ほうこう(方向・奉公、、、、)

 

 

 

本日の研修項目はあまり進まなかった。忙しくないから外出てきて良いよと言われたが、お盆休みの関係で、回れそうなところが見つからず1つのみ。そもそも週明けからという話だったから、ありがたいことだが予定が全然立てられていなかった。明日からはがっつり行けるように予定を組んだ。

 

 

運転はなんとなく感覚が戻って来た。最初の教習でMT車を何の説明なくひたすら外周を回らされたことを思い出す。実践派の教習官だったのだろうな。S字クランクも縦列駐車も当時はできていたはず(でなければ免許はいただけない)なので、特に操作性に恐怖感を得る必要はないのかもという気分。駐車もスムーズになってきたし、コンビニで前から停めても前後左右確認しまくりながら出られるようになっているし、明日から色んなところに行ってみようとはなっている。ミラーとか目視で回りが見られるようになってくると視界が全然変わってくる。

 

問題は実際の路上だとどういう進路になっているのかがよく分からない道がちょくちょくあるということ。細い道だと特に。あと、ナビアプリのラグにも慣れて来たが、これってアプリの欠陥ではなく、スマホの力不足のような気がしている。本体が熱くなっているというアラートを車内の温度と直射日光なのかと思っていたが、エアコンガンガンの店に帰ってきていじっていても同じアラートが表示されるし。

 

明日は送りハンドルにならないように意識してみようという次第。大きく回すのが苦手な模様。ブレーキとアクセルで速度感を出さないようにするのも習得したいところ。

 

(最近ペーパードライバーの運転上達文章具合が酷い)

 

 

さておき。

 

本日の晩御飯当番は僕。メインは満月さんの実家から送られてきた知多牛。ステーキかと思ったら解けて炒め物になった。まぁ、ブロッコリーをレンチンしてハーブソルトをまぶしただけの付け合わせはそれでも合う。味付けは塩コショウのみで良し。副菜はキャベツをレンチンして水で戻した乾燥わかめとツナ缶を加えて、オリーブオイル、鶏ガラ顆粒出汁、お酢でバランスをとった和え物。

 

サラダはベビーリーフセットはやめて、冷蔵庫に残っていたサニーレタスと買ってきた豆苗半分をマヨネーズ、ごま油、お酢、醤油(使ったっけ)で和えて冷蔵庫で冷やしたあと目玉焼きを乗っけたもの。ベビーリーフサラダはあんまり好きではないっぽいから残さないのだが、このサラダは満月さんにもお好みっぽいから半分残しておく。食べなかったら僕が食べるが、たぶん全部食べてくれるはず。

 

しれっと当たり前に使っているが、このお部屋のシステムアイランドキッチンはかなり使い勝手良い。まだポテンシャルを扱い切っていないまである。前に住んでいたいたお部屋は完全独り身用の部屋でコンロは1つしかない。これはこれで馴染んでいたのだが、もはやコンロが2つある生活。本日は目玉焼き作りながら知多牛を焼けたからなかなか活用している。サブコンロの火力がやや弱いから、こっちで煮込み料理を作りながら炒め物なんかもできそう。あと炊飯器に良い物が入れば、毎日ご飯を炊いてお互いお弁当を常備していく生活も可能。鍋で炊くご飯も美味しいのだが、日常感より特別感がやや強くなって毎日炊くとはなりにくい。

 

僕は日常的な料理にやや長けていて、満月さんはパーティ料理に長けている。良い塩梅。

 

 

 

話題を変えて。

 

メモを取らなくても、今朝満月さんが買って欲しいという食材(乾燥わかめと卵)を買えた。いや、こんなのは普通の記憶力だろういう反論もあるに違いないが、記憶力の話ではなく、記憶の区切りの話。

 

ほんとうは昨日の日記に入れれば良かったのだが、1日で記憶を区切っていないため、問題ない。朝方震度2で世界が揺れた。何故か直前目が覚めて身構えていて、揺れた瞬間、「ついに来たか」と思った。特に構えている(かまえているとそなているって字面同じなのか)訳でもないし、大きな揺れを体験したことは幸いにもない。ただ、実際僕が生きている間で大きな揺れが2回もあったのだから、それが自分に今後降りかからないとも考えていない。

 

横ですぴすぴ満月さんが寝ていて、これ以上揺れ出したら僕の肉で覆って守らねばとは思った。こんなとこは当人に言っていないのだが、寝起きの脳が嘘を付くはずもないから、なるほど、そんなことを考えているのかと俯瞰したというだけ。書いてしまった以上満月さんも読むのだが、読む前後で僕の感情の評価が特に変わることは無いような気もする。

 

 

どうだろう、人ってどれくらい「区切り」を意識しているのか。

意識されている区切りとしては例えば、労働時間と余暇時間がある。これは意識して分けている訳ではなく、そういうものだという時間の区切り。

 

印象的だったのは、もう2番目になったかもしれない長く過ごした元恋人さんの1日の区切り。不眠気味で昼夜が逆転している世界において、日が昇ったら1日の始まりと意識して区切っていた。普通に夜寝て朝起きていれば1日の区切りは意識せずともされているのだが、夜の住民にとっては意識しないと調律できないのだなって。

 

 

この区切りの意識が記憶にも影響しているのではないかという仮説。

意識して区切らない過去ってあるじゃん。僕にとっては父親の最期はずっと生生しいし、時間的に距離が離れたとて一生区切らないと思う。これは別に後悔とか他意で区切らないことしかできないみたいな、失恋めいたことではない。

 

こういうどれだけ離れても区切られていないことって、意識されているというのではなく、意識しているという能動があるからだと考えて良いのではとなってきている。満月さんにもそういう存在は意識としてシコリが残っていると想像されるし、別にそれはそれで良かれ。

 

ここは思い付きなので、これから煮詰めて言語化していくところ。

結局のところここの区切りって自分と世界の区切りなのかなという終着点の想定はあるが、自分で在るということに他との区分けが必要という観念って、ちょっと拙いのかもしれない。

 

僕はおそらく色んなことを残しているタイプだが、残している量で競争するみたいなことになると戦意を喪失して何も覚えていませんよというポーズをする。このポーズをしているときは中身でもほんと何も思い出せない。別にマウント取るために残している訳でもないしという意向なのだと思わなくもないが、メカニズムは不明。

 

本の話は、本日は省略するか。

 

では。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。