RPG

 

 

21:43開始。

 

世界がどう見えるかって客観ではなく主観だから、出来事ではなく解釈ででき上がっているような。悪いことに遭遇したから不幸なのではなく、それを不幸と解釈するから世界が不幸になる。

 

本日もなかなか楽しい。

 

 

朝活をする予定だったのが、あまりに眠りが浅くて断念した。この判断は長期戦になる運転のためには良かったと思う。

 

何故眠りが浅かったのかの解釈。

真っ先に飛びついたのが、満月さんのいびき。たしかに歴代で最大級だった。通常はうごー、うごーという感じなのだが、昨日は、うご、うご、うごと断続的。逆に大丈夫かいな。

 

生理現象に罪はないから、満月さんのせいでもないと解釈できるのは、法律畑に耕されている。刑法は犯罪行為を意志に基づくものとしているから、生理現象は対象ではない。あと、癖とかもか。意志に基づいていない振る舞いの悪影響は、当人個人と直結させないというのが基本的には現代刑法のスタンス。人は他人の意思に拠らないことも人としてセットにしてしまいがちだが、ここを切り分けると結構気楽に人と接することができるのかもしれない。

 

罪にならないけど生理的に受け付けないということがあったとして、それは当人を攻撃して良い理由になるはずもないって割と共有されていないような気がする。これは教える側のオトナが、それほど貫徹できていないからなのか。

 

 

で、ほんとにいびきが原因だったら、もっと寝不足になっているはずという視点。

実際、朝の鏡で見た隈はいつもより深くなかった気がする。

 

変ったこととしては、特に食べ過ぎてもいない胃もたれがあった。満月さんも胃もたれだったみたいだが、これは僕が作った料理が美味しくて日付が変わる前後に満腹まで食べたからだと思われる。

 

血流が脳に回り過ぎて胃腸の消化に影響することはありうるのか、ありえそう。脳が活動していて、クールダウンしきれずに明晰夢っぽいのばかり見ていた。結構殺伐というかサスペンスが多い。実家の安穏とした山の光景に無人のパラグライダーの下に液体が入っているポリ袋が付いているという無差別テロっぽい事件が起こる。妹がダイレクトにかかって、シャワーで洗い流して目も洗っておけよと指示するシーン。

 

なんだかストレスの負荷が高すぎて眠りが浅すぎるから、お酒をたくさん飲んで気絶まがいに寝入っていた頃と現象的には近いのだが、今回は単にクールダウン不足なだけであって、負荷とは関係なさげ。

 

誰のせいでもない、単なる調整の不足という解釈に至る。

きちんと寝入っていれば、満月さんのいびきがどれだけ轟音であろうと起きるまで寝ているし。別にいびきで寝られないから嫌いになるというほどでもない。寝室を別にする(満月さんの解釈だと別居と表現される)ということも考えうるが、今回は別にそこではない。

 

 

さておき。

 

お仕事。

 

滅茶苦茶ドライブした。

もちろん疲れるのだが、本日の運転は次第に山っぽくなってきて、実家っぽい森成分を補給うできる。グーグル先生のナビに車で30分と出てきて長いなと思うのだが、実家だとそんなの当たり前だったんだよな。という、車での距離感も馴染ませていきたいところ。

 

高性能な車がキンコンキンコンぶつかるよと鳴らせてくる道を通らないといけない場所もあった。山の中の生活道はマジで狭い。向こうから来ても避ける道がない。ただ、より疲れるのは、色々気にしないといけない一般道の方。運転未経験なのだが、満月さんが言うところの高速道路の方が楽だというのもちょっと分かってきた。高速道路は車の空気と操作だけを気にすれば良いのだろうな。

 

山成分の中でも、車がまぁまぁ動いているのが、愛媛の山奥と車社会である愛知県の山の違い。レンタカー借りて実家界隈運転したいな。

 

 

運転が終わって、しばらくしたら、ロープレが始まる。

たしかに慣れは大事だと思う。癖も改善できるだろうし。

 

前職でも良くやってもらったのだが、前職の方は終着点が決まっているところであって、何か人格的にコントロールするとこがない。もちろんポイント押さえるというところでは一緒なのだが、店長相手に普通のお客さん相手と同じようにやれるかというと微妙なところ。だって、目が全然笑っていない。いや、今日は目が笑っていないお客さんを演じていた可能性もあるけども。

 

もちろん、とても勉強になったから、定期的にやってもらいたいところではあるが、人が少なくてそんな余裕もないらしい。もっとはっちゃけたロープレを開示してみたらどう評価されるのか。

 

 

なんだか文章がぐだぐだしていないか?

 

 

 

やれやれ。

明日は休みだし、まだ時間自体はある。

 

僕の文章が一定数の人に読まれていることに対して、特に根拠が見当たらない。仕事項目の中にTwitterを更新するというのができて、自分のアカウントは無いのに、ネタを確保していかないといけなくなった。要は、定期的に更新されているアカウントだけが存在できるのが今やXになった世界における存在。匿名的な存在が呟いているというところから、呟いていることによって匿名的的な存在Xが成り立っているという遷移なのかは知らない。

 

まぁ、文章SNS界においても文章を顕してるタイミングだけでその人が存在しているというのは分かりみ。ガールさんが更新していないと思っていて、たまたまスキが付いていたから読みに行ったら僕がフォローを外していただけだった。フォローバックしたのでまた読みます。

 

という意味で言うと、僕ってSNS界隈だと自己顕示欲がやたらめったら強い人だと解釈される可能性もあるよなって。なにせ、物理世界だと何も言動しなくても存在は継続するけれど、ネット世界だと更新しないと存在として認定されない。

 

更新されないと存在として把握されないのは、マンガとか小説でもそうかもしれない。この世界って別に誰か当人の存在そのものを把握している訳ではなく、誰がではなく何が書かれているかしか見られていないし。

 

何が書かれているかという存在感で読まれ続けるって、結構やばくないか。

何も良いこと書いていないし、ただの一般人だし。

 

 

物理的な存在と文章的な存在にもそれほど乖離がなくなってきているのは僕の中での良い話というだけでしかなく、読んでいる人に悪影響が無いのかというというのがやや気になる。読むって影響を受けないで居られないことは無いし。

 

 

そんなこんなで今日もお仕舞。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。