おこらせ

 

 

 

安部公房さんの箱男の中で本筋とは特に関係ないところでぼそっと「夢を見続けた。夢の中で一睡もできなかった」というようなフレーズがあった。とてもお洒落。

 

精神的は危なさが表現されているとも言える。だって、論理的というか社会的に見れば寝ている最中にしか見ない夢の中でまた寝ることはできないということになる。ただ、文学世界は当たり前に非論理、反社会みたいなことがまかり通る。現実に接続されないと読まれないけども、飛躍しないと面白くない。書かれたことによって書かれていない部分が増えていくから、一見ヤバくても背景が語られると同情が起こるみたいこともありうる。文学というより創作全般か。

 

こういう微妙な境界に存在しているという意味で言えば、創作された世界と宗教って割と似た位置にあるという考え方もできる。おそらく現実社会にはありえないということは知っているけども、そこに縋ることで精神を保つという感じ。

 

個人的な見解だと、個々人の世界は三次元だけにあるとは思っていないから、あくまで塩梅の問題としている。別に戻って来なくても良いけども、とりあえず最低限の社会的な枠(法律)に合わせれば良い。法律外のところはその場によりけりだから特に対策しようがないというイメージ。どの場に居ても良い自分なんてない。精神的な話というより社会的な話。インフルエンザに罹った状態では出歩いてはいけないのは、他人に罹患させる可能性があるからとか。

 

 

そうして、三度目の正直の適性テスト。

 

今回は結構対策したし、素直に答えたと思われる。文章題は2個選ぶのが推奨されているが、どうしても1つしか選べなければ1つで良いとなっている。馬鹿正直に全部2個選んでいた前回までと違って、回答が重複しているとかその1つを選べば他が矛盾するような質問は無理にもう1つを選ぶことはせずに1つにした。

 

例えば「今気になることはありますか」という質問に対して、「特にない」という回答を選んだら他に選ぶものがない。でもこういう回答って、統計学上ありえないとされる可能性はあるよな。不安が無い人なんておらんだろうみたいに。他の選択肢が何かに対する不安とか社会的な自分の立場だったから直感でこれは選べない。社会そのものの構造が気になるという選択肢があれば選ぶが、これはこれで統計的にアウトかもしれない。

 

卵問題と自販機問題は対策通りに答えた。

 

 

図形問題の方がきっと問題で、テーマが「将来活躍している自分の姿」だから、そもそも人のカタチが見て取れるかが大事らしい。ニコニコしている顔の図形以外に人をイメージさせる図形がないのに、人をイメージさせるとはなんぞや。

 

ちょっと納得できる対策が、図形を貼り付ける枠を満遍なく使うこと。おそらく一箇所に固めることは視野狭窄の不安傾向にあると統計されるのだろうなって。倣って満遍なく人に見えるように配置した。

 

 

これで駄目だったら、社長との面接で「前向きに検討して下さい」と言われながら適性テストでアウトになったという社会不適合者ということになる(のか?)。仕事において不適正であるというのはなんとなく分かるから仕方ない。だって、別に僕は社会的立ち位置とアイデンティティを特に結合していない模様。

 

境界例の本の中に柄谷行人さんが出てきた。こういう個人的なシンクロニシティが読書の醍醐味だが、きっとあんまり共感されない。社会学の資本主義の本でも村上春樹さんとか吉本隆明さんとか出てきてにっこり。

 

柄谷さん繋がりで社会が不安定(成長期)なときは社会と自分のアイデンティティが結合していたが、社会が安定してくると、自己の同一性を内部に求めるようになってボーダーの症状が増えたという話があった。

 

たしかに内部に求めると自分というものが分からなくなる。その人が過ごしている当たり前の社会から自分がズレていると感じたとき、どれだけ内側に潜っても自分は定義できないし。社会における人の位置って、こういう意味で人の精神を四散させない為にもあるのかも。社会の一般的なレールから外れることに不安があるから、一般のレールに乗った人をディスることで安定を得る。僕はもう一般レールには乗れないから、それに対して何とも思わない。別に後悔もないし。

 

僕が受けた適性テストって安定傾向もみるらしい。

ここも変な話で、新しい場に行くというタイミングで安定がある訳が無いというか。僕は安定が良いとも想っていない。

 

安定ってあくまで自分の世界におけるものであって、新しいことを習得する余白ではないから。安定ってあくまで現状維持。精神を現状維持できることが安定だというのは人の可能性を閉じている気がする。

 

ちょっと惚気を挟む。満月さんは僕に勝るとも劣らないズボラなのだが、本日自販機にライフガードを買いに行こうとしたタイミングで、昨日のお弁当箱を洗いに出す。そのときに僕が「洗う人の気持ちを考えて」と言うと、帰ってきたときにはお弁当を分解してちゃんと水に浸してくれいていた。

 

ここが満月さんの感動すべきところ。生活上の動きってある程度経年したら自分が正だとなって、自分に合わさないのが悪だとなる。いままではきっと自分が作ってほとんど自分で洗うだから、別に洗いが大変でも問題なかった。元カレは聞いている限り共同生活というより、自分の生活に合わせてくれるパートナーを求めていたような。たしかに世界観に合わせてくれる人というのは理想だけど、共同生活の現実はそうもいかない。

 

これって僕の労力が減ったから嬉しいという話ではない。生活上の動きを変える余白があるということ。異動があって精神的に余裕がないのにこれができるって今までのパートナーがこの人の可能性を閉じていただけではないかって。やっぱり不安定であることと余白がないことは一致しない。

 

こういうところが好き。僕は今までの恋人さんに好かれていたと思うのだが、これってあくまで当人の話であって、関係にはならなかった。関係というのは影響として今までない動きができるようになること。これってなんとなく選民思想ちっくだが、僕はそれぞれの恋人さんと関係して動いたし、現実の世界なのだから、現実で動く、動けるかに焦点を当てるのが正当。

 

僕が車を運転してきていないから、自分の車を運転させないというのも正当。

レンタカーで1人練習するって言ったら心配だから弟勇者を呼びつけたらというのも正当。弟勇者と2人の場って結構面白そう。姉にも母にも伝えないということを保証したらもっと会話がありそう。

 

個人的にはバック駐車と、大縄跳びみたいに空気を読んで車線変更できるかどうかが問題。機器の動かし方は知識だから運転席に座って動かせばなんとかなる。

 

個人的には1人でも1回か2回練習すれば大丈夫な気がする。教習の高速が苦手だった。手汗が半端ない。でも生き残っているし、卒業したし、あとは慣れの問題。完全なペーパードライバーではないのが、地元に帰ったときに飲み会に行った母親を迎えに行ったし、運転自体は楽しかったところ。技術的言えば大通りを走るよりくねくねした山道を走る方が高い。問題は他のドライバーと合わせて空気を読むこと。愛知県は愛媛に比べるとだいぶやばい。これは交通量による。

 

僕はハンドル握ったら人格変わるみたいなことはないし、たぶん大丈夫。

 

 

現状維持で精神的に悶々するのは僕が生きたい人生劇場ではない。悶々しないといけない人とは接したくないとも言える。誰に対しても悶々しなくて良くなるのが良いのだろうけど、僕が普通に動くと誰かの劣等感を煽ってしまう可能性。これも嫌。

 

嫌だったのは、中学時代。

自分(達)は努力しているのに、なんでちゃらんぽらんしている硯がテストの点が良いだって言われたとき。たしかに時間はかけていなかったし、抜け作だからケアレスミスも多い。それよりも、正解数が多いと上位に行けるというヒエラルキーが嫌だった。

 

のだろうと思われる。相対的な褒め言葉は全然響かない。

僕は誰かを褒めるときには絶対なのだが、これもあんまり響いていない。現実は相対的に把握できるほど単純ではないような。

 

 

 

いまさら現実に戻ってきて。

 

本日のリクエストは鶏肉のクリームシチュー。ルーなしで作れそうな気もしたが、とりあえず買った。そういう味付けが良かろうなって。付け合わせで考えていたのはガーリックトーストだったのだが、この時間に炭水化物はあんまりよろしくない。

 

1切100円のシイラがあったから、ムニエルにした。野性味がある。あとシチューに入れようとして買ったブロッコリー。具材が満杯だったからやめて、レンチン5分オリーブオイルとニンニク和えにした。余ったら使う余力がるから問題ない。

 

料理も基本的には余白領域にある。

 

ちょっとコンビニの店長に無理くり発注させた白玉ぜんざいの上にホイップクリームがあるスイーツを買ってくる。

 

 

 

 

駄目でした。売れたらしい。

満月さんが楽しみにしていたのに、哀しいことだ。代わりにいちごホイップを買ってきたけど、満足できるか分からない。

 

これって別にそれによって僕が嫌われる訳でもないが、なるべく嬉しく過ごして欲しいというだけ。好かれたい目的も機嫌を取る目的もない。変な話、現実生活において自分の機嫌を取らなくて良くなることが自由な人生劇場かもしれない。

 

稼げなかったら箱男になるしかないかもしれないが、そこは割とどうでも良い。箱男の体験入学は冬に1週間ほどやったことがある。良く生き残れたものだ。

 

適性テストも3回受けても営業に合わない人格で在れば仕方ない。

他の仕事を探す。という意味で、僕はめちゃくちゃ楽観脳。居場所を社会と連動していない。

置き所が赦されれば、その枠の中で色々動けそう。

 

資本主義を社会学から観測した学者さんは、社会学はいまがどこにあるのかを探求するのが起源だと言っていた。

 

何かを考えるということが社会的には不安定と捉えられうるとすれば、適性テストに受かるべくもない。このテストがおかしいとも想わないけども。

 

約束された場所での世界観って、村上さんがインタビューしているから成り立っているけど、なかなか危うい境界線。

 

 

もういっぱい書いたから今日はここまで。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。