一時停止

 

 

 

なかなかいっぱいいっぱいになっている模様。

どんな新しいことも消化不良になるのは当たり前であって、そこから幾ばくかを食べ続けることで腑に落ちてくる。

 

と、言い聞かせる。

 

まぁ前職の最初の方もこんな感じではあった。いっぱいいっぱいである時期はそこまで長くないから楽しまねば損か。ただ、視界がすこぶる狭くなっている。こうなると自分がとてもちっぽけに見えてきてとても危険。書き出して搔き出して反芻しておくのが良い。

 

 

特に仕事の失敗があった訳でもない。社用車で運転してみたところ、要練習になったくらい。日常的に練習できる、もしくは生活で運転する環境であれば1つ1つ習得していくのだが、いきなり総合的にやるのは難しい。基本操作もままならないのにいきなり空気を読まなきゃならない。読み過ぎようとして必要以上に自分を拙く認定しているから、スムーズさがない。見習いの枠を越えるのにこの項目が最後になると思われる。

 

またレンタカーで練習しよう。この辺の細道裏道をくねくね動かして車の稼働に馴れる。後輪が動くのだからハンドルを切ってもすぐには曲がらないという理屈は分かるのだが、塩梅が分かるためにはひたすら練習するしかない。駐車もどこかの大きな駐車場で満足するまでやったら良いのだが、1人でないから付き合わせる訳にもいかない。いや、今度はお願いして付き合ってもらうか。

 

どこが悪いのかというと、必要以上に怖がっているところと、自分が信じられていないから動きにラグがあるところ。もう少しだけ細かに指示待ちせずに自分本位でやった方が良い。

 

うむ、足りないところは自覚している。

なんとかなる。

 

と言い聞かす。

 

 

あと、内勤で言えば、少しずつ増えていく。もう少しがつがつ動けば良いという方向を示してくれいているような気がしつつ、結構皆さん過保護な気もする。負荷かけて大丈夫かと思われている感じなのだが、内面だと結構大丈夫だから、大丈夫性を認知されるように動かないといけない。

 

運転で車を動かすのも、自分を自在に動かすのも、周りありきでもあるから、ちゃんと自分が確立していますよという部分が見えないといけない。

 

この相対的に自分を信じるというのが次のステップ。

相対的にも価値があるというか、場所を取っても良いしもっと迷惑をかけながら自分の場所を確保するというふてぶてしさ。今までここが全然要らないところで生きてきたから、習得するためにこのルートに入ってきているのかもしれない。

 

内面楽しんでいるが、現実に遊びが足りていない。

 

 

搔き出してみるとやはりネガティブなところはほとんどなさげ。

外に対するネガティブではなく内なるネガティブが強くなると世界が暗がりに見えてくる。

 

ついでに、色々忘れがち。

本日も名刺入れとそこに入れた運転免許証を忘れて昼休みに急いで取りに帰るハメになる。もう汗だく。忘れる時は単純な忘れではなく、変にいっぱいいっぱいになっているというバロメーター。これが高くなってくると財布とか鍵とかも忘れてくる。

 

必要なものが意識から飛ぶのは、昔からあった。

中学校の頃の給食着とか体操着とか宿題とか。

 

フラットな状態であれば忘れないことを忘れてしまうのは記憶力の問題ではなく精神バランスがおかしくなっているという説。

 

 

こうやって世界が塗り替わって行ったところで僕は僕でしかない。

外に向いてはもっとシンプルで良いのかもしれない。

 

ともあれ。

 

お母様印の梅酒が切れたから、それほどもう書ける感じではない。

いや、ノンアルで良いか。カルピスソーダにした。

 

小説枠が減って来たため、満月書庫から安部公房の「壁」を追加した。なかなか文体がコミカル。まだ冒頭しか読んで居ないから、筋に対する感想は特にない。

 

そういえば、本の話ではない仕事の話で、物件を見に行った際に、言い回しが10個あるくらいに準備しておいたらいいというアドバイスがあった。どういう人がここに住もうとするのか想像して、具体的なセールスポイントをって。個人的なところだとまだそこまで比較対象が無いから、あんまり良い言い回しは浮かばない。例として店長が演技してくれた言い回しは、他の物件の知識ありきなような気がする。たしかに経験則上の相対的な視点って、合理的に選択しようとする人には響きそう。

 

ここは搔き出さなくても良い煮詰める具材だからもう良いか。

 

文字数少ないけれど今日はここまで。

 

もっと自在に動けるようになってくればより楽しくなってくるけれど、こういうぐつぐつした感覚も悪くない。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。