シフトチェンジ

 

 

 

少し遅くなった。21:54から。

 

頭が焼ききれそうな気分。頭の回転数のコンフォートゾーンもこれが常態になったら上がっていくのかな。そうだとしたら、もう少し上げておきたい。

 

 

さておき。

 

本日は休日なのだが、7時半に起きる満月さんよりも早く起きて朝活。準備をしている満月さんを眺めつつ、過去問を1年分解く。満月さんを見送って、別の年の過去問を分析しつつ、コンビニにいって昼ご飯。レンチンご飯とお湯を加えるだけの豆腐の味噌汁とフレッシュサラダを買って、残っていたお刺身と大根の塩こんぶ和えを食べた。なかなか豪勢で栄養価高い。

 

その後は若干ぐだりつつ、洗い物やら洗濯などをしつつ、もう1セット過去問を解くのと分析をして夜ご飯を作る。鶏肉の塩焼きそばのリクエストだったから長ネギを加えて鶏ガラ顆粒ベースで作った。うまし。サラダは豆苗とたまねぎとツナのごま油とマヨネーズ和え。玉ねぎは新玉ではないのだが、お風呂読書時間中に黒酢を加えた水に晒してみたらなかなか甘くなっている。これもうまし。副菜は悪くなりそうな卵が2個残っていたから卵焼き。ここの玉子焼き機の扱いがまだ下手で崩れてしまったが、崩れたところは塩焼きそばにトッピングすれば良かろう。

 

もっと、焼ききれそうな頭の使い方をしていた時期と比べたらまだまだ。ただ、お風呂読書の小説を読む速度というか量がかなり増えた感じ。文字から脳内イメージへの転換のラグがあまりなくて快適。小説って別に覚えながら読むものでもないし、読んでいる瞬間に文字が脳内に光景として浮かべばそれで問題ない。他の人がどう読んでいるかは知らないけども。

 

これは逆に、テキスト類ももっとこういう風に読めば良いのではないかという感じもしてくる。概念は光景にはできないけれど、イメージにはできる。イメージ化してそれを言語化なり思考の道具として再転換できるようにすればどうだろう。実際にそうできるかは不明だが、経験則に含まれる知識って結構そんなものではないか。情報として覚えているというより、イメージとして圧縮して収納されたデータを解凍しているみたいな。でないと脳の容量が持たない気がする。

 

 

そんな感じで、試験対策とは別に、脳の回転が上がった状態の清々しさを維持できないかという施策を考えている。アウトプットの回転というよりインプットな感じがあるが、インプットの世界が鮮明になったら、情報処理の判断の余裕も増えそうな。採り入れらる情報が限られていると判断が狭まる。自分の感情的な判断ももしかしたらアウトプットの前にインプットされるものであるかもしれない。

 

おそらく朝活をすれば1日の始まりからウォームアップ的に回転数が上がるだろうなと。あと1ヵ月ちょいの試験までは仕事の起床時間から30分~1時間早く起きて、テキストなり過去問を速読しようかな。能動的インプット時間を朝にまず作る。そして夜は能動的会プットプット時間(ここ)。

 

ちょっとこの量では合格が危ういかなという危機意識もたしかにある。過去問の点数全然伸びないし。ただ、これがいわゆる意識高い系の自分を向上させていくための方法論として読まれるとちと違う。

 

単に、同じ時間の中で本を読める量が増えるのが良いなというだけ。まっとうな社会人で同棲生活を送っている以上、生活外のことにそこまできちんと時間を取ってあげることはできないし、だとすれば、脳内で時間を増やしていくしかない。まぁ隙間にある無意識な時間をなるべく減らしていくというのもあるが、これもきちんと回転させていればそこまで脳がサボれない。脳がサボらないというのは、時間の中で意識されるが瞬間が延びるということで、人生を大事に過ごすことになる。

 

BGM的に流していた動画で、思考停止になっている層が日本人には多いという話があった。流行が気になって追ってしまうというのは、自分で考えているのではなく、受動的な情報に流されているとかなんとか。行動心理学の領分なのかとは思うが、個人的には流行を追っている暇がない感じ。本当に良いと思うものがあれば自分で検索して調べた方が早いし、たまたまそれが流行と一致していても自分が調べた結果だから問題ない。テレビが消えつつあるのは、現代の速度感とズレてきているからでは。

 

なんだか高尚なことを述べているようで、単に我がままなことを言っているだけ。試験期間が終わっても何かしら朝活のネタを作ってコンフォートな回転数を維持していく所存。とりあえず、明日は7:50にアラームかけてみよう。

 

朝はギリギリまで寝たいというのも、睡眠時間の確保というより単なる習慣的なところだと思われるし。いっぱい寝た方が日中眠いことも多いし、量より質だろうな。

 

 

 

やれやれ。

 

割と活動的になっている感じだが、ふと、もしかしたらこれがもともと性質だったのかもしれないという観念に至る。きっとずっと引っかかっていて。そのまま生きていると誰かに対して嫌味になってしまうという知見が足を引っ張ってきた。満月さんはそこらへんきちんと分かたれていて凄く気楽に自分で居られる。自分もそうしなきゃと変に同調してしまう人は僕とは一緒に生活できない。もちろんお互い変化がなければそれまでな気もする。満月さんがもっとも永く過ごす人になるのはある意味必然だろうな。

 

読んでいる人からすれば僕の変な自立性はとうに把握されているだろうし、文章を継続して書くために必要なことはただ書くことを自分で赦すくらいなものでしかないという意識でしかないから、継続して書きたい人にできるアドバイスも特にない。

 

変な話、今後は僕の存在に嫌味を感じる人のことは別の星の住民だとしてしまうに尽きる。自慢になってしまうかもしれないこともしれっと淡々と語れば良い。時と場所と相手は選ばざるを得ないけれども。

 

普通は誰かにとって嫌味になることって自尊心の糧になっているのだろうか。

 

こういうさっぱりした切り分けができることも、頭の回転数のギアが上がっているからだと思われる。これを続けていけばもっと別のことが見えてくるかもしれない。

 

もっと時間をいっぱい創っていこう。

 

 

はい、ここまで。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。