とくに

 

 

 

就職活動の採否が来ないから身動きが取れなくてふわふわする。採用であれば明日の満月さんの休みに合わせてスーツをもう1着買って、宅建の受験料を支払うし、駄目だったら次を探すのに。近所の畑の茄子がそろそろ収穫時期。いいっこっちゃ。

 

本日のご飯は安くて良いとのこと。とはいえ、満月さんの口には外国産の豚肉は合わない。ちょっと割高だが外国産の牛肉を買って、育て過ぎて悪くなりそうな豆苗と卵で炒めた。塩コショウでしか味付けをしていないのだが、たしかに牛肉って美味い。これが最初の料理のベースだったら、豚肉に臭みを感じるのも分かる。豚汁とかスンドゥブだと他の風味で消されているから問題ない模様。

 

食文化で言えば、僕はあんまりおふくろの味みたいなところに回顧がない。味わった記録はあるけれども、姉と妹の証言を参照すると、母親はあんまり料理が上手くないらしい。実際のところ、個人的にも好きでやっていたとは解釈していない。嫁として母として作らねばという義務感で作っている。

 

それよりも問題なのは料理って何を食べるかというよりどういう環境で食べるのかによるというところ。食卓が閑散としていたから、どんな美味しい料理も味気ないという記録がもともとあるのだろうな。姉の家庭も妹の家庭も食卓が穏やかであることを祈る。どういう環境で生きたかという過去は解釈によって変えることができるし、どちらも子育てしているという意味では僕より社会レール上は進んでいると言えるのだが、母親を反面教師にしているだけだと歪みそう。

 

もはや交信が隔絶しているきょうだいだが、個人的には確執はないから、そのうちまた3人で飲める世界線があるのも面白いとはおもう。3人だけなら喧嘩は起こらない。

 

最初の環境を不遇だと解釈するのはいいオトナとしてみっともないというか、家族も世界線の縁だよなって。いや、こう書くと薄情と捉えられそうだが、こう考えないと変に癒着してしまうというだけ。

 

あんまりしめっぽいのは良くない。

いや、この話しめっぽいのか。家族であっても個人の関係であるというだけ。

 

 

もう1品はロメインレタスのサラダ。昨日は炒めて粉チーズと塩コショウで味付けした。これはこれで美味しかったが、本日は生で食べたいから工夫を凝らす。はちみつベースのドレッシングと、カリカリにした厚切りベーコン。完成度高い。おふくろの味に固執していたらこんなの作ることはできない。

 

情報としてレシピをせっせと書いている人はありがたや。ただ、同じ調味料を準備できることはないから、難しい。料理コンテンツって、ほとんど無料で開示されているのは、それだけでは価値がないからなのだろうな。この領域って、有料で本屋さんに行って買うのとネット情報にそれほど差がないような。

 

 

ここ2日いっぱい書いたから本日はあんまり書けない日かも。

書くって社会に顕すことであって、毎日書けない、書くためには観測者が居るというモチベーションがないといけないというのは理解できる。でも、僕が好きなのは、そういうとは無関係に表現する人。賛同者が居ないと書けないのであれば、変な話、そんなに顕したくのではってなる。

 

希少価値としたいしたいのかどうかは知らないけど、そんなとこに価値を置くと書く文章が歪まないかという他人事的な視点がある。これは現実でも同じ。価値があるから云々みないな世界観は、老後にとても大変になりそう。

 

僕は寿命で退場する時にはなんの怨嗟も残さずに去りたいところ。

 

 

そうして、無職を満喫してクレヨンしんちゃんのオトナ帝国の映画を2回見たり無職転生のアニメを見たりしている。

 

クレヨンしんちゃんの映画ってあんまり見たことは無かった記憶だが、いくつかは見たことがあったはず。オトナ帝国で面白いのは、オトナは子供に対してやんわり怨嗟があるというのを顕している。そういった怨嗟と愛がブレンドしているのだろうな。

 

だから自分ができなかったことを無理強いする教育ママみたいな存在が起こる。

自分ができなかったことを子供にやらせることで昇華されるという世界観。

 

もっと、細々書けそうなのに、今日の顕し方がここまでらしい。脳は全然腐って居ないし、いつものごとく僕の文章を良く読ませるみたいなことは全くない。

 

こうやって言語がカオスで溢れる人は、誰かに見られるように調整するか、そもそもあんまり言語化しないように抑制する。

 

僕はどちらでもないのだが、これって、満月さんでないとないような気がする。

まぁまぁ苦言はあるのだが、僕が文章を書いていることに邪魔しない。普通に共同生活をしていてここを気にしない人というのはなかなかなさそう。なんの対価もないことより、自分の方が価値があるでしょうというスタンス。

 

価値という観念は個人的に資本主義的な感覚に依り過ぎているから特になにも言えない。

 

そんなところから見れば、僕の存在は賞味期限切れのおっさんであって、このおっさん性に対して特に何もない。

 

でも、これくらいまで緩くなるためにここまで経年しないと分からなかった。

 

 

はい、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。