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なんとなくふわふわしている。

自分事ではない、地に足がついていない感じ。

 

着地しないと。というか放っておいても腑に落ちれば地に落ちるのだが、もっとこれを早めないと、という感じ。基準にきちんと根拠があるようにする。

 

 

さておき。

 

本日の仕事は少しだけ研修項目が進んで、まぁまぁ実務項目が進んだ。実務項目。マニュアルも大事だしマニュアルもこなせていない段階で進めるのはやや無茶振りな気はするが、できると思われているから投げられている訳で、もう少しこなせるようになりたいところ。あくせくしていたら、先輩男子に「成長していっていますね」と言われたから、及第点ではあるのかもしれない。もう少しこの仕事の語彙を増やさないと使える言葉がまだまだ足りない。

 

運転も1人の運転でも定かではないのに、後ろから付いてきてもらうという実務項目をこなした。先輩男子が横で指示してくれたから良かったが、今のところできる気がしない。まぁこういった仕事もあるというのを先にやらせてくれる辺り、先輩男子は教育者として有能だと思う。

 

あと10日くらいしかないが、なるべく引き継がないと。

ちまちました事務作業も、自分が居なくなればする人が居なくなるからということで少し教えてもらいつつ、別の店舗ではこんなルーティンもあるというのも教えてもらった。

 

「できない」という意識は、できていることまで「できない」の範囲に含まれてしまうのだなという実感がおそらく冒頭に繋がっている。ここで必要なのは、できないことの途方もない地平を見渡すのではなく、自分に何ができているのかを点検して、「できること」を自信として、自分にすることなのだろうな。そのうちできないこともできることとして自信満々に振る舞う必要も出て来そうだが、とりあえずは自分の範囲を確定すること。

 

 

 

ともあれ。

 

こういうときは仕事から遠のかなければ。

 

そういえば、何かの仕事用のサイトに載せるみたいで、趣味を聞かれた。僕が答えるまでもなく、先輩男子が「ある男」の話をしていたのを覚えていたらしく、読書でミステリー小説だと答えてくれた。

 

厳密に言えばミステリー小説を好んで読んでいる訳でもなく、中核から外れた周辺分野でしかないのだが、これが趣味として不正解だとは言えない。そもそも外から見れば活字中毒だし、分かり易くミステリー小説ファンと言われても問題はない。森博嗣さんの「すべてがFになる」から始まるシリーズは全部読んでいるし、「ミステリということ勿れ」も大好き。漫画だけど。

 

でも、ミステリー小説が趣味だとなったときの結果的なイメージは本質からずれてくる。

あくまで僕のイメージだけど、ミステリー小説ファンって、謎があって、それが解かれた結果を楽しんでいる感じ。そんな人は村上春樹さんの小説を読めないような。いや、それぞれの層があるだろうから、両立する可能性はある。

 

まぁ、僕はどちらかというとエンタメとして小説を読むのではなく、ただの1つの他の世界の読み物として眺める感じだから、本を読むときに自分が必要ない。眺めることだけで楽しいのと、楽しんでいる自分が楽しく読んでいるのでは若干ニュアンスが違うような。

 

ニュアンスの違いなんて領分外の人には分からないから、あんまり気にすることではないし、それで自分があるがまま見られないと思わないというのがやや、ややこしい。

 

 

趣味を表す言葉として適切なのは「活字中毒」だと思う。

もちろん適当なのが適切ではないのが一般社会だから、最終的には読書で良いし、ミステリー小説であっても良いとなる。

 

循環論法(意味が違う)。

 

頭がぐるぐる回るのは、悩みが中心だと最終的にその重力に押し付けられるからどれだけ考えても大気圏外にはいけないのだが、悩みとは全然関係ないものが中心にあれば、中心の重力がそんなにないのだから、遠心力が働いてどんどん広がっていく。

 

なんの話や。

 

 

本日は満月さんがご飯を作ってくれて美味しかったもんで満腹。なので、文章脳があんまり働かなかった模様。

 

短い周期と長い周期があっても良いか。

 

 

こんな感じで本日はおしまい。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。