たがため

 

 

最近辛い物率が多い。昨日は屋台っぽい車で台湾焼きそばを買って帰りながら食べた。カプサイシンを摂取すると食べた瞬間だけではなく、体に刺激が持続する。慣れたらそんなことはないのかもしれないが、別に慣れなくても良いかなという感じ。

 

辛味が痛覚だというどこかで見た。これがほんとうだとすると、辛い物が好きで日常的に食べている人は、完全に合法的な自傷行為にいそしんでいると言えるのではないかという説。

 

肉体を傷つける意味での自傷行為は、刑法的に全てが合法ではないものの、完全に自己のみで完結したり、変な他意(例えば自動車の保険金を得るためとか)がなかったりすれば一応罪には問われない。

 

ただ、倫理的ないし道徳的には自分の身体を自ら傷つけることは全てアウトだという見解もある。たまたま流れてきた記事だと、そういう癖(へき)がある人は機能障害であるという言い分まであった。こういう人は果たしてピアスとかタトゥーに対してどういう主張になるのだろうか。ファッションなら赦されるのか、ファッションであっても肉体の形状を自ら変化させることはアウトなのか。

 

ここで考えたことは、傷の概念。たしかに肉体の外傷は外から見えるからそれぞれの価値観で正か誤かが分かり易いのだが、肉体の傷はきっと内部に起こる。最初に書いた辛味による痛覚への刺激がこれ。胃腸とかも少なからず損傷しているのでは。見えないだけで。これで言ったら、健康を傷害する肉体の内部への積極的な行為も分かりにくい自傷行為と言えなくないか。

 

もっと傷の概念を拡げると、人間は肉体だけで存在している訳ではなく、精神が人間ではないという見解の人は居ないはず。自己卑下をしまくるような精神への自傷行為は刑法の範疇ではないからそもそも罪にならないし、肉体への自傷行為が倫理的にアウトだという人もそういうのは幸福ではないみたいな別の理由でアウトとかはありそうだが、肉体への自傷行為と同等の深刻さでは見られないと思われる。

 

結論はともかく、僕はあらゆる自傷行為は自由の範疇であるという考え。ただ、それが社会に物理的に波及されるときは規制されたり、度が過ぎると罪になることはありうる。これは自傷行為自体がアウトなのではなくて、それが社会に影響を与える限度で縛らないと国家の秩序的な部分で維持が難しくなってくるというだけ。

 

なので、僕は自分をやたらと責めている人に対して元気づけることはあんまりしない。

したくないのにしてしまうということであれば少しは考えるかもしれないが、別にやって悪いことではないし、好きにして良い範疇のこと。

 

 

カプサイシン自傷行為を繋げて思いついたことで冒頭が埋まった。

本日は優しいリクエストにしようということで、満月さんは気を使って親子丼を所望してくれた。ほんだしが見つからなかったから昆布茶で代用した。我ながら絶妙にうまい。色んな料理を作ることで、和食の練度が上がっている模様。

 

 

さておき。

 

 

本日のお仕事。

 

店長不在だったため、先輩男子が色々と教えてくれた。店長は手順ありきで段階を踏んだ人ではないから、研修項目も実務項目も遅れ気味なのを心配していただいている模様。実際に先輩とか店長が仕事をしている中で、新人がやっておけるようになっておけば役に立つことは新人という地位だとしても、仕事に参加している感があって嬉しい。もちろん店長の教え方も面白いので、ブレンドさせて吸収していく所存。

 

先輩女子も教えるのは苦手だから、僕が辞めるまでになるべく教えますねと言ってくれて、あれこれ僕のモチベーションと一致している。緩いけどもやるべきことはしっかりやっている人だから、あと半月もないがなるべく吸収しておきたい。これが先輩同僚への感謝とも言える。

 

ただ、先輩男子を同乗させた運転はあんまりうまくいかなかった。反省するのであれば、1人で運転するより想像力の範囲がやたらと狭まっていたところ。焦りとか動揺があると途端に狭まるのが世界なのだなぁという感じ。いや、これは僕だけの体感なのかもしれないが。怖いのは当たり前だが、それで日和ったら進歩がないから、運転できるタイミングあればなるべく出るようにして修練するしかない。

 

1つ上手く行ったのは、店舗の駐車場での駐車。駐車場に動けるスペースがなくて公道から則駐車みたいな場所。後ろから来ていたから、駐車スペースの空いているところに避けて、そこから平行的に直接駐車するという所業をやってのけた。「良い感じですね」という評価をいただいた。ちょっとは進歩があって良かった。

 

店長不在だと一般社員の本音みたいなところが聞ける。ここでどこをサボろうかみたいな話になると嫌なのだが、必要なこと以外でどこが省けるかみたいな効率上の本音だったから、この職場の意識はとても高いと思った。

 

サボると省くのニュアンスの違いが伝わっていると良いのだが。

 

 

やれやれ。

 

そういえば、昨日の日記って1時間弱で2000文字強書けていた。特に急いで書いた意識もないのだが、ここでも少しずつ進歩しているのかもしれない。

 

もはや読んでいる人が付いて来られないことばかり書いている節もあるが、そういうことを書きたかったという説もあるからこのまま書くのだが。

 

 

愛媛に住んでいる母親に、「台風大丈夫でしたか」というLINEを送った昨日。満月さんに促されて送った。昨日には返信が無くて、息子からLINEが入ると思っていないから気付いてないのではと言ったら、「それを言っていて自分で悲しくないのか」と返された。我が家は満月さん一家ほど仲良しではないのだよな。

 

ただ、ここは僕があえて壁を作っている節もあるから何とも言えない。満月さんがお母様を嗜めるように何かある意味否定的言説を言えるようになれば壁が低くなるのだろうが、ややトラウマ案件として、昔母親に母親の弟さんが窘めるような言説を言った途端、ヒステリックに激昂したシーンがある。今や昔だしそれほどヒステリックな熱量を持ち合わせているとは思わないけども、実の弟がちょっと言っただけであれほど激昂するシーンを見て、普通にやり取りできると思える人が居るだろうか。

 

実の弟と息子の距離がどっちが近くてどっちが遠いかは状況によりけりだが、ずっとフランクに話したことがない僕と幼少期ずっと一緒に過ごしてきた実の弟の方がきっと近いはず。なんなら満月さんのお母様との方がフランクに話しているという。母親に対して畏怖があるというより、怒れる人って人の言葉を聞く余地がないという諦観だったり。

 

今後母親と和解することがあればもちろん報告案件だが、今のところ分からない。営業職でこれから培うスキルによって何かある可能性はあるが、まだ現実ではないので置いておく。

 

 

 

これもまだ現実ではないことなのだが、来週に現実になるので想像として書く。

 

来週の火曜日、満月さんの実家に遊びに行くことになった。僕はまた仕事の試験があってその前日なのだが、テキストを読む時間はあるだろうし、特に問題ない。

 

問題ではなくて新しいこととして、どうやら満月さんのお姉さんの娘を預かる日らしい。姪っ子ちゃんがあの家で何して遊んでいるかは知らないが、第一印象が悪くなければ興味が新規の存在である僕に向かう可能性がある。子供はシビア(偏見)だから、放っておく対象となったらそれはそれでテキストを読めばよい。

 

興味対象となった世界線で、「何を読んでいるの?」と聞かれたとき、保険の概念を知らない子供にこれをどう説明できるのかということを想定してみた妄想。こういった甲斐が無い妄想的問答は割と内部でやっている。言語化はほとんどしないのだが、この文章の土壌としてこういうことを書いても良いかなと気分になった。

 

この前台風が来て大雨が降ったでしょう。このビュービュー吹いた風でお家が壊れるかもしれない。壊れるお家は姪っ子ちゃんのお家だけではなく、他の人みんなそういった危なさがある。このみんなの危なさに備えるために、ちょっとずつみんなからお金を集めて、実際誰かのお家が壊れたときに直すお金をその人にあげるんだよー。

 

みたいな。いずれにせよ子供には(一定のオトナにも)早すぎる概念だから理解はできないと思う。僕自身もあんまり分かっていない。僕が分かっていないのはこの業種というか概念の存在意義そのものだからちょっと違うけども。企業として存在させると企業の維持とか利潤のために保険契約者に余計な拠出が発生するのだから、福祉みたいに国家の施策として一元化させた方が良いような。実際地震保険ってどの会社を選んでも同じらしいし。

 

はい、そろそろおしまいなので本の話。

 

動物農場はまだ世界観に入りきれていない。冒頭でとりあえず登場人物は擬人化された動物なのかなというは読みとれた。

 

色彩心理学もまだ冒頭。ニュートンが発達させたってむっちゃ面白い。色とはなんぞやという学は色んな学問領域の人が考えていたとのこと。色はこの色だとこうなるみたいな記号ではないし、健常とされている人の色彩が完全に一致している訳でもないから、最終的には哲学の領分な気がする。哲学含まれたから高尚になるという訳でもないけども、人間的ではある。

 

もう少し書けば4000になってくるのだが、あんまり盛り上がってもお母様からさらに苦情がやってくるのでここまで。

 

(ここも既に特に気にしていない説)

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。