せかい

 

 

 

 

人にとって時間は大事だが、時を全部意識することはキャパオーバーだから、その意識できる瞬間で区切った間を時間として大事にするしかない。人が空を認識できないから空間として把握するしかないのと似ている。空と言えば仏教だけれども、これもたしか情報として把握できるものではないという話だったような。

 

本時は22時くらいから。

 

満月さんが早めの上りでステーキが食べたいとのことだったから焼いていたり、VIVAT見たり、炒飯作ったりしていた。こういうことをしれっとできるようになるのが、僕が特に誰とも関係していない空白の3年間でやってきたことなのだなと今更ながら想う。毎日弁当を作っていたのも自分だけの生活空間としてはやっていない模様。もちろん主観的には1人で充分だという世界を構築するための生活に余裕というか十全という意識だったが結局は、1人で生きていけるということは誰かとも生きていけるということになる。

 

ここは意識していなかったが、なんとなくそういうことになったし、なんというか、足りない部分を補充するための誰かという関係があんまりもともと好きではなかったという節もある。

 

 

賢い人は怒らないというのは昨日の動画だが、我が店舗の店長も全然怒らない。

怒りが仕事の道具としてあんまり機能しないというのを経験として把握しているのかどうかは知らないけども、年下女子の割とやばい所作も結構許容している。

 

お仕事のペース、昨日は掴めてないと言っていたが、本日だとなんとなく掴めてきた感がある。それはどういうことかというと、出勤の道すがら。ふと、今まで見えて居なかった看板とかお店とかがふと視界に入ってくる。別に意味はないのだが、世界が拡がっているなという感じ。あれ、いつの間にって。

 

割と調和を気にするから、昼ご飯にいつ行くのかという大縄跳びみたいなところはタイミングを計らないといけないけれど、あんまりそこまで厳密に気にされていないような感じだから、跳びに行くタイミングは割と長い。

 

運転もまだまだ拙い。アクセルはやんわりできてきているが、ブレーキが難しい。特に店舗の駐車場からすぐ出た辺りの信号が無い交差点の辺りのブレーキの踏みどころがあんまり掴めていない。ただ、本日行った、一方通行ではないけど車線が1,7くらいしかない狭い道の譲り合いのところは特に怖くないという。高性能の車がキンコンキンコン鳴らせてくるのだが、車体感覚的には問題なさげ。どこで譲るのか、譲られるのかもなんとなく雰囲気で分かる。

 

明後日はもっと遠出してさらに修練してくる目論み。

 

 

で、接客のところ。先輩男子も百戦錬磨のユーティリティの人も、何か聞かれたら全部持ち帰ったら良いという予防線で教えてくれるのだが、店長はそういう方向でアドバイスがない。やってみて把握していったらいいよという放置というより、僕であればその塩梅は把握できているのではという期待かもしれない。

 

一般常識を把握している訳でもないけれど、いちいち細かいことが強迫的に気になる人と、そんなに気にしていないけれど話題としてそれを言っている人の違いくらいは雰囲気で分かる。本当に知りたい大事なところだけ確認して、話題としてのところは分かりませんけどそんな感じではないでしょうかみたいで良いような。後者は知識が入ってくれば曖昧性は回避できてくるけれど、そこまで相手は気にしていない。

 

もっと相手が遊んでくれるような接客スタイルになりたいところ。

もちろんお金も大事だけど、お金って時間とか時空とか把握できにくいほんとうに大事な部分を代替できるような存在でしかないから、人生劇場で言うと中堅くらいだと思われる。

 

お金では時間は買えない。せいぜい省略とか余白が買えるだけであって時間自体は買うものではない。空間は買えるけども、買った空間が心地良いかどうかはどれだけお金をかけたかとは比例しないような。

 

 

この感覚って分かる人どれくらい居るのだろう。

 

無いとされているところで時間も空間も大事にできないと、在ったところでそれほど大事にできないような。在らないと心地良くないという安心追求も大事だと思うが、それだと頭打ちになるような。

 

ともあれ。

 

明日は1人でお休みなので、2,3年分の宅建の過去問をする。選択肢を作ると怠けてしまうかもしらないから、3年分に決める。やるだけなら午前中でなんとかなりそう。

 

そろそろ30点の大台を越えないとな。

 

 

という感じで、時間を大事にしているから、僕の文章空間があるというだけのこと。

 

はい、おやすみなさい。

 

良い夢を。