短文
やんわり雨が降り出した夜。
雨は移ろい。
ちらっと流れて来た記事に歌人の話があった。短歌もあまり知らないのだが、ぽろっと出てきたように創り込むという考え方は結構好き。言葉の可能性ってたしかに無限大というか不定。言語が完全に解析されたら生物学上の部分以外の人間はだいたい収まってしまいそう。
言葉は表現物ではなく、ものさしとして露わになるもの。
短歌の枠脳はない。ただ、感性を言葉に凝縮するという感覚は意識しても良いかも。
僕のは完全にぽろっと出てきた言葉で構成されているし。
どうでも良いが、日記を書くのはwordより一太郎の方が良いのかもしれないとふと思った。ワードだとぽろっとという言葉には赤線で間違っていますと波線が引かれるのだが、ビジネス文章(常用文章?)でアウトな表現も日本語は許容しているし。個人的に誤用とされている語用で最も気になるのは「したり」の遣い方。これは2個以上繰り返すのが正しいみたいだけど、1個だけにして、次はあえて書かないという表現はあって良い。そもそも、この重ねて書かなければならないという正しさの設定にそれほど合理性はないような。
ビジネス文章だと、受け手ありきだから変なクッション言葉とかも相手にとって失礼がないようにという単なる枠の話だから問題はない。でもその相手の機嫌によって評価が変りうるというのはまぁまぁの闇というか、運ゲーム。ちょっとした行き違いで相手の逆鱗に触れるのだから、相手が読んでいるのは言葉ではないということになりうる。
いや、たぶんそうなのだろうな。
たぶん、言葉そのものではなく、非言語情報によって読み味が変わっている。年代とか、来歴とかの方が強そう。なるほど、だから読まれるためには事務情報を開示する必要がある。僕はそういう感じで書いていないから、プロフィールになんの情報も書いていない人の文章が好きなのか。事務情報っぽいものは読み続ければ醸されるし。
やれやれ。
いまは半沢直樹を見ている。面白い。満月さんの推薦。顔芸のドラマと思わせて、構造が面白い。構造というものさしは満月さん由来なのだが、大きい権力に痛快に戦うというお話。この構造は、ドラマにありがちかもしれない。権力もう少し弱くすれば、社会という構造に抗う登場人物になる。僕が「結婚できない男」が好きだったのもそういうことになる。
変に穿つと、現代ドラマって、「ロミオとジュリエット」とか、「マクベス」みたいな劇場として観られているのだろうな。満月さんは金八先生とか女王の教室が好きみたいだが、個人的には教室という空間がまぁまぁ苦手。何故苦手だと言うと、教室という枠では解放されなかったから。満月さんは教室という枠が好きなのかもしれない。知らんけど。
もうちょっと文字数が書けるようになればいいけども、あんまり気にしていない。
では、おやすみなさい。
良い夢を。