柔軟的くそまじめ

 

 

 

昨日は満月さんの家で書けるかと思いPCを持って行った。結果は見ての通り。談話が捗って書く時間がなかった。あまり気にしていない。毎日書けることと、書かないで問題ないことが同じ意味になるようにしてきたから。

 

 

 

さておき。

 

昨日は健康診断について問い合わせから始まる。前職での健康診断は3ヵ月以内でないと省略は不可だった。法定なので仕方ない。通常は2週間ほどかかる結果を12日までになんとか手配できたら最短での就業になるとのこと。需要があれば供給あり。なんとか電車で1時間ほどの病院で即日に用意してくれるところがあった。

 

明日の午前中に予約が取れて、本日は素面。夜ご飯も食べ終えてあとは診断まで水のみ。通常の定期健診だと1日前に診断日が分かることはなく、3日前くらいから調整している。今回は調整が1日しかないからどうなることやら。まぁなんとかなるか。

 

こんな感じで入社に関するもっとも面倒な書類がとんとん拍子でなんとかなり、満月さんの実家へ。焼き肉食べ放題やら宮城旅行のお土産やら色々いただく。使っていないスーツまで。感謝。待遇が良いのは満月さんがいままでより安泰そうであるという理由らしい。

 

そういえば、焼肉の時。弟勇者が頼んだチョレギサラダを少しくれとお母様に言われたが、分けずに一気に食べた。なんとなく全体が白けたが、どうやらいつものことらしい。欲しいなら自分が頼めば良いと勇者が言ったがお母様は、1皿全部は要らないと言う。要らない分は僕が食べますと言って仲裁しておいた。気を遣ったのではなく実際チョレギサラダが美味しかったから。

 

ここで思索が家族間の気遣いではなく、「所有権」になるのが法律畑サイコパス。勇者の中にある観念は自分が注文したから自分が食べる=所有権があるということと考察される。ただ、売買契約において物の所有権に対応するのは金銭だから、支払いをするお父様にある。そんなこと言うべくもないが、お父様が所有権を主張して返還請求をすれば勇者は法的には勝てない。自分が注文して手が届く支配領域にあるのは、事実状態を保護する占有の規律になる。動産だと登記制度がある不動産とは違って、どういう状態をもって所有権があるのかというが証明するのが難しいから、事実状態自体を保護の対象にせざるを得ない。

 

そういえば「ビギナー」というドラマでも焼き鳥の所有権問題とかあったな。これを考えたのは、別にこの家族の情が欠けているとかそういうことではなく、所有の概念も自明ではなく創り込まれたものでしかないよなということ。特に細々した動産、例えば親が子供3人で遊ぶように買い与えたゲームの所有権とかになると、誰の物なのかをはっきり決めることはできないような。子供の共有になるのか、所有権は親に帰属したままで使用だけが認められているのかとか。

 

こういうのは争いにならない限り社会生活上意識に上らない。論理的(法的)な所有権観より、社会感覚(常識)上の物の所在だから、争いが起こらない範囲で価値観がずれても問題ないということ。弟勇者は物観において両親に甘えているとも言える。これに対して僕は何の評価もない。

 

 

なんだか脱線した。

 

 

焼肉の後、満月さんとお母様と3人で談話。談話の内容に満月さんの元恋人さんの話がぶっこまれる辺り、なかなかぶっ飛んでいる。僕もそれに対してなんとも思わないというぶっ壊れ。お父様はこの人に対してあまり良い印象を持っていなかった模様。誰かと過ごすということは相手に影響されて自分が変化することを赦すこと。これは真理ではなくあくまで僕の見解。聞いている限りそういった変化を許容できなかった人だと考えられる。

 

ぶっ飛んだと言えば、どんな日記を書いているのかという話になったとき。満月さんが僕の日記に書かれているお母様についての叙述を本人に紹介した。一応本人が読んでも問題ない文章を心掛けているが、現実にそういうことが在るとなると別の話。

 

実際のところ、「お母様」というあだ名がまんざらでもないらしかった。文章の内容については貴方の考えだから問題ないとのこと。あと、何故か大笑いしていた。

 

僕の生活習慣の話もした。「くそまじめ」という評価。たしかにやっていることだけ見れば、自分のルーティンを崩せない真面目な印象は否めない。個人的には習慣というより試行としてのもの。項目としては家事とか日記とかルーティンになるとしても、項目内に決められた手順というのは特になく、どうやったら手順を省略できるかとか短縮できるかで楽しんでいるから、まじめというのは微妙にズレている。

 

その前に今までにやったことがないのに今更営業の仕事をし出すことに対して「柔軟性がある」と一見矛盾した評価もあった。個人的にはここに矛盾はないと考える。繋げるのであれば、柔軟であるために、生活上必須ではない項目をくそまじめに試行しているということ。柔軟な行動も思考も余白が必要。生活に余裕がなければ生活外の行動はできないし、頭が生活上の物事でいっぱいだと思考で散策することもできないから。

 

 

明日は健康診断が終わって健康診断書が発行されるまでに時間があるから、用意できる他の書類の手配をしてから、名古屋観光でもしようかと思っている。

 

素面での日記の試行もやった方が良いのか。素面とは言わないまでも仕事が始まれば次の日車の運転をするように量を減らすし。素面だと文字数が少なくなる傾向にあったはずだが、あんまり減っていないな。

 

あぁ、でも読んだ本パートが抜けている。1984年は解説に入って、約束された場所でもそろそろ終わる。文庫本を探して新規追加しよう。「ある男」の原作がちょっと気になる。

 

そろそろ寝る体勢になるのでここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。