てんかい

 

 

 

嵐のような雨降りの1日。部屋の空気はこもっているが、気分は全然じめしめしていない。条件に左右されない心持ちというのはある意味最強なのでは。

 

 

本日は冷やし豆乳坦々うどんをご所望だったため材料を買いに行きがてら少し運試し。また食費を稼いでくる。遊んで暮らすのが当然という世界になっていいものか。良いのだろうな。

 

早めに帰って来ると言っていた満月さんがさらに早上がりになった。ご飯の準備はもうほとんどできていたから問題ない。美味しそうにぺろりと平らげてくれた。良いことだ。レシピを調べて作ったが調味料が完全に一致できないから勘で調整する。この調整もてきとー。鍋ご飯もうまく炊けるようになってきた。これもてきとー。

 

ここでいうてきとーは量産できないということ。小さじとか使わないし、分量が定量化できない。共有できないしレシピの紹介もできない。料理は科学という話も分かりみだが、なんというか文学でもありそうな。行間の工程化できないところに秘訣があるということ。巷のレシピだって、塩少々とか中火とか、実際は感覚的なところがあるし。普通にやっている人用の材料表というイメージ。

 

 

あぁ、満月さんがブラッキーな連勤でストレスを発散したいもようなので少し付き合ってきます。運試し。

 

また後で。

 

 

帰ってきた。僕は負けたが、満月さんが大勝したからトータルでは勝ち。僕の本日の運は枯渇していた模様。もしくは文章脳のときはそういう感じではないという解釈。

 

 

こうやってぐだぐだ過ごしているようだが、生活ですることはこなしている。掃除は毎日するようなものではない(水回り以外)と想っているからあんまりしないが、ご飯は作っているし洗濯もちょこちょこはしている。時間が無い時にもここら辺はきっとできるのだろうなという準日をしているような。距離の移動の話で書いた、物理的移動がほとんどない所作だから問題になるはほとんどが意志の部分。もともと結構マメだから、必要を気にして細々心が動いていた。心が動くということはそれに準えて現実も動くということ。

 

必要は大事だが、ほんとうの動きなのかというと微妙だなぁと想う。

 

どうあれ、空いた時間に何をしようかという話。

 

本日は午前中アニメ(刀語)を読んでいたのだが、午後食材を買ってきたあと1時間くらいぽっかり空いた。何か考え事をして思考を書き出したいなという感じが起こる。手書きの手応えが恋しくなってきたからスーパーでルーズリーフを探したのだが、食料品メインのスーパーだったから無かった。

 

仕方なく、wordでまとめながら民事訴訟法のテキストと小六法を読む。PCだと記録して読み返せるから、テキストにある余計な情報も無駄に書こうとしたくってあとから見ると何も書いていないようになってしまう。でも、本日書いたメモはなんというか、行間を埋める感じで自分好み。考え方を収集するのは、定義を文字通り覚えることではなく自分なりにかみ砕くこと。こういう風に考えたかったのだろうな。

 

 

細かい話はどうでも良いと思うし興味は無いと思われるのだが、なんとなく。

民事訴訟法自体が法学の中でもマイナーで、勉強している人達の中でも「眠訴」と揶揄されるほどで、本日読んでいたのはさらにマイナー(でも割と重要)な補助参加の話だった。当事者同時で訴訟をするのが本来なのに、第三者がそこに入り込めるのはどういう条件(要件)なのか、という話。

 

ここで、そもそもの本来当事者同士で裁判するのは何故なのかということになってくる。裁判で法的判断がされることで、法律上の地位が変動する、もう少し言えば、判決によって強制的に法的地位を優位にする価値があるかどうか。専門用語で言うと「訴えの利益」という。要は利益が動かないところに、公的資源を消費する必要はないという意味で、司法は全ての紛争を掬うようなものではないということを前提としている。

 

僕は結構こういう合理性は嫌いではない。

こまごました定義もその為にあるというのが面白い。

 

 

 

 

これを踏まえた上で、行間を埋める言葉を書き出していくべきだなという感じがある。メモを取るのではなくてただ書き出すだけだからその後は捨てて良い。もともとのてきとーな感じをもっと言語化していくという試行ができる時間だなと。

 

もともと合理的で生きてはいないが、言葉は合理だからこの矛盾をもっと楽しもうかなと。メモ帳160枚を調達してきたから、色々書いてみよう。

 

ちょっと短いけどここまで。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。