回帰は来期

 

 

 

日中はまだまだ真夏の様相だが季節は流れている。満月さんはお盆の繁忙期を過ぎると既に秋の気分だし、キリンの秋味が発売されているし。秋味はたしかに美味しい。ただ、ほんとうに美味しいのであれば年中発売する技術力はある気もする。季節もので季節を感じるという意味の美味。そんな感じでキリンだと一番搾りが年中のイチオシ。

 

 

本日は21:40から。

 

夜ご飯は鶏むねと茄子とピーマンの揚げびたしと、豆苗とベビーリーフミックスのツナサラダを作った。鶏肉に下味を付けすぎてちょっとしょっぱいが、お疲れで濃い味を欲しっているのであれば美味しく食べられそう。つけ汁はほんだしと砂糖と醤油と生姜で1から作りたかったが、ほんだしがないのを忘れていたため、既製品のうまつゆと白だしブレンドして作った。サラダはツナ缶にチューブニンニク、黒酢、鶏ガラだしを加えて混ぜて、草類を加えて和えた。にんにくチューブを加えると青臭さが軽減する。

 

 

さておき。

 

本日の仕事は先輩男子がお休みで、加えてお店自体も暇そうだったからおやつ時間前くらいまで外回りをしていた。もちろん仕事もしているが、運転はドライブ気分。結果が同じであれば意識としてはドライブのついでに仕事をしているでも良いのかもしれない。車に表示されるエコドライブの点数と同乗者の快適さがどれくらい比例しているか分からないが、余裕があるときはエコドライブ。

 

通った道がなかなかの大通りで少し混んでいたから、なるべくブレーキを踏まないようにするという挑戦をする。どうせ前が赤で止まるし後ろが詰まっていないのであれば、そんなに急いで前に詰まっていく必要もないとか。道が分かっていないところでは途端に運転制度が落ちるから、そこも意識しておきたい。

 

住宅街の細道だったらトロトロ走って良い状況もあるのかな。本日は家から幼女が飛び出してきていたから、飛び出されたら急ブレーキになってしまうので、徐行で運転しますって言えば良さげ。僕が乗せる人達のほとんどは僕より遥かに運転経験値が高い人だからあまりにスムーズでないとイライラされるのも踏まえないといけないが、その辺も意識している。止まるときは止まる、進むときは制限速度まで進む。これがとても難しい。

 

 

ドライブ(外回り)が終わってからはPC作業と電話応対をしていた。

ここは別に特記することはない。分からないことは多々無限にあるが、それで当たり前で良い。あとは聞きまくるしかない。

 

 

という感じで日記的なところは終わり。

ここからは、もう少し内側の話。

 

 

今朝1回めに目が覚めたあとの2度寝前、いまの感じで昔に戻ったらどうするかなということをまどろんでいた。前もって念のために書いておくのだが、ここには後悔のニュアンスは全くない。過去どうできたかを反省とセットで味わうくらいなら、そのどうできたかはこれからどうできるかと同じこと。

 

中学校まではもう戻りたくないから、高校から。

 

教科書3年分が1年目で手に入ったかは定かではないけども、授業のカリキュラムとは無関係に先へ先へ教科書を読んで習得すべき項目の全体がどの程度かを把握するようにする。その時間がないということはなくて、授業時間にやれば良い。ある程度授業を受けていれば宿題の法則は分かるから、授業では分からなかった部分だけ聞いて分かっている部分は聞く必要がないから、その先のことを進めていけばいい。

 

定期的に行われる英単語テストとか中間・期末テストって項目と時間が区切られているからそれをこのタイミングでやらなきゃいけないって知識的な視野も限定されてしまう。そのテストの知識を積み上げても最終的な共通一次(当時はセンター試験)と直接には連動しないような気がする。少なくとも僕はこの視野では全体像の把握とか横断的な判断はできなかった。

 

英語は細々区切ってテストがあった。例えば暗記しなきゃならない定型文がやたらと多いし単語も覚えなきゃいけない。国語は漢字テストとか古文の助動詞の暗記とかはあったが、定型文を覚えましょうというのはなかった。方針の違いか相性なのかは分からないが、国語の方が普通にできて、英語は全く伸びなかった。宿題でも英語は教科書の原文を一文一文細かく日本語訳するようになっていたけど、つまらなさすぎる。一文一文がどうかというより、まとまった文章として何が意味されているかの方が大事なような。細部が問題になり過ぎて、何が書かれているかが全然残っていないのが高校の英語の学習。方法論が逆で、この文章を読み取るためにはこの単語が大事みたいな話があったほうが良かったような。

 

たしかに単語の知識が無いと話しにならないのだが、定義としての単語って日本語のしくみとはずれているから、暗記させるよりはもっと写経的に繰り返すようにしたほうが良いような。僕がやり直すなら、1個1個いちいち覚えるというより、ひたすら回数を繰り返して、定義を吐き出せるのではなく雰囲気でこんな感じの単語だと分かるように格納する。

 

定義を強いられるって、結構日本人には無理があるような(個人的な偏見)。

 

 

時間が無いというのも、高校までと大人になってからは違う。大人は諸々の家事なり事務作業がある。ただ、子供も子供で時間が無いのも分かる。家事をしなくても良くても授業時間とは別に部活があったり塾があったりと、強制的に縛られる時間で言えばそんなに変わらない。だから、動かせない時間を効率的に使うのであれば、もう理解している項目を授業で傾聴する必要はなくて、先の宿題をすれば良い。

 

部活もおそらくはすることになるから、やり直ししたらもっと効率的にする気がする。

勝ったら嬉しいということは無いけども、あくまでゲームだから負ける人を気にせずに勝てるように体を動かすところに傾注できるような。これは性格が悪いと評されそうだが、できることを全部するってそれほど性格が悪いだろうか。中学校時代勉強時間が短いのに成績が良いのがずるいって言われたことがこれに近い気がする。

 

いま想えばそんなこと知らんがなって取っ払う自己があれば問題なかったのだが、そこまで自己が確立していなかった。自慢したいなんて意識は皆無なのに、ただ過ごしているだけで自慢になってしまうのであれば、自分で過ごさないようにするしかない。

 

やり直したら恋愛ゲームももっと遊べたかなと思うが、ここは省略。

あくまでゲームなので、高校時代の同級生に一生一緒に過ごせるような人は居なかったと思われる。知らんけど。

 

 

もうそろそろおしまいなので、最後に本の話。

 

「リリィシュシュのすべて」、読み終わってしまった。ネット過渡期の匿名的アバター世界の微妙な闇が鮮明になる。ヒロイン的な存在が小太りのおっさんだったということになっているけども、実際にほんとうかは定かではない。何が現実かの定義で言えば、匿名的世界だろうと、当人が現実だと認識してしまえば現実になりそう。迷信とも言えないだろうし。

 

「虎よ虎よ」も終わったから、次の本を採り入れて循環させないと。

古典SF枠は常に入れておきたい。だって面白いのだもの。

 

 

はい、ここまで。

3000文字行けそうな感じだったが、区切りまで書かなくても問題ない。

 

 

おやすみなさい。

 

 

良い夢を。