ため

 

 

本日は満月さんの仕事が早めに終わるとのことで、近所のラーメン屋さんで晩御飯。行こうと思っていたお店が日曜なのに何故か閉まっていた。満月さんはそういう星の下に生まれた節がある。慣れているため2人とも特に気にせず、別のラーメン屋さんになった。僕は冷たいラーメンを食べてきた。スープを凍らせただろうかき氷が乗っていたりレタスやトマトが入っていたり視覚で楽しい。冷たい鮮度に合わせた味付けも美味しい。

 

 

さて。

 

日中は特に何もしていない。洗い物と洗濯と、経費の精算用の口座開設の申請と、宅建のインターネットの申込みの写真で挫折したのと。あとは漫画を読んでいた。帰ってからちらっとテキストを眺めただけで、他の本は読んでいない。本に関しては仕事が始まってからペースが決まるからいまは転換期ということで。少なくとも40分くらいは確保したいところ。

 

口座開設。指定の支店とは別に既に持っている銀行だからアプリで追加できそうだったのだが、何故か登録されている電話番号が認証できなかった。携帯を持ち始めた高校生の頃から電話番号は変わっていないから他の番号が登録されているはずもなく、大昔に作ったから電話番号が未登録状態なのかもしれないと妄想。Webから申請した。

 

資格試験のインターネット申込みってなかなか最先端な気がする。これがペーパーレス社会か。たしかに、資格試験の案内でも何千部とかになるだろうし、その後に使わないから無駄になる。これで言えば試験を紙媒体でするのも相当な無駄紙のような気がしないでもない。いや、試験用紙はまだ現物の方が管理しやすいし、改ざんが困るか。電子情報って場所を取らないのがメリットだけども、保存性の面ではよほどしっかりしないと誰の情報なのかが分からなくなる。試験で言えば誰の答案かが大事だが、数千人以上の単位になると技術的に難しそう。知らんけど。

 

証明写真もいちいちお金を払って準備しなくてもよくなるのかも。これもいまは紙ベースがメインだし。ともあれ、スマホで撮った画像で良いのだが背景が無い状態で貼り付ける必要があるらしく、色々調べたが、上手くいかなかった。有料でAIが背景を無くしてくれるサイトがあったが、なんとかペイント3Dでできそうだからもう少し自分でやってみる。AIの顔認証が発達したら、こういう本人確認の為の資料も不要になってくるのかもしれない。面倒な事務作業が無くなって行くのはウェルカム。

 

 

 

やれやれ。

 

フリートーク

 

ちょっと本日気分が下降気味だったのは昨日自分の暗黒期のことを書いたからなような。言葉に過敏だから、自分が書いたことにも影響される。無くなるような精神性ではないし、なんとかポジティブに生きようみたいな無理矢理前向きに制御しようともしていないから、後ろとか下とかに視線を向けようとすればいくらでも堕ちられる。

 

もっとポジティブであればみたいな無い物ねだりもない。精神傾向は類型で括れるけども、この精神は自分固有であって代えがきかない。だからこそいまは小躍りしながら楽しめている。

 

自分のネガティブ部分に蓋をしてもそのうち吹きこぼれるから、赦した方が良い。

この辺りはキリスト教の原罪とも近いのか。誰の精神の中にもある悪の要素を無い物とせずに向き合う媒体としての悪魔とか失楽園の物語が共有されやすいストーリーだったから、聖書が全世界でもっとも読まれるようになった、みたいな。

 

原始仏教だと、あんまり悪は出てこないような気がするが、煩悩とかはそうなのか。

いや、原始仏教はまだあんまり読んでいないから不明なのだが、世界は空であるという考え方は好き。惡の要素だと人間が認識しているものもあって無いようなものだとしているイメージ。

 

きっとどちらのストーリーも人間に親和性があったから現在まである訳で、あとは好き嫌いだと思う。あ、3大宗教のもう1つのイスラム教はほとんど知らない(興味が無い)。イメージとしては、戒律が無茶苦茶厳しい修行で生活することで悪性に対抗するというストイックな感じ。

 

別に宗教を語りたい訳ではない。宗教も自分が生きていて大丈夫だという安心の手段の1つではという解釈。「生きていて大丈夫か自分」という想念は、そんなことを思い付かない人にとっては何を考えているか分からないし、希死念慮を抱くこと自体が社会的に不適合になることもありうる。

 

どう解釈するかはともかくとして、もともと人間って脳の発達の関係で他の哺乳類と比べら未熟児として生まれてくる(ホモサピエンス全史の解説動画参照)から、どうしても人に迷惑をかけながら成長するしかない。ここが原罪というエピソードと繋がっているとすれば、生きていて大丈夫かという感覚は当たり前とも言えそうな。

 

だから大丈夫になるように、目的とか使命とか、社会への還元を問題とするとかになる。

これも物語によって自分の拠り所を求めるという意味で言えば宗教と変わらない。違いは戒律が緩いところ。法律上のルールはなんだかんだ緩いと思われる。その緩さの余白に道徳の余地があって、道徳はそれぞれによりけりで考えるしかない。従うのは楽だが、考えるのはカロリーを使うからしんどい。

 

なんだか自分語りが過ぎるような。

 

個人的には人生はより楽しく生きるための試行錯誤みたいな感じであって、何かの為に生きなくては大丈夫では無いという感覚がなくなっている。

 

もっと楽しめるように生きよう。

 

あぁビールは3本にしました(読んでいるかどうかは知りませんが)。

 

ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。