いけいけ

 

 

21:53から。

 

本日の始まりが遅いのは残業していたから。定時から1時間ちょい残業したと考えれば、諸々時短しているとも言える。とはいえ、お風呂読書はしっかり行い、文章タイムも確保している。

 

夜ご飯のメインは作らず、ローストビーフを買ってきた。満月さんが色んな料理でソースとかタレとか付けない派だから倣っているのだが、何もつけなくても普通に美味しい。生野菜はそのまま食べない派だし、僕もアルパカ面だが流石に草を生でもしゃもしゃはできないから、ドレッシングをかけたベビーリーフサラダは整えた。ついでに、昨日ちょっと残した豚しゃぶ肉も消費。もう1品は、もやしナムル、名も無きレンチンもやし和え。もやしはレンチンしてごま油と顆粒鶏ガラをかければなんとかなる。本日は醤油とすり胡麻も加えた。

 

20時過ぎに帰ってきたにしてはまぁまぁ作れたのでは。

 

 

さておき。

 

今朝はやたらと眠いし、胃もたれもしている。胃もたれは持病みたいなものだからあんまり気にしないし、眠いのも寝たりないのか寝すぎなのか不明だから気にしない。

 

精神的にもちょっととげとげしかった気がする。

精神の波は当たり前のことだから、谷の時を常態と評価しなければ良き。

 

 

大丈夫だなと思ったのが、出発して自転車を漕いでいると、最近草を刈って綺麗になった川の土手に彼岸花が繁栄しているのを見て、少し遠回りになるのにふらふらとその道を選んだところ。最短距離を選ぶしかないという精神状態の方が不調傾向にあるというのが持論。

 

彼岸花って構造がシンプルだから成長が早いのかな。草を刈っていたのが一週間くらい前だった気がするから、そこから蔓延ったというスピード感。豆苗の「みょー!」より早いかもしれない。縁起とかは知ったことではないが、彼岸花のあの茎って折ると汁が出てかぶれるから、あんまり触るなと言われていた幼少期の知恵。

 

お仕事。

 

まぁ、忙しい。いや、心は亡くしていないから、適切な言葉ではない。厳密には仕事量が多くて楽しかったという感じだが、一言で示せる言葉はあったかな。あぁ、「充実」で良いのか。

 

特に前情報も関係を作る余裕もないお客様に会って、結果を出した。

報告の電話をかけた第一声の僕のテンションが低くて、「駄目だったか、そういうこともあるよ」というフレーズを用意した店長が、次の一言でびっくりしていた。成果出したのならもうちょっと分かり易く嬉しそうなニュアンスを出せよというクレームが後から入る。

 

たしかに、僕は感情を表に出すのがまぁまぁ苦手。良くも悪くも声で精神状態を把握するのは難しいと思う。中身では成果を出したのは良いけど、頂いた書類がきちんと整っているかどうかが気になっていたということではあったのだが、なんにせよ、類型的な感情を声で表現するというのはとても苦手。

 

書類は問題無かったようで一安心。

 

 

この仕事が面白いのは、正解が無いことだなと思った。

正解がある仕事の方が楽というという世界観もあるとは思う。でもいずれどうなるかはともかく、AIが代われないお仕事は、データをどれだけ蓄積したとしても統計的な正解が見出せない所にある。

 

正解がない、の極致がまさに人間の存在で、人間とやり取りして扶け合っていくお仕事の醍醐味が分かってきた。自身の絶対的存在はもちろん生きていれば確立されているにせよ、社会と関わる以上、相対的存在も必須だし、ある意味ドッペルゲンガーみたいに1個の存在として在る訳で。

 

僕も相対的存在の方でもっと人と関わっていくべきだろうなという知見が出てくる。

 

絶対的とか相対的とかややこしい語用になっているけど、要はどんな人と関わってもずらせない部分が絶対で、人や場合によってずれるのが相対。もっと都合良いとか、心地良いとかを求めるのは相対的なところだと思われる。

 

正解が嫌な人の中には、自分の正解と世界の正解に違和があるという人も居るかもしれないけども、こちらは結局自分の正解と合う世界を求めているから、実際は相対的な世界観なのだろうな。世界がずれてくれないと嫌だって。

 

ちらっと精神分析の概要を読んだ文章を読んだので、僕もその話を。

 

自己よりも世界が気になる質だったから、ある程度長く過ごしていくと、人の精神の根っこにどういった刻印が刻まれているのかというのが読めてくるような気がしていた。お金に細かい人は、別にもともとそうであった訳でもなく、そういう何かの原因があるからそういう性格になっているとか。この前5,6年振りにやり取りした友人も細かいのだが、僕に対してはそんなに細かくなかったのは、お金でどうこうする関係ではなかったからという説。

 

呑んでいるときにちょっと根っこに触ってみたことがある。

親子関係が金銭を前提としていたみたいなところ。浪人した時にその費用が云々みたいな。そのシコリは孫が生まれて溶けつつあったみたいなところまでは読んだ。どうなったか聞くために、もう一回繋がろうか。

 

精神分析と言えば、フロイトさんないしブルトンさん。

ラカン精神分析の新書で、ブルトンさんが書いた「ナジャ」という小説が出てくる。この小説、シュールレアリスムの本を読んで僕の世界に顕われてからずっと読みたいと思っているのだが、なかなか出逢えない。

 

この小説、精神分析の専門用語で言うところの「転移」がテーマになっているらしい。

転移というのは深く関わっていくと相手の根と自分の根が交換されるという現象が起こると読んだのだが、ほんとの専門的な定義は分かっていない。たぶん調べても一般的な定義しか出てこないはず。

 

世界がすり替わってしまうみたいな精神的な現象は、村上さんの小説の世界観の根っこにも繋がっていそう。

 

カウンセラーさんとか学校の先生とか、クライアントとか生徒から深い話をされたとき、こういった転移が起こりうるのではという想像。カウンセラーさんは深みにはまらないような専門的な技術があるような気がするが、先生はどうなんだろうな。お仕事への熱量が高い人ほど深みにハマってしまいそう。

 

(あくまで想像です)

 

 

この現象を日常に流用できるとすれば、自己の良い領域を相手に転移させて関係を長閑にするとかと想像するのだが、転移はそういう風に使えるものなのかは不明。こういう遣い方ができるのであれば、僕ののほほん、ちゃらんぽらんした根っこを伝播すると関わっている人の心が平穏になるかもなのという展望もできる。

 

声には出ないけど、この世界には無茶苦茶感謝している。

ほんと、この時代の世界観でないと僕は在れなかったと思っている。文章世界も然り、現実世界も当然。読んでいる方がどれだけ居るかは不明だが、見えなくても動機よりもっと前の存在の前提としてずっと感謝しております。

 

何が伝わったのかは分からないが、本日のお客様、何故かお茶をくれた。

汗だくでせくせく動いていたことへの労いだとしても、お客様も同じ環境で色々してくれたのに。良き次の環境を得て欲しいから、全力でサポートする所存。

 

 

こんな感じで充実しているというお話でした。

 

おやすみなさい。

 

良い夢を。