ノンアル飲み会
本日は23:36から。
会社の食事会が20時から22時くらいまであった。焼き肉食べ放題。パワハラもアルハラもなくノンアルで静かな会食。食べろ食べろというのはハラスメントとしてグレーゾーンか。満腹もなかなかしんどいと思うのは個性なのか老人なのか。
隣の店舗の人達と食べたのだが、なかなかやばそう。そこに配属されることはないのだが、配属されなくて良かった。かなり忙しいらしい。ある程度忙しいのは問題ないけども、キャパオーバーの忙しさは仕事の品質も落ちるし、精神もやられる。
ところで、お決まりのように趣味を聞かれて、小説を読むと言ったら案の定話が拡がらなかった。別に良いのだが、相手に興味があるときの言い回しで、趣味は何ですかとか聞かずに趣味を聴き取ることってできないのかということを考える。おそらくは、相手が自分の趣味を話して良いのだと思えるような雰囲気を出すことであって、言い回し云々ではなさそう。
麻雀しますか? と聞かれたのだが、こちらの方が答えやすい。しなかったらしないで良いし、たまたまできるからできると答えたが、どちらを答えても角が立たないような気がする。
デザートにソフトクリームまで食べてなかなかお腹いっぱいで解散。
店長が送ってくれそうだったが、22時を回っていたので、満月さんが帰って来る時間と合いそうだし、ちょっと腹ごなしで歩きたい気分だったしだったので断った。
満月さんから連絡が返って来なかったので、そのまま家の方向に歩いていたら、1時間程度で着いた。そこからシャワーを浴びて日記開始時間に至る。ちなみに現在(23:56)でも満月さんは帰宅していない。1度まだお店に居るという連絡が返ってきたから、おそらく何かトラブっている。最寄りのスーパーでビールと満月さん用のコーヒーゼリーを買った時に、今朝働いていた店長がまた居て、ずっと働いているのかと聞くと、前日の夜から本日の昼まで働いて4時間寝た後にまた出てきているのだとか。こちらもなかなかやばい。体に気を付けてと言って帰ってきた。
時間を遡って少し仕事の話。
なんというか、不安の期間が随分と短くなっているような。昼過ぎに暇だから少し出てきて良いよと言われ、すぐ出発できた。きちんと外に出る準備ができている。運転もハンドルを握る手に力が入らない、むしろ少し手放ししている時間が増えた。その分の力を旋回するときに回している。
事務所に居るときも、注意の配分がまぁまぁ適切なような。研修項目が終わるかという不安も、難しいからねと、言われてまぁそうだよな、なんとかなるよなという感じ。
不安の反対は安心だとしても良いが、これってあくまで対象が問題になっているから、状態に引き直すと、不安の反対はフラットだと思う。フラットだと視界が広い。不安は視野が狭い。明順応とか暗順応みたいな反射に近い状態の変化であって、どちらが悪いとも言えないような気がする。ずっとフラットなのが良いのは、フラットな状態でも新しく動けるような人。
満月さん帰ってきた(0:42)。
やれやれ。
どうでもいいけども、昨日の文学フリマに行きにくくなったという話にごりごり参加している学生さんがスキを押していたのだが、どういうアレだろう。大阪とか京都とかで参加していたみたいだし、見かけたことはあるかもしれない。まぁあんまり気にしてはいない。ゆっくり生きていきましょう。
VIVATを見ながらまったり書いているから間延びしている。
明日はお休み。
本日は本を読んで居ないから、特に新規の情報はない。
なんだか本の話を書く気分ではないな。
自分がフラットで居られることをどう捉えるかって人それぞれだと思う。
これを書くとどうなのかと思わなくもないのだが、僕は、自分がフラットで居ることが誰かの劣等感を刺激しうるということが嫌だった。なので、あんまり自分で居ないことにするという時代が随分と長かった。もうこの年齢になってくると、周りがきちんと自己を確立しているから、気にしなくても良くなって随分と楽になっている。
どれだけお勉強めいたことをしていたとしても、自分ができないことをできる劣等感にはならなくて、単なる趣味として捉えられるようになっているのは随分と気楽。義務教育時代はなんかそれが嫌だったんだよな。
ほんとうはもっと突き詰めたいのに、考え過ぎだとか、もっと怠けようみたいに足を引っ張りたい人が居て、それに流されてしまう。
流されないためのお風呂読書と文章タイムは気付いたらもう10年くらい。お風呂読書はもうちょっと短いかもしれない。なんだかんだ、周りから見える像より、本来の像の方がしっかり動いているという説をフラットにした方がもっと動けるような気がしないでもない。
社会的にはほとんど動いていないからなんとも確証がないのだが、社会的な見え方の方が運否天賦だから、そこに左右されずに継続するのはもうできるだろうし。
じゃあどう動くのか。
とりあえずはこの仕事でいけるとこまでやってみようという次第。ついでに仕事だけに囚われになることもないように。
はい、もう限界。
おやすみなさい。
良い夢を。