上下左右

 

 

 

上がったり下がったり状況盛り盛りの2日間。

 

 

仕事最終日はなかなか忙しかった。この人と話すのも最後かぁと内心お礼をしながらやり取りはいつも通り。Photoshopの面白いスキルをまたゲット。

 

先生は私用で半休。特に挨拶もなく帰っていく。この淡泊さも好ましかったから問題ない。送別会の時に年下上司に伝言を頼もうと想う。昼休憩時に東急ハンズでやっている瀬戸内フェアの中でひよこのピナンシェを買って置き土産。来週配られるだろうから、僕の存在の残滓はまだ2日くらいはありそう。

 

女性上司からはお幸せにと挨拶をいただく。ありがたく頂戴する。お世話になりました。通常だと最後の時間帯は暇でまったりなのだが、挨拶なのか、ぴったり退勤時間まで鳴りやまなかった。面白い職場でした、という感じで古参の先輩も参加してくれるらしくびっくり。一緒に会場に向かう。

 

そうして居酒屋の部屋のふすまを開けると、あれ、人が多い。ひーふーみーよーいつーむー合計7人。先生もいらっしゃる(!!)。こじんまりしんみりした送別会の予想を覆す宴会模様。嬉しい限り。

 

特にやらかしはないはず。感謝もまき散らかしてきた。個別に話をするのはこの人数だから逆に難しくなったが、先生と話せて良かった。仕事の話とか、今後の人生論とか。仕事を振るときに気楽なのは硯だけだったみたいなニュアンスのお褒めの言葉もいただく。苦しくて居られなくなった退職ではないから卒業ですねって。今後の僕の人生についても楽観的に祝ってくれて嬉しい。満月さんのお母様に「一緒に過ごしていきたいと思ってますけど民法上の婚姻契約については頓着していません」って言って「へー」ってなったエピソードを伝えたら爆笑される。

 

飲み会が4人以上になると、誰かひとりが話し続けてそれを聞くという場が成り立ちにくい。挨拶とか口上とか満月さんとの馴れ初めとかを振られるのだが、あんまり聞いていた人は居ないように想う。合計8人だからテーブルで話題が分けられる。ちょうど先生が僕の隣に座っているタイミングで、大学院でシュールレアリスムを研究していた人だって言ったらやっぱり喰い付いてくれた。コアなテーマをやっていたのだなって。

 

あと、同期が滅茶苦茶褒めて惜しんでくれた。スキンシップを越えて3度程軽く頬を殴られたが笑。貴方が同期で良かったですよと感謝を投げておいた。さらに、プレゼントもいただく。育てる水草と万年筆。水草は新居で満月さんと一緒に育てていきます。万年筆というペン系のプレゼントは通算4本目くらい。僕ってペンで手書きしてそうなイメージなのだろうか。この万年筆も活用させていただく。原稿用紙買って新居の書斎で何かしたためようかしら。

 

居酒屋が終わった時点で23時。ここで一旦電車組が解散。同期の冷たい手とハイタッチしてお別れ。そうして年下上司と受注元のこの部門の責任者の女性社員さんと3人で2次会。お洒落なバーで午前2時くらいまで話し込んでいた。この女性社員さんにも何度か肩を小突かれる。面白いねーって言われながら。もう部外者になっているのに来月予定されているバーベキューイベントにやってくるように促される。良いのかという感じだが、招待してくれるのであれば行ってしかるべく。

 

もう溝に落ちて世界線を移動させる必要がない。こんな良き人間関係が構築されたのは移動したからだろうなってゆっくりと地に足を着けて歩いて帰った。恵まれている自分で問題ない。

 

 

本日。

 

二日酔いはない。朝ごはんにコンビニボンゴレと梅干おにぎりを食べてうとうとしていると満月さんのノックで起こされる。寝ておきたかったが、弟さんと一緒に来ていて弟さんが行きたいところがあるとのこと。急いで小躍りしながらシャワーを浴びて15分くらいで身繕い。電車で心斎橋へ。

 

弟さんの僕に対する評価は良い意味で「ボケ」らしい。気を遣っている感じがないのが良かったって。たしかに、気は遣ってない。というか満月さん一家全ての人物に対して気を遣わなくても大丈夫という空気感がある。

 

そもそも気遣いって「自分事」の領分だから、したければすれば良いし、しなくて何か悪評価が起こっても自分で被るべきもの。僕は別に誰かからポイントを得たいがための気遣いはしないから、そこに心配りはない。相手が認識してもしなくても良いマイルール的な気遣いはやっているかもしれないが、それこそ相手は無関係。たぶんここで自分で居る世界線に動いたから、満月さんと過ごすことになったし、盛大な送別会もやって貰えたのだと思われる。

 

無意識に弟さんも居るのに昼からビールというのをやってしまい、満月さんに心を許しているからだと描写されたが、たしかにそうかも。評価を気にせず自分のままだった。これは穿つと、例えば弟さんがあいつやべーからやめた方が良いって満月さんに言ったとしても僕の評価を変えないだろうなというところもきっとある(もっとやべーし)。

 

 

そうして、ここから少し楽しくない話。

 

母親から伝言メモが入っていたから、満月さんと弟さんをお見送りした後、満を持して電話して諸々報告した。通話が終わった後、しばらく身体が重くなる。

 

親だからという関係があるだけで世界線が別の人なのだろうなって常々思う。この人の中には僕の存在が居る訳ではなく、息子という名の当人の劇場の中の役があるのだろうなという感じで、僕を開いて話せない。

 

僕もだし、姉も妹もそうだろうけど、子供達を失敗作みたいに語る。たしかに、自分劇場において愛を費やしたのに結局何も返ってこなかったみたいなところで言えば悲劇のヒロインとしての自分事にはなるだろうな。別に失敗作でも良いしたしかにポンコツなのも認める。ただ、僕とは愛の概念が違うからここに齟齬がある。自分を制限して何かするっていう奉仕は別に愛ではなくて、単なる自己投資みたいなもの。たしかにこの感じが普通なのかなって生きていた頃もある。ただ、この愛の概念には他人が存在していないし、自己完結するという窮屈さがある。

 

愛って投げっぱなしで返ってくるかどうかは無関係のお裾分けというか余剰みたいなもの。自分で楽しめるのが愛だし、相手を楽しめさせたいのも愛だし、物的とか法的みたいなところでは一切ないような。相手を不安にさせないというオプションにこれがあるというのはアリ。

 

で、お付き合いしている人のことも、当人の人格の前に外堀が気になるのも個人的にはちょっとおかしい。お家は何をしているところなのって。たしかに当人同士が好き合っているだけでは上手くいかないみたいなことは分かるが、そんなの良いオトナなのだから言われなくても知っているし、そんな不安を無駄に煽ったところで良いことは何も無い。むしろ害しかない一般論だけのアドバイス

 

僕がもともと不安傾向だからかは知らないが、不安って完璧に拭えるものではないし、1つ意識されたら芋づる式に無限に増殖するし伝播していく。ほんとに潰さないといけない不安案件は、不安がるより行動で潰すしかないから、不安という意識は行動を遅くする重荷にしかならないし、概念的にも不安に意識を向けたところで何かが好転することはない。

 

僕は父親になったことはないが、仮に息子が添い遂げようと思う人が居ると報告してきたら、情報を聞く前にまずは「良かったね」って言う。他人事的な視点かもしれないが、血が繋がっていても存在的には他人だし。その後に情報を聞いて詐欺とか搾取でなければ好きにすれば良いとなる。

 

我が家の母親は、僕が手許に帰ってきてくれると思っていたらしく、僕の話を聞いているうちに泣きそうになって(泣いていたかもしれない)、私は1人で生きていくのだなとか、私はどうなるか分からない、みたいなメンヘラ彼女みたいなことしか言わなかった。いや、もともと人は1人ですしとかは当然言えない。

 

自業自得だからって言っていたが、ほんとうにそうは想って居なさそう。

 

この母親から何故この息子が育ったのかというバグ。世界線は離れられないから、今後は逆にこの価値観から離れてもっと構ってあげたり何かこっちから送り付けたりして母親の世界観をぶち壊しても良いかもなと思ってきた。別に可哀そうだからとか親だからとか無関係に、完全に個人として愛を投げつける対象として扱う。

 

うん、こっちの方が完全に楽しいな。

うむうむ。

 

 

最後。

 

やっぱり村上さん。

小説の若干ネタバレだが、この主人公も旧来の生活圏から離れるらしい。引っ越しのシーンがでてきて笑ってしまった。1年前は海辺のカフカで穴に落っこちて、今年は壁と街でお引越し。

 

違うのは、あるべき自分は何処にもなくここにしかないという解釈かな。

 

はい、おしまい。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。