花火と稲光は遠目に見るとほとんど同じ。ここのところカンカン照りが続いていた揺り返しなのか、今は豪雨になっている。宇宙からの目(気象衛星)から見ればそれが台風の影響だと分かる。

 

分からない古代の人は、天気はバランスが取れているのが普通という感覚だったのかもしれない。だから、バランスが崩れると生贄とかお祭りで釣り合いを戻すという儀式があったのでは。農業メインの産業では天候がおかしくなると物理的な意味での死活問題だし、なんとか戻せるなら何でもしたのだろうな。

 

こういう気候が四季で循環しているというか、バランスが取れている日本に住む日本人は世界観にも影響を受けているのではという仮説が浮かぶ。良いこと(幸福)と悪いこと(不幸)は最終的に帳尻があるという感覚って、ロシアとかの寒帯とか赤道直下の熱帯の人には通じない可能性がある。なので、というか僕は素朴に良いことがあれば悪いことがあるみたいな感覚は信じていない。運を消費したら不運がやって来るみたいなのは血液型占いみたいにそれを信じていれば世界がそうなるくらいなものではなかろうか。

 

そもそも当たり外れの定義は現実には無いから、解釈によってどうとでもなる。時間とともに事象も流れていくから、良かったと思った事実によって動いた世界線によってその後が悪くなることはありうるし、当然逆もありき。

 

 

みたいなことを、仕事で眺めて取り留めなく思う。

どんな住環境に収まれたかは、ほぼ運だし、住んでみないと分からないことの方が多い。良いと思っても、もしかしたら隣人やら町内放送やら、大家さんとかで悪いこともありうる。もちろん逆も。

 

割と人生劇場の縮図だなと思う。

真面目な仕事だが、どれだけ真面目にやったところでそこまで深く関与できる訳でもない。であれば、気にすべくは自分の仕事のスタイルであって、他人のその後ではない。

 

仕事では、先輩男子が僕の研修項目の進捗具合を気にしてくれる。僕としては忙しいし人でも足りないから仕方ないなという感じだが、店長はもっとごり押しして研修項目を終わらせるようにして欲しいと思っている可能性がなくもない。勝手に動くのも難しいのだが、その辺も含めて何か想うところがあるのかも。

 

 

やれやれ。

 

本日は満月さんが早めの上がりで、お互い疲れているからご飯の労力を減らして早めに寝ようということになった。王将テイクアウトうまし。

 

 

文章脳がログアウトしたからもうあまり書けない気がする。

まぁ続けてみる。続けられるようになるのが次のステップか。

 

(でも、続けられなくなった方が満月さん的には良い可能性。文章が少なくなることで悪めという説もある)

 

文章脳が環境によりけりで発動するというスイッチ方式がきっとおかしいのだが、アウトプットっていつでもどこでもできるようなものではないとしている。時空問わずにやりだすと途方もないし。

 

あぁ、今日はお疲れということで、この辺でおしまい。

 

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。