無情報

 

 

 

21:13から。

 

満月さんがご飯を買ってくれていたので本日は書き始めが早い。外はゴロゴロと雷様のお腹が鳴っている。家にたどり着いたタイミングで雨も降りだした。なんと運が良い。

 

 

今朝、大学時代の知人からショートメッセージが入っていた。LINEは反応しないもんで、ショートメッセージでわざわざ。大学で同じグループだった1人がどうやら結婚するらしい。なんというか、どう反応すれば良いか分からないところ。一般的におめでたいということも分かるし、おそらく例えば先輩男子が結婚しますとかだったら、直接おめでとうございますと言うとは思う。

 

ただ、社会関係でないプライベートなところでの本心だと、結婚は手段でしかないから、結果としておめでたいとは思わない。決断に対するエールという意味合いで頑張ったら良いよとは思うが、あんまり儀礼的におめでたいというのもプライベートだと違うかなという感じ。

 

別に結婚制度が悪いと思わないし、むしろ社会的には色々便宜だから、できる相手が居たらした方が内外楽にはなる。変な話、大学時代の知人が結婚しようがしまいが、当人の存在は変わらない訳で、「へー」としか思わないのが本音。だから友達が居なくなったとも言えるが、正味あんまり不自由がない。

 

普通に返答するなら、おめでたいねって返すのだが、そこから結婚式への参列とかの話になると、もう大阪にいないんだよねという話になり、ややこしくなる。別に参列しても良いけども、僕は昔話に花を咲かして楽しむタイプでもないから、お祝い気分で行って飲み食いするだけになる。結婚式とはそんなものだというなら、もっと楽しい休日の過ごし方はいっぱいあるから、日常の中で結婚生活が恙なくあれますようにとちょいとお祈りする方が有用かもしれない。

 

結合が深まるということは、離れるときにも様式が必要だから、なるべく恙なく続いた方が良い。別に結婚自体に違和がある訳ではないけども、事情もなにもなく結婚するという事実だけでは手放しで祝えないようなともにょもにょ考える。

 

 

参列といえば、今の仕事、土日が繁忙期だから文学フリマに行くのが難しくなっていることにふと気づいた。本探しなら休日にブックオフに行ったり、満月さん書庫を漁ったりしたら良いから個人的には何の問題もない。ということは、ふらっとは行けないイベントであって、よほどそこでしか買えない面白い本がないとあえて休みを取る動機がないという意味でとてもハードルが高くなった。

 

文学フリマというイベント自体が有給を取ってまで何がなんでも行きたい心地良い非現実の空間かというとそうでもない。作者が目の前にいて買ってくれるかとうきうきしているという産地直送販売所はちょっと居心地が悪い。個人的には書店のような無人(作者が居ないという意味)販売所の方が気楽に選別できるかも。

 

 

と、もにょもにょを終えて。

 

 

お仕事。

 

エリアの人がやって来ていて全員出勤だと、座る席が無くて少しだけ外様感がある。

先輩男子がやたらと構ってくれるので問題はない。そうして、構い方がなかなかスパルタと自称しているが、個人的にはそれほどではない。個人的な印象としてのスパルタは、情報量が多いのではなくて、正しいと言ったことが間違っている矛盾。これだったら何を吸収したら良いかが分からなくて迷走してしまう。まぁあえて迷走させながら自分で歩く道を判断する能力を培わせるという教え方もきっとあるのだろうが、ほとんどは教える側の迷走だと思われる。

 

こういうところの矛盾って、原則とかマニュアルではこれだけど、例外も当然あるよって布石を打てばすぐに解消する。ここで例外を細かく教えだすと情報量が多すぎて教えられる側がきっとパンクしてしまう。

 

どこで火が付いたのかは知らないけども、先輩男子は自分が退職するあと1週間で僕を仕上げると言っている。何回も同じことを教えなくて良いという打てば響くのが良かったのか、自分が辞めた後にここの職場が上手くいくのかが心配なのかは不明。

 

どうやら覚えが凄まじいらしい。

先輩男子のエリアの人への発言をちらっと聞いた。自分が教えられる側だったらイライラするくらいのスピード感で教えているのだが、きちんと吸収して実践しているって。

 

これっておそらく記憶力の話ではないのだが、外からは記憶力として評価される。

頭の中に情報として残す記憶と、身体を動かして実践する能力は別の話。知識が頭にあるだけでは身体はそれ通りに動いてくれない。

 

個人的な感覚だと、知識偏重にならないことが実践へのスムーズなスイッチの切り替えに移れるのかなという感じ。ここで言う知識には経験則も含まれる。自分の経験外のところに経験則を適用しようとすると不具合が生じるし。

 

僕は割と本を読んでいるので実践とは関係ない情報は結構たくさん頭に残っている。ただし、それをあんまり現実と適合させようともしない。現実には色々な階層があるから、情報が使える現実は結構限られる。実践が大事なのは、それで持ち帰る知見もあるのだが、それよりも特定の階層における現実の動きを習得することだと思われる。

 

という感じで、いまの仕事の現実的な挙動を習得していく所存。

 

もちろん、どういう現実を過ごしているかによって、自我にフィードバックされて自己に影響が響いていくのが人生劇場。

 

 

やれやれ。

 

動物農場」はお風呂読書の最後の本としては適切ではないっぽいから、満月さん書庫からカズオイシグロさんの本を発掘してきた。「わたしを離さないで」ほどのインパクトがないのだけど、読み進めたら面白くなってくるのだろうか。面白くなったらタイトルも含めて残そう。

 

ほんとうは村上さんの「羊をめぐる冒険」を発掘したかったのだが、下巻しかないという。本日の雷具合は「海辺のカフカ」っぽい。また石がひっくり返ったら次はどういう世界線になるのかな。

 

宅建のテキストも読み進めていて、結構吸収率が高い。

 

あとはなんじゃろな。凄く細かい刑法上の窃盗罪の分類が思いついたが、文字化するとややこしい。結構細かい分岐があって、なんでだろうとお勉強している時には思っていたが、結局は外から見てその事情だと犯罪にすべきかどうかというお話。犯罪とすべきかというのも結局は、その事情を前提とした行為に刑罰を下した方が、世の為になるという感じ。

 

 

はい、ここまで(22:18)。

 

なんとなく執筆時間を短縮するようなプレッシャーがかかっている気がするので、執筆は1日1時間で区切った方が良いのかもしれない。知らんけど。

 

 

おやすみなさい。

 

 

良い夢を。