漏洩した企業は石が投げられるから色々自衛はしているだろうというくらい。僕の電話番号が漏洩して変な人から電話がかかってきたとしても、知らない人は伝言文入れてくれないと折り返さないし、どうでも良い。

 

僕の存在は僕個人が特定できる情報では把握できないし他人の情報もそうだから、大事にしようとするところがまぁまぁ違うような。たしかにこの次元で保護されるべき個人は居る。どうしようもなく舞台に上がってしまっている人達。若さとか美しさとか有名人とか、物理的に女体であることとか。市役所がフリーダイヤルにしないのは有名(法)人だからだろうな(どうでも良い)。

 

フリーダイヤルにすると変な人がいっぱい呪詛を投げてくるって年下上司が言っておった。ただは怖い。無料にコストがないと短絡的に把握できる人が世の中には一定数居るらしい。

 

引っ越し先のコンビニの店長さんは無料の接客的発話とか記憶をしてくれている。僕が吸っている煙草の銘柄も把握してくれていて、都合10回くらいしか行っていないのに、今度は銘柄でも数字でもなく「いつもの煙草」と省エネ発話して良いですよって。それによって効率的な業務ができる訳でもないというところが嬉しい。宵顔さんにとっても僕は単なるお客さんでしかないのに、何か覚えられているのが嬉しかった。もう忘れていても問題ない。僕は忘れない。いや、固有という意味でもない。僕の世界線に明示的な意味をもたらさなかった人達のこともいっぱい覚えているし、僕の劇場ってそういうもの。

 

店長さん、早朝に買い物に行って、夜に行ってもまだ居たから「まだ働いていらっしゃる」と感想を発話したら、「3時間しか寝ていない」とか。僕にゃあなんもできないけど、次に行ったときにも労わろうとは思った。便利さってそこで働いている具体的な人が居て、そこに対価があれば資本主義としては申し分ないけど、コンビニ店長がきちんと対価を得ているという気はしない。フランチャイズ業界ってロイヤルティで収益のいくらかはブランドで持っていかれるから、働けども働けどもになりうる。煙草もきっとそう。

 

コンビニっていっぱい買うこともできない場所だし、って何の話や。

 

世の中には知らない方が良いことがあるということを言っている人って、それほど全方位的に社会を知って居ないよなという感じ。この文脈は他人の内部というところがほとんどっぽいが、それって感得した相手より、相手の内部の情報の重いということ。情報だったら他人にも共感されうるし、証拠になる。

 

僕は知れば知るほど良いという劇場だから、ここまでで良いという感じがよく分からない。ここまでで良いというのは世界ではなく自分だから、その範疇でしか他人を捉えられないのはそういうものだとして、他人の足は引っ張らないようにした方が良い。

 

人生において何を問題にするかという本質でいえば、世界は操作するものではなく楽しむものという次第。都合の良い美女なんてパートナーとして求めていないし。

 

明日も雨なのは変化の時はだいたい雨が降っている感じで良い。濡れた段ボールが懇切丁寧に緩衝剤要らずで詰め詰めした荷重を耐えられるかは分からないが、プロがきっとなんとかしてくれる。

 

明日は何も荷物がない環境で書けるだろうか。いや、どうにかして書くだろうな。

 

 

では、また明日。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。