役柄

 

 

 

夕食のリクエストは鮭のバター焼き。鮭は満月さんの実家からの頂き物。

 

スライスしたニンニクをサラダ油でゆっくり熱して香り油に移動させたあと、いったん取り出してバターを投入。溶けてきたら塩コショウを振った鮭を入れて片側と皮に焼き目をつけひっくり返す。このタイミングでブロッコリーとエリンギをとさきほどのニンニクと水を加えて蒸し焼きにする。水気がちょうど良く減ったら醤油とバターを加えてソースを馴染ませる。お先に食べているが、皮まで美味い。

 

サラダ枠はロメインレタスと豆腐のチューブ生姜・柚子胡椒・磨り胡麻の醤油ベースドレッシング。前に住んでいた時、醤油は普通の市販品だったのだが、こっちに来てから「越のむらさき醤油」というかつおだし醤油まではいかないかつお風味の醤油を使っている。これが美味い。

 

副菜枠は2品。セロリとブロッコリースプラウトの粒マスタード風味の浅漬けと、鯖水煮缶ともやし・ねぎのレンチンブラックペッパー和え。なんでこんなに作っているかと言うと、現実的な理由として食材消費があるのだが、現象的なところだと僕が働き出して帰ってきた後にどれくらい作ることができるのかという試行という気もする。

 

満月さんは夜ご飯と次の日の弁当を同じメニューにすることを好まない。別に理解できるし、特に何もなく、問題はどういった安定した食生活にするかなというところ。例えば休みの日にどかっといっぱい作るという手法は僕の生活上在り得ない。僕の休日は仕事日の準備に費やすためのものでもないし。考えられるのは、その日のご飯を作るのと並行して2品くらいを毎日作るという感じ。現実的にもコンロが2口とレンジ、炊飯器も含めれば4品並行は可能。単なる浅漬けであれば切って袋に入れて揉んで冷蔵庫に放置すれば良いし。

 

こういうのを考えるのは、義務感ではなく今の時代、食は経済力が一定程度あればどうとでもなるという枠からの自由。こういうどうでも良さそうなところこそコントロールできるようにするのが楽しいって。映えとかお洒落とかではなく、自分の口に入れるものはある程度操縦できるようにしておきたいだけ。

 

個人的にこだわりがない領域だからこそ、こだわらないと痩せていくという。

満腹感は幸福より苦しさをもたらすし、飢餓感まで行くことがなければあんまり気にならない。

 

もちろん食生活は満月さんと分担だから要調整。

 

色々書いたのだが、これは計画的に生活していこうという話では全くない。

どうなるか分からない未來の為にいまを犠牲にする劇場観は僕にもないし。

 

 

さておき。

 

日中は入社に備えた書類を用意する。身上届の親族は社会的にユニットと捉えられる感。緊急連絡先が原則3親等以内で一応区切られているのは民法やら刑法由来なのかな。親切に裏に親等の数え方が載っている。と、少し調べたところ、民法の親等の規定は制度によりけりだった。あえて近いのは婚姻禁止の三親等内の傍系血族か? 刑法は厳密に言えば刑事訴訟法の告訴権者がそんな規定をしていそうだと思ったが、調べたところ微妙だった。

 

労働基準法とかそっち系で決まっている可能性もあるが、規則でもそこまで細かくは決められない。おそらく合理的な根拠がある訳ではなく、3親等以内であれば生活圏が一般的に近いだろうという慣習からきていると見た。

 

であれば、緊急連絡先で親族しか対応できないところは母親宛てで、その他の現実的なところは同居人宛てということは可能かと相談したく、他にも調べても分からないところを人事課に聞きたかったのだが、電話しても通じなかった。明日連絡して聞いてみる。

 

他に聞いてみたいのは、住宅手当のところ。

 

 

内定が決まったことをやっと母親に連絡した。

返答は「おめでとう、落ち着いたら、ゆっくり話したいね」。

 

これに対して返信ができなかった。また自分の話をし出して泣き言を言うのかなぁって。

個人的には、母親として感謝しているし、僕の年収が増えて余剰ができたら仕送り返しをしようかなというくらいでもあるのだが、寂しさ全開でメンヘラされると母親という立場に対して何も言えなくなるから。なんならお母様に話している情報量の方が多い。

 

はて、僕って恋人関係であればメンヘラさんとは結構上手くやれていたような。

 

ここで本日のお風呂思索。

どこからやって来たのか、僕が子育てするならどうするかというテーマだった。

 

少なくとも親子であるという上下関係で言うことを聞かせることはなかろうなと思った。高圧とか威厳での偉さを出そうとしても、この情報社会だとそのメッキはどうあっても剥がれる。僕がまぁまぁ経年したからだろうけど、オトナだって社会の全てが分かっている訳ではないから、分かっていることで上下立場を維持しなきゃならなくなると、そりゃあ高圧的に接するか、分かっていることが正しいのだということにするしかない。

 

僕が嫌だなと思ったのは、あ、やっぱりこの思索って母親からの連絡が発端か。

 

嫌だったのは子供だから何も分からないだろうという感じで接されることだった。で、いつの間にかオトナだから云々とか言い出す。最終判断は親の立場がするしかないが、なんというか、それでも色々事情は相談して欲しかったところがある。もちろん当時はいまのような想像力も知識も無いし、調べる手段も無いのだが、子供とはいえ独立した人格として扱われることがなかったから、早く家から出たかったというのがある。

 

でも、子供に説明できないというのも分かるから難しい。大人になれば無意識化された空気感の中で生きていて、それは言語化するまでもないから、改めて聞かれても空気感を共有できていない子供に説明はできない。僕はそこまで大人に対してなんで星人でもなかったが、聞かれて答えに窮するのは特に答えを持っていないということなのだろうな。もしくは18禁の話はオトナの嗜みだからあんまりオープンにできないとか。

 

僕が育てるのであれば、まずは芽生えた人格を子供に対する愛とは別に尊重する。自分とは違う独立した存在であるって。という認識が親にあるということって子供にとって何よりの誉なような。具体的に何かをするとか具体的状況によりけりだし、なんで星人が出てきたら、人に聞くよりまず一緒に調べてみようかとしてみたい。いまだと親よりウィキペディアの方が一般的な知識量は遥かに多いことは認めるしかない。

 

なんで星人のなんでが局地的になるとかなり難しい。

例えば、憲法では個人の平等が標榜されているのに、なんで教室ではあの子がいじめられるのかとか。実際親にこういう質問ができる子供はきっと賢いから、理想と現実のギャップを埋められそうな気がしないでもない。こういう質問は正解がないものであってどう考えるか、当人がどう行動するかの話に収めたい。

 

と、空想的子育てはここまで。

 

要は、僕が母親と立場を越えて対等に関わる時期なのだろうなという感じ。

母親に徹することができなくなるのは当たり前だろうなが分かるくらいには経年はしている。どうせだったら絶縁になった姉も含めて一堂に会するくらいになんとかなれば。

 

これはむかーし接していた人も言っていたな。家族をまとめるのは貴方しか居ないみたいな。これはともかく、たしかに、家族関係で楽しくないのは人生劇場で面白くない場があるということだから、試行できる領域ではありそう。

 

 

やれやれ。

 

昨夜さんが良い感じで良き。変態的嗜好の文章を読んでも引かない人は保持した方が楽しい。思わず「おめでとうなのだ!」とコメントしたくなったが、コメント欄には先客が居たから止めた。いいこっちゃ。

 

日中に読む漫画とか見るものが無くなってきた。

ベイビーステップ」をある程度一気読みして、この漫画は現実的バイブルでもありそうだと思った。スポーツ漫画なのだが、人生劇場でどれだけ好きなことで試行してステップアップしていくかという話でもある。漫画的バイブルだと「うしおととら」とか「からくりサーカス」になる。

 

まぁこうやって日中とか夜で垣根を作っているのもおかしな話で、そろそろ夜の自分が日中に進出しても良い。

 

全然どうでも良いが、やっとこさこの家の住所の郵便番号を覚えた。やっぱり書きながら刻み付けることは大事。入社書類、4回くらい連続で書いたし。

 

子供はすぐ覚えるというのは、記憶力が新鮮だからではなく、世界自体が面白いから残しているという説。ここからすれば、大人になって事務情報が覚えられないのは衰えではなく、それが面白くないし、省エネする術も知っているから。

 

実際このいまに必要なのはどれだけ知識があるかではなく、情報が氾濫している世界でどれだけ自分を保てるかみたいな話なような。

 

僕はあんまり保つべき自覚的な自分を所持していないけれど、保たなくても在る自分が有るから世界がどう変わろうとなんとでもなりそう。

 

 

 

さて、そろそろ満月さんが帰って来るのでここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。